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R024話 ハワイにて

 1942年2月1日 『ハワイ 太平洋艦隊司令部 長官室』


 キンメル太平洋艦隊司令長官は海図から目を離すと、椅子の背もたれに寄りかかり大きく息を吐いた。


 一人で日本海軍を迎撃する計画の見直しを行っていたのだ。

 何れ日本艦隊がその姿をハワイに現すだろう。その時の為の迎撃計画だ。

 参謀達が頭脳を絞り作成した。


 取り敢えずの所、見落とした物は無いようだ。

 何しろ使える戦力が限られている。


 無傷の巡洋艦と駆逐艦の殆どはパナマに退避させた。

 これでアメリカ艦隊の芽は残した。

 何れアメリカ艦隊を再建する時に彼らが中核になるだろう。


 もう、この戦争は90%負けだ。

 だが、太平洋艦隊司令長官としては戦いもせずに降伏するのは忸怩たるものがある。

 正規の命令も無い。

 それに我々には軍人として守らなければならない国民がいる。


 アメリカ本土ではフロリダ州やユタ州が合衆国からの分離独立を宣言しているが、ワシントンDCでは各省庁の次官らが集まり臨時政府を立ち上げたとも聞く。

 まだアメリカには希望がある!



 そうキンメル太平洋艦隊司令長官は考えていた。

 そしてハワイで日本艦隊を迎え撃つ気でいる。



 キンメル太平洋艦隊司令長官は思う。

 勝算が全く無いわけではない。


 確かに戦艦部隊は壊滅した。

 全空母を失った。

 陸上基地の航空機も殆ど全滅状態で、飛べる機は少ない。

 アメリカ本土からの補充も無い。

 巡洋艦と駆逐艦はパナマに退避させた。


 だが、まだ戦える戦力はある。


 潜水艦だ。


 アメリカ本土の港で日本の特殊爆弾により失われた艦もあるが、それでも現在ハワイには14隻の潜水艦がある。


 それにフィリピンを失ったアメリカ・アジア艦隊のハート提督が苦しい状況の中でハワイ防衛の為に潜水艦を12隻回してくれる。有り難い。

 

 今、こちらに向かっているその潜水艦も加えて26隻の潜水艦で迎撃すれば……まだ望みはある!


 その為のフレッチャー艦隊のパナマへの退避でもある。

 フレッチャー艦隊を退避させたのは、今のハワイの航空戦力では日本の空母部隊の攻撃があった場合、それを防げない事がまず一点。

 第二に何れ再建する筈のアメリカ艦隊の中核を残す事。

 第三の点が、ハワイから戦力を引きあげる事で手薄と思わせ、日本艦隊を誘き寄せる事だ。 


 ハワイが手薄だと知れば、日本は必ずハワイを攻略しようとする筈だ。

 既に西海岸に日本軍は上陸したという。それなら尚更、西海岸までの中継点としてハワイを欲するだろう。


 ハワイを攻略しに来る日本艦隊を潜水艦隊で撃滅する。

 

 それに成功すれば貴重な時間が稼げる。

 そしてイギリスに空母を派遣してもらうのだ。

 その空母戦力をもって西海岸の日本軍を一掃し、西海岸一帯の秩序を取り戻す。

 そしてワシントンDCの臨時政府と連携し、アメリカ全土の秩序を回復しつつ日本との講和交渉に臨む。


 アメリカを救うにはそれしかない。

 

 幸い日本軍はオアフ島の燃料タンクを見逃した。

 潜水艦隊が活動するのには充分な燃料がある。


 全てを潜水艦に賭けよう。


 キンメル大将はそう考えていた。



 真珠湾攻撃において南雲機動部隊が見逃した重油タンクには60万トンもの燃料があった。

 

 史実においてアメリカ太平洋艦隊司令長官として日本と戦い勝利したニミッツ提督は戦後に自著で次の様に語っている。

「(あの重油タンクは50口径(12.7ミリ)焼夷機銃弾で機銃掃射すれば破壊できただろう)」

「(もし重油タンクが破壊されていたら、ヨーロッパ全体で重油とガソリンが酷く不足していた事を考慮すれば、その重油の保有量を回復するのに何年もかかったであろうし、我々の太平洋での戦いもそれに応じて延期せざるを得なくなった事であろう)」


 アメリカ海兵学校歴史学部のE・B・ポッター教授は、その著書の中で、真珠湾の燃料が失われたらアメリカ太平洋艦隊はアメリカ本土西海岸へ後退する事になっただろうとしている。



