傷つかせたくないのに、と 。
時々、忘れてしまう大切なこと。
律野くんとは去年、委員会が同じだったから知り合った。
いつも気づいたら姿が見えなくて、みんながその存在を忘れて会議が進んでいたり、計画が進んでいたりした。
でも、大切な見落としや重要なのに誰も気づいていない点を指摘するのはいつも律野くんだった。
発言こそしないものの、律野くんは誰よりも会議の話を聞いていて誰よりも理解していたように思う。
それこそ、表に立たなくても目立たなくても律野くんが一番、委員会の仕事において真面目だった。
「律野くんは偉いよね」
私は解いたばかり問題を律野くんに渡しながら苦笑した。
計算の手が止まるたびにくれる一言は短いのに的確で、始めてこんなにこの手の問題がすらすら解けた。
「偉いの定義が南さんの中でどうなっているかわかりませんけど、僕はすごくありません」
「だって、委員会も真面目にやってるし数学もできるし教えるのもうまいし」
さらさらと赤いペン先が回答の上を滑っていく。
それをぼんやりと見つめる。
筆圧なんてないみたいな軽やかなペン運びは本当に音もなく赤い丸をつけていく。
「私なんか委員会もまともに役に立てないし、数学はできないし、馬鹿だし。人に頼ってばっかり。律野くんみたいにえらくなりたいよ」
「僕は南さんが時々、羨ましい」
「え?」
不意に崩れた口調にまじまじと律野くんを見てしまう。
回答に丸をつけていくその表情は前髪に隠れてよく見えない。
「どうして? 律野くんはいつも一人でもちゃんとできてるでしょ?」
本当にそう思って口にすれば丸をつけ終わったノートを渡される。
律野くんは相変わらず変わらない無表情で緩慢に瞳を瞬いた。
「南さんに言われると思いませんでした。悪意がなくてもさすがに少し傷つきました」
何を言われたか分からずに、立ち上がった律野くんを呆けたまま見つめる。
「少しだけ席を外します。次のページの問題を解いておいてください」
足音すら立てずに律野くんが教室を出て行く。
その背中を何も言えずに見送ってから、私は自分がとんでもないことをしてしまったような気持ちになった。
律野くんがいつも静かであまり人と関わらないから、どこかでそれが律野くんの望んだ形だと思い込んでいて。でも、それは私が勝手に作り出した律野くんで。
だから、一人でも大丈夫な人だなんて無意識に口にしていたんだ。そんな人いないのに。
「どうして私、頭が足りないんだろう……」
シャーペンを握りしめて私は一人きりの教室で呟いた。
影薄の彼のセリフ
3.さすがに少し傷つきました




