R023話 パナマの海にて
1942年2月1日 『パナマ運河 アメリカ海軍基地 フレッチャー艦隊旗艦重巡洋艦ミネアポリス』
「何?」
参謀の報告に思わず声を出し聞き返したフレッチャー少将に参謀が再び同じ説明を繰り返す。
「パナマ方面司令部からの報告によりますと、駐ベネズエラ大使からの連絡では、ベネズエラ政府の回答はアメリカ政府の存在が確認できない為、重油購入について為替手形決済の各方式はどれも受け兼ねるそうです。
取り引きは前払いの送金決済のみ。
駐ベネズエラ大使の話しとして、既に南米ではアメリカ・ドルは紙屑の扱いである事から、必要な資金を集めるのは不可能に近いとの事です。
つまりベネズエラ政府は重油の供給はできないと回答して来たに等しいとの事です」
「メキシコに続き、ベネズエラもか! 人の足元を見おって! 拝金主義者どもが!」
フレッチャー少将は思わず怒りをぶちまけた。
普段はこのように感情を露にするような人物ではないのだが、日本との戦いでアメリカの窮状があまりに酷いため、感情を苛立たせる事が多くなっている。
「大使はイギリスと相談してみると言って来てはおりますが……」
参謀がどうなるかはわからいというニュアンスを多分に含めてそう言う。
「……なんてことだ。ドルの価値が無くなるなど信じられん」
フレッチャー少将はそう言って頭を振った。
軍人になって以来、これまで物資を買い付ける等という仕事とは全く縁がなかったし必要もなかった。
経済だの通貨の価値など全く無関係の世界に生きて来たのだ。
頭痛がする思いだった。
「仕方がない。大使の手腕とイギリスに期待しよう。
ともかく燃料はまだ暫くはもつのだから」
そう言って、フレッチャー少将は大きく息を吐いた。
現在、パナマ運河のアメリカ軍基地にはアメリカ太平洋艦隊の主要残存艦艇が集結していた。
指揮するのはフレッチャー少将である。
ハワイが日本軍にる攻撃を受けた時、フレッチャー少将は巡洋艦ミネアポリスを旗艦として駆逐艦5隻を率いて、ハワイ南方の海域で哨戒任務兼訓練の最中だった。
ハワイが攻撃を受けた後は敵艦隊の捜索を行っているが、見つける事はできなかった。
その後、フレッチャー少将の部隊はハワイ防衛の態勢にあったが、キンメル太平洋艦隊司令長官が大きな決断を下す。
主要艦艇のハワイからの退避である。
キンメル太平洋艦隊司令長官はハワイを守り切れないと判断したのだ。
正確には太平洋艦隊の残存する主要艦艇をだ。
真珠湾の被害の惨状を見れば、戦いの主役が航空機に移り変わった事は嫌でも認識せずにはいられない。
だが、その航空機が今のアメリカ太平洋艦隊には無い。
空母は全て失われた。
サンディエゴで修理中だったサラトガは原子爆弾により大きな被害を被った。
エンタープライズとレキシントンは何と日本軍に鹵獲されてしまった。
当初、エンタープライズとレキシントンの消息が途絶えた時、日本軍に沈められたと考えられた。
しかし、日本の宣伝で鹵獲された事がわかる。
最初はプロパガンダかと思ったが、日本は中立国の記者達に鹵獲した空母を公開し写真も撮らせたのである。
それが世界に伝わるのは早かった。
それで日本の宣伝が真実だと判断するしかなくなった。
大西洋にあった空母も原子爆弾や、何と魚雷艇の攻撃を受け沈められてしまった。
もはや空母はあてにできない。
航空基地も同様だ。
ハワイの地上基地にあった航空機の多くが日本の空襲により破壊されてしまった。
現在、ハワイでは大急ぎで傷付いた飛行機を修理中だ。
中には破壊された航空機を片っ端から調べ、まだ使える部分を見つけては取り外し、それを利用して新たな航空機を組み立てている事もしている。
しかし、問題はアメリカ本国から補充が無い事だ。
アメリカ本土は原子爆弾の嵐に晒され、大都市や港が破壊されている。
当然、工場もだ。
しかも鉄道まで破壊されているという。
補充機などいつ来るかわからない。
残された航空機ではとてもハワイを守り切れない。