 アメリカは大国ではあるが、だからと言って何でもかんでも右から左に直ぐに揃える事などできない。

 真珠湾の重油が失われた場合のニミッツ提督とポッター教授の予測は、それを示している。


 実際、アメリカは大戦初期にUボートの活躍でタンカー不足に陥っている。

 それは深刻でアメリカ国内ではガソリンを配給制にし、大急ぎで石油パイプラインの建設を始めたぐらいである。

 タンカーが短期間に直ぐに数を揃えられたり、代替案があったのなら、そんな事にはならなかった。


 護衛艦の不足も深刻でイギリスとカナダから合計25隻ものフラワー級コルベットの譲渡を受け、急場を凌いでいる。

 アメリカの建艦能力は極めて高いが、開戦初期にはまだその力は充分に発揮できないからだ。何事にも時間がかかる。


 ミッドウェー海戦では、アメリカ海軍は訓練未完了のパイロットさえ出撃せざるを得なかった。


 正規空母にしても1942年10月には日本との激戦の結果、太平洋に無傷の正規空母が1隻もいない状況になっている。


 アメリカは大戦中に124隻もの護衛空母を建造しているが、大西洋での船団護衛に初めてアメリカの護衛空母が参加したのは1943年3月になってからである。  


 1943年1月にはアメリカで高級船員と機関士の不足が深刻化しており、それがニューヨーク・タイム◯にさえ載っている。 


 アメリカは大国だから問題が生じれば何でも直ぐに解決策を見出せると思われがちだが、そんな事はない。

 時間が解決するしかない問題も少なからずあるのである。

 



 それはともかく、史実における真珠湾攻撃では日本軍の第一次攻撃の第二派攻撃では、被った飛行機の損害は20機にもなり、第一派攻撃の損害の9機の倍以上であり、奇襲というよりは強襲となった。


 この損害からして第二次攻撃を行ってもアメリカ軍は待ち構えているだろうから更に被害は増大する可能性があり攻撃を行っても無駄だっただろうという説がある。


 現代日本において防衛研修所戦史室が編纂した日本の公刊戦史である「戦史叢書」の第10巻「ハワイ作戦」に、機動部隊の指揮官であった南雲忠一中将が第二次攻撃をしなかった理由が載せられているが、正に理由の一つがそれだった。


 だが、果たして本当に被害は増大したのであろうか。

 第二派攻撃での損害を分析してみると、そこには偏った損害がある事がわかる。

 真珠湾を攻撃した第二派の部隊は3種類の部隊に分類される。


 戦闘機隊の35機、急降下爆撃隊の78機、水平爆撃隊の54機。

 このうち損害が出たのは戦闘機隊の6機と急降下爆撃隊の14機で、水平爆撃隊には1機も撃墜されていない。


 急降下爆撃隊の被害が水平爆撃隊に比べ何故増大したのかと言えば目標の違いと状況の違いによる。

 急降下爆撃隊は敵艦艇を目標にしていた。

 水平爆撃隊は地上の飛行場や格納庫を目標にしていた。


 そして急降下爆撃隊は、第一派の攻撃で炎上した軍艦から出る爆煙により視界が悪く、そのため一度降下して目標を確認してから上昇し、再度降下して爆撃を行った。そのため、敵艦船からの砲火に晒さられる割合が通常の二倍になったのである。

 通常なら一度の降下で爆撃するところを二度も降下したのだから撃墜される確率も二倍に高まろうというものだ。


 そもそも急降下爆撃隊は攻撃目標が対空射撃をしてくるという状況だった事もある。

 一方、水平爆撃隊は目標だった地上の飛行場や格納庫を問題なく爆撃できている。


 こうした事を鑑みれば、もし第二次攻撃を行ったとしても重油タンクの位置から考えれば、それほど煙に邪魔される事もなく、敵艦船からの距離もある程度はあるため敵砲火に撃墜される確率は艦船攻撃よりは低く爆撃を行えた可能性がある。


 第二派攻撃が終わった後に炎上する真珠湾上空を飛ぶ第二派攻撃隊の機体を写した写真が現存している。

 その写真を見ると煙に邪魔される事なく重油タンクを爆撃できる事がはっきりわかる。

 煙は湾外の方向に流れており重油タンクが目視できるのだ。


 第一派の攻撃でも水平爆撃隊には1機の損害も出ていない。

 水平爆撃をメインに第二次攻撃を行えば、それなりの損害を与える事が可能だったかもしれない。


 敵戦闘機による迎撃の可能性は否定できないが、第二次攻撃隊に大きな被害を与える程の機数が迎撃に上がれるかは疑問だ。


 何故なら、第一次攻撃の二派に渡る攻撃と戦闘で多くの機体が失われたからだ。

 第二派の戦闘機隊の損害が増加した理由も空戦であり、日本側の損害も増加したが、アメリカ側の戦闘機も戦闘できる機体が減少し第二派攻撃が終了する頃には迎撃にあたれるアメリカ軍の戦闘機は殆どいなくなっていた。


