R012話 建国の父の甥、起つ!
【筆者からの一言】
今回は日本に縁のある人の登場です。
1942年◯◯月◯◯日 『アメリカ イリノイ州 シカゴ近郊』
シカゴ近郊において一人の男が演説していた。三十代の痩身の男だ。
聴衆は日本の核攻撃により難民になった人々であり、主にポーランド系の移民やその血を引く者達だ。
「ポーランド系の同胞諸君!
私の名はジョーゾオー・ピウスツキ!
私の父はブロニワフ・ピウスツキ! 父はかつてポーランドの為にロシア皇帝アレクサンドル3世を暗殺しようとしてシベリアに流刑にされた。
そして私の伯父は、ユゼフ・ピウスツキ! 大国に分割支配されていたポーランドを100年振りに独立国として復活させたポーランドの父だ!!
そのポーランドを心より愛する2人の血族を持つ者として、ピウスツキの名前を持つ者として、私は今ここにいるポーランド系同胞の窮状を見捨ててはおけない!
故に立ち上がった!
今、アメリカは酷い状況に置かれている!
食料が無い! 薬が無い! 服も靴も無い! 大勢の人々が肉親を失い負傷し苦しんでいる!
それなのに強盗や略奪が頻発し更に人々を苦しめている!
ここは今まさに地獄だ!
だからこそ我々ポーランド同胞は、お互いに手を取り、同じ血を引く仲間として助け合わなければならない!
例え一人一人の力は小さくても、結集すれば大きな力となる。誰も手を出せなくなる!
共に戦おう!
武器を集めた!
食料を集めた!
薬を集めた!
受け取れ同胞ポーランド人!
家族に食料と薬を渡せ。
そして男達は武器を持て!
ポーランド人のポーランド人によるポーランド人のための自治区をここに建設するのだ!!」
「「「「「「「「「ピウスツキ! ピウスツキ! ピウスツキ!」」」」」」」」
民衆から盛大な拍手とシュプレヒコールがわきあがった。
そして、数台のトラックが広場に入って来る。
その荷台に積まれているのは食糧と薬と武器だ。
民衆から更に盛大な歓声がわきあがった。
ジョーゾオー・ピウスツキ。
彼が語った父と伯父の事は本当だ。
特に伯父はポーランドの英雄だ。
18世紀以降、ポーランドはその独立を失い大国に分割統治されていた。
ポーランド独自の王は廃され、ロシア皇帝がポーランド王を僭称する始末である。
しかし、第一次世界大戦後の混乱期において、ポーランド社会党の党首ユゼフ・ピウスツキが立ち上がり、ポーランド共和国を建国したのである。
これは第一次世界大戦後の世界の有り様を定めたパリ講和会議が開かれる直前の事である。
そのポーランド共和国の独立は決して平穏無事な中で為されたものでは無かった。
色々と紆余曲折があり、特に共産勢力との戦いが続いた。
中でも1920年にはソ連を建国したレーニンがポーランドを支配しようと大軍を派遣した為、ポーランドとソ連は激戦を繰り広げる事となる。
その戦争に勝利しポーランドは独立を確固たるものとするのである。
そうしたポーランド独立の中心にいて指導者だったのがユゼフ・ピウスツキであり、故にポーランド建国の父とも呼ばれる所以である。
ただし、ジョーゾオー・ピウスツキは全てを語ってはいない。
特に彼の出自について。
彼の母親は日本人なのだ。
ブロニワフ・ピウスツキは流刑先のサハリンで労働の合間に少数民族の研究と彼らへの教育に携わる事になる。
1897年にニコライ二世の即位による恩赦で減刑され、刑期満了となっても、彼の少数民族の研究と教育の熱は冷めず、ポーランドとサハリンを何度か往復する事となる。日本にも立ち寄っている。
その歳月の間にアイヌ人の女性と結婚し1903年に男の子が、1905年に女の子が生まれている。
このアイヌ人の女性は日本国籍を持つ日本人だった。
ブロニワフ・ピウスツキは妻子をポーランドに連れ帰りたがったが、妻の親族が反対した為、それは叶わなず1906年に日本をあとにする。
そして日本に再び来る事は無かった。
その後のブロニワフ・ピウスツキはアイヌ文化をヨーロッパの博覧会で紹介したり、本を敢行したりしながら、ポーランド独立運動にも身を投じ、1918年にフランスで死去している。
日本に残した子供達は日本人として育てられ、長男の木村助造は日本人としての生を全うし1971年に68歳で亡くなっている。
それが史実である。
しかし、今回の歴史では違う。
木村助造を若いうちに閑院宮摂政の工作機関がスカウトし、ポーランド語を学ばせ何十年も前からジョーゾオー・ピウスツキとして、アメリカに送り込んでいたのである。
そして閑見商会のダミー会社の経営者という表の顔を持たせ、ポーランド系コミュニティに接触させ信頼を築き上げさせていた。
ポーランド人もかなりの人数がアメリカに移民している。
まだ、第一次世界大戦が始まる前の1901年から1910年の10年間に限っても約75万人が移民としてアメリカに渡っており、第二次世界大戦が始まる前には300万人を超えるポーランド系移民がいたと言われる。
そしてシカゴには30万人を超えるポーランド系の人々が暮らしていた。
その多くが今回の歴史では日本のウラン弾(原子爆弾)の犠牲となったのであるが。
ジョーゾオー・ピウスツキは閑院宮摂政がアメリカに送り込んだ君主や指導者の末裔の中で、唯一人の日本人工作員であり、日本の為にこの行動をしていると自覚している者であった。
彼には工作員になる時に、残される妹や母親、その他親族について生活の面で優遇措置が実施されるとの説明を受けており、実際にそういう措置がとられている。
ジョーゾオー・ピウスツキは真実、日本の為と信じ、家族が良い暮らしをできると信じ、表向きはポーランド系の人々を救うという大義名分を掲げ、ポーランド系コミュニティを纏め上げ、その勢力圏を確立するのに尽力していく。
その真実をポーランド系アメリカ人達は知らない。他のアメリカ人も当然、誰も知らない。
全ては閑院宮摂政の手のひらの上で踊らされている出来事に過ぎない事を……
果たしてこれからアメリカの大地は如何なる歴史を刻むのか。
それは、まだ誰も知らない……
【to be continued】
【筆者からの一言】
次に登場するのは再び◯◯◯◯◯の血縁です……




