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僕の羊と君が眠るまで。  作者: シュレディンガーの羊
◇僕がきみの手を5題
19/32

親愛なる裏切り者。




他人を裏切るなら

自分の心も裏切るべきだと思った。




嫌いかと誰かに問われれば僕はきっと頷くだろう。


「イーシュローグ。好きよ」

「うるさい、しつこい、僕に触るな」


抱き着かれた左腕を引き抜きながら、うんざりする。

相手はそれが理解不能という風にきょとんとした。


「わたくしの愛が信じられない?」

「悪いけど、まったくもって信じられない」

「だから、わたくしは愛を信じられない貴方の心を溶かしたいの。好きよ、好きなのよ、イーシュローグ」

「生憎と僕ははお前が苦手だ、ソラリス」


彼女のお嬢様言葉も、芝居がかった仕草も声も、すべてが気に食わない。

僕のことを好きと口にするその口をどうすれば塞げるのだろうかと毎回苛立つ。

国を守るための研究機関。

ここはどうにも変人が多いが、それにしても僕にこんなに構うなんて彼女以外にいない。

憮然とした顔を向けていれば、ソラリスはなぜか幸せそうに相好を崩した。


「照れているイーシュローグも可愛らしくて素敵だわ。好きよ」


ふふ、とソラリスはそう笑って駆けていく。

僕の姿を見ればすぐに駆けてきて抱き着くが、離れていくのは早い。

軽やかに走り去っていくソラリスを見て、今日も僕は一人眉根を押さえた。




好きだと初めて言われたのは、いつだろうか。

機関の施設にある中庭のベンチ。

そこで僕は休憩がてら、読書をしていた。


「好きよ」


ふいに耳に届いたそれは聞き流すに値した。

それよりも本の内容のほうが重要度が高かったのだから当たり前だ。


「無視するのはいただけないわ」


けれど、すっと白い指が本を取り上げた。

本を読むために落としていた視線が、僕の靴と向かい合う薄桃色の靴を捕らえる。

長い琥珀色の髪が地面につくかというぐらい緩やかに伸びていた。

訝しげに正面に立つ人物を見上げる。

目があうと彼女は聡明そうな瞳を柔らかに細めて言った。


「好きよ、イーシュローグ」




それからは毎日だ。

好きと言われ、腕に抱き着かれ、やたらと付き纏われる。

同期に愚痴を零せば、モテているからって調子に乗るなと足蹴にされるばかりだ。

理解できない。

そもそも僕は彼女と知り合いになった覚えはないし、一目惚れならもっと適役がいるだろう。

突然表れ、告白され、困惑するなというほうがおかしい。

けれど、この光景はすでに見慣れたものになったらしく、


「おー、今日もやってるなー」

「頑張ってね、ソラリス!」

「イーシュローグも早く靡いてやれよ」


見知らぬ機関の人間からさえ、そう茶化されて終わりだ。

目立ちたくなく、知り合いはできるだけ増やしたくなかった僕にそれは随分と不服な事態で動きにくかった。

当事者の僕が順応するより早く、周りのほうが何倍もこの光景を楽しんでいる。

ソラリスもそれに笑って、もちろん頑張るわ、なんて答えるから、結局ピエロは僕一人だ。




「イーシュローグ」


ふわりと左腕に抱き着かれた。

緩やかにウェーブした髪が腕を撫でる。


「わたくしも一緒に帰るわ」

「うるさい」

「あら、今日は振り払わないのね」


きょとんとしてソラリスが僕の腕を抱いたまま目を瞬いた。

その顔を見て、知らずに問うていた。


「なんで僕に構う」

「もちろん好きだからよ。いままで知らなかったの?」

「違う。僕に付加価値はない。確かな理由をよこせ」

「それは納得させてみせろということね?」


ソラリスは困ったように唇に人差し指を当てた。

その仕草さえ、心を逆なでする。

ソラリスはすっと猫のように目を細めた。

そして次に囁かれた言葉に、僕は表情が繕えなかった。


「わたくしがあなたの秘密を知ってしまったから。それも付加価値になるかしら? わかるでしょう? 心当たりあるでしょう? 予想はついているでしょう? でも、だから、わたくしを信じないんでしょう?」