 見過ごされがちだが、真珠湾攻撃においては多数のアメリカ軍航空機が破壊された事も評価されてしかるべきだろう。


 真珠湾における第一派の攻撃は7時49分に開始され第二派の攻撃が終了したのは9時45分だ。

 約2時間攻撃が続いたわけで出撃できる機体は殆ど出撃しただろう。

 実際、日本軍の攻撃が終わった時点で、サミュエル・エリオット・モリソン少将の著書によれば飛べる機体で武装していた機は殆ど無かったという話だ。

 急いで損傷した機体の修理と整備を行ってもどれだけの機体が飛べるようになるか。

 第二次攻撃隊の戦闘機隊を制圧できるだけの機体を準備するのは難しいのではないかと思う。


 そういう事から第二次攻撃を行ったとしても大きな損害を負う事なく攻撃を終える可能性も否定できないのではないかと思う。


 また、第二次攻撃を行う場合、第一次攻撃のように二派に分かれて攻撃した場合、第一次攻撃の第一派から続けて数えると第三派攻撃、第四派攻撃となるわけだが、第四派攻撃まで行うと母艦に帰還する頃には完全に夜間になってしまう。

 しかし、第三派のみなら夜になる前に帰還できる可能性もある。


 第二派が帰還したのは午前11時30分頃だが、その頃には第一派で出撃した機体は第二次攻撃の準備を終えていた。真珠湾まで片道約2時間である事から考えると夜になる前に帰還する事は不可能では無いだろう。

 第三派だけで充分なダメージを与える事ができるかどうかは実際にやってみなくては分からない事ではあるが、重油タンクなどは大型の固定目標であるからその可能性はあるだろう。

 こうした事から第二次攻撃の実行は充分に可能性があるのではないかと思う。



 そうした話しはともかく、この歴史において、ハワイにいる14隻の潜水艦と、アジア艦隊からの増援12隻の全艦の燃料(重油)タンクを満タンにするのに必要な量は約1万900トン。

 パナマに退避した艦隊が数万トンを持って行ったが、それでも暫くの間、潜水艦隊が活動するのには充分な燃料があった。


 ハワイのアメリカ太平洋艦隊の14隻の潜水艦。

アルゴノート級1隻 1928年就役    燃料(重油)搭載量696トン

ナーワル級  1隻 1930年就役    燃料(重油)搭載量732トン

ドルフィン級 1隻 1932年就役    燃料(重油)搭載量412トン

カシャロット級2隻 1933~1934年就役 燃料(重油)搭載量333トン

ポーパス級  3隻 1935~1937年就役 燃料(重油)搭載量347~373トン(細かい設計変更で3タイプ有り)

タンバー級  6隻 1935~1937年就役 燃料(重油)搭載量374~385トン(細かい設計変更で2タイプ有り)


 アジア艦隊からの増援12隻の潜水艦。

サーモン級 4隻 1937~1938年就役 燃料(重油)搭載量384トン

サーゴ 級 8隻 1939年就役  燃料(重油)搭載量428トン



 なお、史実においてアメリカの潜水艦は通商破壊作戦に投入され大きな戦果を上げている。

 ただし、それは真珠湾攻撃による戦局の流れの中で、そうした役割を担っただけであり、最初から意図したものではなかった。


 開戦前のアメリカ海軍の潜水艦の戦術構想では、日本と同じく艦隊決戦での尖兵たる役割りがアメリカの潜水艦にも与えられていた。

 艦隊決戦における戦艦対戦艦の主力艦同士の戦闘の前に、潜水艦は敵艦隊の戦力を削ぎ落す事が求められている。


 真珠湾攻撃により戦艦を中心とする艦隊決戦構想が崩れた為、アメリカの潜水艦には通商破壊作戦という新たな役割が与えられたのだ。


 アメリカ海軍では潜水艦による通商破壊作戦は、戦前の作戦計画では重要視されていなかったのである。

 

 しかし、今回の歴史においては、アメリカ太平洋艦隊の潜水艦は、艦隊決戦の尖兵ではなく、通商破壊作戦でもなく、太平洋艦隊の主要戦力として、敵主力艦隊撃滅が期待された。

 脇役から一気に主役の役割が期待されている。


 だが、キンメル太平洋艦隊司令長官は知らない。

 燃料は充分にあっても潜水艦の搭載する最大の武器、魚雷には問題があり、欠陥品とも言え、史実でも不発魚雷が多かった事を……



 キンメル太平洋艦隊司令長官は考えていた。


 日本艦隊撃滅に潜水艦隊を主力にするのはいい。


 問題はハワイにおける将兵の士気が低下している事だ、と。


 現在、損傷を受けた艦艇の修理を大急ぎで行っている。しかし、その速度は満足できるものではない。

 破壊された航空機の修理も同様だ。

 空襲の被害を受けた箇所の補修や残骸の片づけも遅れ気味だ。

 日本軍の上陸に備え陣地を構築しているが、それも捗っていない。


 目の前で主力の戦艦の殆どが沈み多くの将兵が負傷した。

 その上、本土の酷い状況が伝わって来ている。

 更には補給が来ない。

 士気が落ちるのも当然だ。

 