もし、ここで再び日本艦隊がハワイに攻め寄せ空襲を行えばどうなるか……
アメリカ太平洋艦隊は全滅する可能性すらある。
そう判断したキンメル太平洋艦隊司令長官は無傷の巡洋艦と駆逐艦をハワイから退避させる決断を下したのだ。
その退避場所に選ばれたのがパナマだった。
本来ならアメリカ本土西海岸の軍港や主要港に退避させたい所ではあったが、日本軍の攻撃により壊滅している。
アラスカにはダッチハーバーがあるが、軍港として整備が始まってから、まだ2年と経っておらず、現状では大艦隊が拠点とするには設備や物資が足りていない。
カナダのバンクーバーという手もあるが、アメリカ政府がこの様な状況ではカナダ政府と協議するのも一苦労だ。
それはオーストラリア政府も同様だ。
オーストラリアについては、それ以外にもアメリカ本土から遠すぎるという難点がある。
日本軍は既に西海岸に上陸しているし、アメリカ本土の混乱状況もどうにかしなければならないのだ。
そうした消去法から、アメリカ本土からある程度の距離で、アメリカ海軍の基地があり、航空戦力があり、要塞砲もあって防備が為されており、海軍の燃料タンクもあり、被害を受けている大西洋艦隊との連携にも便利であり、陸軍も駐屯し、石油生産国で石油精製もして艦の燃料を供給できる国のメキシコとベネズエラにも近いパナマ基地が選ばれたのだ。
司令官に選ばれたフレッチャー少将が指揮する艦隊はパナマ駐留艦隊も含めて巡洋艦7隻、駆逐艦29隻、敷設艦や掃海艇、補給艦等25隻から成っていた。
キンメル太平洋艦隊司令長官はアメリカ海軍の残された中核として、この艦隊をパナマに退避させ温存したのである。
パナマに遊弋するフレッチャー艦隊は、アメリカ大西洋艦隊の残存艦艇と連絡を取りつつ、必要物資の確保に奔走する。
大西洋艦隊司令部は日本軍の原子爆弾攻撃により消滅していた。
必要物資の確保の一つの手段が民間船の徴用だった。
アメリカの主要港が破壊され入港できなくなった貨物船や石油タンカーの中には、アメリカでの入港を諦め戦争が終わるまで、中南米の中立国の港で待機する事を選んだ船も少なくなかった。
ドイツやイタリアの船が戦争で中南米の港に足止めされ待機しているのは有名なのだ。
アメリカでも戦争開始前はドイツの船が港に足止めされ待機を余儀なくされている。
その例に倣おうというのだ。
だが、そうした中南米諸国に向かおうとしていたアメリカ船籍の船をフレッチャー少将は強制徴用し艦隊への物資補給の一助としたのである。
かなり不評を買ったやり方ではあったが。
パナマ海軍司令部はフレッチャー少将に協力する為、中南米諸国のアメリカ大使館に協力を要請し物資を確保しようともした。
しかし、アメリカ・ドルの価値が紙屑同然とあっては、中立国から買い付けるのは難事だった。
結局、連合国の好意に縋り物資を回して貰う事となるが、他の連合国も余裕がなく、苦しい状況は続く。
しかも、アメリカ本国の酷い状況が伝わってくると、艦隊の将兵もパナマ駐留軍の将兵達も非常に動揺した。
アメリカ本国で良いニュースや、味方の勝利、又は何か日本に勝つ方策を示せればよかったが、それも無かった。
その結果は将兵の士気の低下である。
元々、真珠湾攻撃でアメリカ将兵の士気は低下している。
史実においてニミッツ提督がキンメル太平洋艦隊司令長官の後任としてハワイに赴任した時、まず最初にやらなければならなかった事が将兵の士気を上げる事だった。
それ程までに真珠湾攻撃はアメリカ軍将兵に心理的打撃をも与えていたのである。
今回の歴史では、そのハワイから逃げるように艦隊はパナマに撤退して来ていた。
将兵の士気は下がる一方である。
そこで本国の状況が伝わったのだから士気は下の下の下まで下りきったのだった。
パナマに遊弋するフレッチャー艦隊の苦しい状況は、直ぐには好転しない。
好転する要素がまるで無かった。
パナマにいるアメリカ軍将兵の暗鬱な日々はまだ続き、いつ終わるとも知れなかった……
【to be continued】