ねぇ、イーシュローグ?――――歌うようにそう告げられ、その笑みを睨みつけた。

ソラリスは少しだけ悲しそうな目をする。


「でも、わたくし、本当にあなたが好きなのよ。好きになってしまったのよ」

「知っているなら、なおさらに信じられない。信じろというほうが無理な話しだ」


棘を隠さずに、吐き捨てる。

いつもは冷静な思考がどこか熱を持つ。

ソラリスは一拍おいてから、くすくすと妖艶に笑った。


「わたくしを利用しなくてよろしいんですの? 冷静じゃなくってよ、イーシュローグ」

かっと頭に血が上った。

それは腹立たしさか羞恥か。

乱暴に腕を振り払う。


「密告したいなら、勝手にすればいい。お前の思い通りになってたまるか」

「……あなたが隣国のスパイだなんて、誰にばらせばいいの? そうしたらあなたは破滅よ。この国でも、母国でも罰されるに違いないわ」

「確かにはったりじゃなかったみたいだな。この国を愛しているんだろう? なら、騎士団にでも駆け込めばいい」


皮肉るように両手を広げてみせれば、ソラリスは目を伏せた。

理解されないのが悔しいというように唇を噛む。

馬鹿じゃないかと思った。


「お前、どうして僕が好きなんだ?」


どうしょうもなく謎だった。

いま、理由を聞いてさえわからない。

僕がスパイだから惚れたのか。

ずっと演技だと思っていた彼女の仕種ひとつひとつが頭の中を過ぎていく。

ソラリスは微かに潤んだ瞳で僕を見上げた。

何も言わずに見つめかえせば、躊躇いがちに彼女が僕の手を優しくとった。

それは普段の彼女からは考えられないくらい頼りない震える指先。


「泣いて、いたからよ」


囁くように彼女が紡ぐ。


「あなたがスパイだと知った時、問い詰めに行こうとしたわ。いつも中庭のベンチにいたのを見かけていたから。だけどその時に泣いているのを見たの。あなたは任務だと理解しながらも、機関の人達を知るたびに裏切ることに傷ついてた。悲しいほどに優しい人だと思ったのよ」


零される音に堪えるように口を閉ざす。

優しさなどではなかった。

すべては脆弱で臆病な自分。

でも、彼女は言う。


「そう思ったら、誰にも言えなかった。だから、私が監視していようと思った。でも、気づいたら好きに、なっていたのよ」

「……ソラリス」

「優しさを見つけるたび好きになって。いけないってわかっても好きで。だからせめてあなたにあしらわれるくらい明るくって」


溢れた涙を見た瞬間に何かが弾けた。

握りかえした手にソラリスが涙を止める。


「イーシュローグ……」

「僕の本当の名前はイーシュローグじゃない。でも、それでも、許されるなら」


請うように覗き込んだ彼女の瞳から、涙が一粒だけ頬を滑り落ちた。

それから彼女は花が咲くように笑った。


「わたくしが許すわ」


その一言で迷いは消えて、引き寄せて抱きしめた。

僕はすべてが信じられなかった。

裏切り者の自分は誰に裏切られても文句なぞ言えない。

だから。だから嫌いだった。

僕を好きだという彼女が。

でも、裏切り者でも愛されたなら。

彼女が僕を許すなら。

僕は自分と彼女には素直になろう。

腕を解いてソラリスを見つめて僕は口を開いた。


「イーシュローグはソラリスを愛する」


ソラリスは笑った。笑って言った。


「えぇ、わたくしも愛してる。イーシュローグだけを愛してる」








僕がきみの手を5題。

きみの手を握りかえしたのは、

4.やっと素直になれたからで、

『確かに恋だった。』より



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