 本土の状況と補給については箝口令を敷いたにも関わらず末端の兵士達にまで話しが漏れている。

 無理も無い。気持ちはわかる。黙ってはいられないだろう。

 と、キンメル太平洋艦隊司令長官は渋い顔をした。


 真珠湾が攻撃を受けて以来、ハワイのアメリカ軍は浮足立っている。

 何とかしなくては……とキンメル太平洋艦隊司令長官も思うが、なかなか有効な手を打てないでいた。


 史実において真珠湾攻撃を体験したある中尉は、当時の真珠湾の様子を「皆脅えいた。そうでないと言う者がいたら、そいつは嘘吐きだ」と後に語っているが、今回の歴史ではその脅えがまだ持続していた。


 史実では真珠湾攻撃の後、あらぬ噂が将兵の間を飛び交っている。

 

 敵の潜水艦が真珠湾の湾内にいる。

 ダイヤモンド・ヘッドに敵兵が上陸した。

 バーバーズ岬に敵兵が上陸した。

 カネオヘ湾に敵兵が上陸した。

 破壊工作員が基地内で活動している。

 敵降下部隊がオアフ島の山岳地帯に降下した。

 

 これらの話しは真珠湾攻撃当日にオアフ島にいたアメリカ兵の間で噂されたものだ。


 その日の夜は多くの将兵が神経過敏になり、ちょっとした事で発砲騒ぎが相次いでいる。

 洗濯物を載せた手押し車の車輪の音が機関銃の音に聞こえ、兵士達が発砲する。

 大きな物音がしただけで、遠くに車のヘッドライトが見えただけで、発砲が行われた。

 それどころか、夜空に輝く星を日本機と見間違え対空砲が火を噴いている。

 味方同士で撃ち合いも発生している。


 更には夜間に着陸しようとした海軍機が射撃され撃墜された。

 前もって管制塔に着陸の許可をもらい、管制塔は全軍艦と陸軍の対空陣地に連絡を入れていた。

 にも関わらず、全対空砲火が浴びせられたのではないかというぐらい、対空砲による射撃が行われたのである。


 狂騒状態だった。

 それが史実であり今回の歴史でもある。

 

 そして今回の歴史では、真珠湾攻撃から約2ヵ月経った今も、その狂騒状態は多少はおさまったが、それでもなお持続していた。

 未だに敵工作員や敵兵上陸の噂が後を絶たない。


 皆、不安なのだ。


 これが史実のように本土から補給が絶え間なく届き、兵士が増強され、武器が補充され、家族、友人、恋人からの手紙が届き、新聞や雑誌が届けられれば将兵達の不安も和らいでいっただろう。


 だが、しかし……

 今回の歴史では、本土が壊滅状態になり連絡途絶状態の為にオアフ島のアメリカ軍将兵は孤立感を深めていた。

 本土にいる家族や友人や恋人はどうなっているのか……

 無事なのか、どうなのかさえわからない。


 これでは士気が上がる筈もない。

 

 本土についても多くの情報が入り乱れていた。

 箝口令などもはや誰も守ろうとしていない。

 建て前としては守られているが、裏では噂が咲き乱れている。


 ワシントンDCが日本軍に占領されルーズベルト大統領が処刑された。

 ニューヨークが日本軍に占領された。

 ロサンゼルスとサンフランシスコが占領された。

 シカゴが、ニューオーリンズが、ニューハンプシャーが、コロラドが占領された。

 日本が新型の特殊爆弾を使い、沢山の大都市をソドムとゴモラのように滅ぼした。

 そんな悪い噂が飛び交っている。

 一部は真実である。


 キンメル太平洋艦隊司令長官はそんなオアフ島で毎日視察に赴き、でたらめな噂を信じないよう言い、士気を鼓舞しようと試みてはいるが、うまくいっていない。

 

 せめて何か良いニュースでも入ればいいのだが……

 キンメル太平洋艦隊司令長官のその思いは、既に神への願いと化している。


 キンメル太平洋艦隊司令長官の苦悩は大きく責任は重い。

 それでも彼はそれを投げ出さず合衆国軍人としてベストを尽くそうとしていた。

 日本艦隊を撃滅しようとしていた。


 果たしてキンメル太平洋艦隊司令長官は将兵の士気を高める事ができるのか。

 日本艦隊撃滅の作戦計画は成功するのか。

 アメリカを救う事はできるのか。


 それを知るにはまだ暫くの時が必要だった。


【to be continued】  

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