慣れないでよ、と。
落ち着くってことだよ、て言いたい。
数学が嫌いなのはなんの物語性もないからだ。
作業的なただの脳の活動。私にはなんの生産性もないと思えてしまう。
私ができないところでこの答えは誰かがすでに解いているではないかと不貞腐れたくなる。
国語はこの答えは自分が辿り着いたと思えるし、歴史も生物も英語も物語性があってできなくとも楽しい。
そもそも人間、算数ができれば十分なのだ。
「手が止まってますよ、南さん」
とんとん、と軽くノートを叩かれた。
律野くんの指は細くて白くて綺麗だな、なんてぼんやり思ってからはっとする。
「問題文が解読できないから停止してるんですか?」
「考え事してた」
正直にごめん、と頭を下げる。
律野くんはそうですか、とだけ呟いて黙った。
しばらく次の言葉を待ってから、会話が終了したのだと気づいてなんだか肩透かしを食らった気分になる。
問題文に再び向かいかけると、律野くんとは違う声をかけられた。
「南、なにしてんの」
「数学やってるんだよ、宮間」
「テスト終了したばっかりなのにご苦労なことで」
教室にクラスメートの宮間が肩を竦めて入ってくる。
当たり前すぎる宮間の反応に思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……赤点候補だから」
「え、お前って意外と馬鹿な部類に入るのか」
「数学ができる人が天才なんだよ」
「なら、俺は天才になるというわけだ」
机の横に立った宮間はにやにやと笑う。
どうやら課題のプリントを机の中に忘れたので取りにきたらしかった。
そこから他愛のない話を少しして、教室から出ていく宮間を見送った。
ふぅと何気なく吐息を零してから、正面に座る律野くんと目があった。
さあっと血の気が引く。
「ご、ごめんっ! 律野くん私のために付き合ってくれてるのに」
慌てて謝れば、律野くんは普通に私を見返した。
「いいえ。空気扱いには慣れてますから」
それがあまりにも皮肉にも自虐にも染まっていなくて、まるで世界の理を示すみたいに淡々としていて、気づけば私はがたんっと椅子から立ち上がっていた。
「南さん?」
かたりと無表情で律野くんは首を傾げる。
その仕草にさえ限りなく色はなくて。
「安心するよ」
口から伝いでた言葉は脈絡も何もない。
「私は律野くんが律野くんだから安心するよ」
「南さん……?」
わずかに示された戸惑いに、いたたまれなくなって再び椅子に腰を下ろす。
見つめてくる視線から逃げながら、不貞腐れたように呟く。
「……空気がなかったら人間は生きていけないんだよ」
「さすがに僕でもそれくらいは知っています」
「うん、そうだよね」
たとえ言った本人が淋しくなくても、言われた私が淋しいんだとわからない律野くん。
淋しいと律野くんが思っていないのだから意味がないとわかっていても、こんな言葉しか吐けない自分が馬鹿らしい。
律野くんはそんな私を不可解だと伺うようにしながらも、再度ノートをとんとんと叩いた。
「では、呼吸をしているんですからそれに見合うぐらいの活動はしてください」
「うん」
慣れてるって時々言葉は淋しいみたいだ。
影薄の彼のセリフ
2.空気扱いには慣れてますから




