泣虫姫と薔薇の庭。
救われたのは、
本当はきっと私のほうで。
「ローエル!」
早足に廊下を歩く私の後ろを小走りにシャルレがついてくる。
今は資料を腕にこれでもかと抱えているから、迂闊に振り返ることも足を緩めることもが出来ない。
「どうしました、シャルレ。おやつなら料理長に、宿題なら先生に、ちなみに今日の夕餉は君の好きなキドニーパイですよ」
「キドニーパイ! 料理長はやっとリクエストに応えてくれたのね」
嬉しそうに弾んだ声音に、少し心が柔らかくなる。
それでも資料を取り落とさないように気だけは緩めないでバランスを保つ。
「それで、シャルレ。用はないんですか? 私はこの資料をご主人様に届けなくてはいけないのですが」
「そうなの! 庭の薔薇が綺麗に咲いたから後でローエルとお茶したいと思って」
残っている仕事を思い出して、死ぬ気でやればあと小一時間で終わるなと即座に答えを弾き出す。
まるで当然とでも言いたげなその思考回路に我ながら苦笑する。
私はシャルレに甘いのかもしれない。
「わかりました、では一時間後に」
「えぇ。一時間後ね!」
おそらく後ろで満面の笑みを浮かべているであろうシャルレ。
その表情をありありと思い描けて私は少し懐かしくなった。
小さい頃、シャルレは泣き虫だった。
庭の花が枯れては瞳を潤ませ、転んでは目を赤くし、友達に悪口を言われれば涙を零した。
そうしてよく仕事に追われて屋敷を駆け回る私の後ろをとたとたと目をこすりながらついて来た。
歳が近かったから、兄のように思われていたのかもしれない。
そして、最終的には机につく私の服の袖を掴んで迷子のように人目も憚らずに泣いた。
だから、新米だった私はしょうがなく仕事を放って、彼女を庭につれだしたりもした。
私が懐かれたのはそれが理由かもしれなかった。
そして、私が彼女に甘いのもきっとそのせいだろう。
庭にあるテーブルについて二人で紅茶を飲む。
シャルレが言っていた件の薔薇はまだ多くが蕾で、少ししか咲いていなかった。
せっかちな彼女らしい。
それでも口元が緩んでしまうのだから私は相当甘いようだ。
私の表情の機微に気づいて、シャルレが小首を傾げた。
「ローエル、どうかしたの?」
「いえ、来週あたりに咲くものだと思っていたので驚いていたんです。綺麗に咲きましたね」
「毎日、私が水をあげたのよ。早く咲きますようにって」
シャルレが柔らかく微笑を浮かべる。
幼い頃の面影はありつつも、それでも綺麗になった。気品と知性が滲むようになった。
そのまま見つめていれば、ぱたぱたとシャルレが顔の前で手を振る。
「なに、ローエル。そんなに見ないで」
「すいません。ただ、お綺麗に成長されたなと思いまして」
「ロ、ローエルだって成長したわ。私と四しか代わらないのにこんなに差がついてしまって、少し不服なんだから」
シャルレがカップを置いて立ち上がる。
私も椅子から立つ。そして、どちらともなく庭を歩き始める。
二人で黙ったまま庭を見ていく。
前を歩くシャルレの背中を見て、なぜか少しだけ淋しさが募った。
それを振り払うように記憶漁り、思い出を唇に載せる。
「シャルレは泣き虫でしたね。よく泣いた貴女と庭を歩きました。覚えていますか?」
「もう、そんな古い話しを持ち出さないでほしいわ。泣き虫は卒業したもの」
「えぇ、立派な淑女になられましたね」
そう笑ってから思い至る。
ならば、淋しい理由はそれかもしれない。
いつの間にか彼女は袖を引くことも、涙を見せることもなくなった。
毎日会うものだから、成長に気づかなかったのか。
ふいにシャルレが私の手をとった。
驚いて目を向ける。
シャルレは目線を下げ、慈しむように両手で私の手を包む。
「よくこうして一緒に歩いたのよね」
向けられた笑みに一瞬、言葉をなくす。
そして、とても簡単なことに今更気づいた。
泣いた幼いシャルレと庭を歩くとき、いつも縋るように手を握られた。
不安を消したいというように一心に小さな手で。
あの頃、私は私が彼女から不安を取り去っていると思っていた。
でも、違ったのだ。
「ローエル?」
どうかしたの、と覗き込む瞳。
気づけばなんて呆気ない。
さっきまでの淋しさはもう見る影もなくて。
「……ありがとうございます」
「え?」
戸惑うシャルレの手を握りかえす。
あの頃、不安を消したかったのは本当は私だった。
救われたのは手を握った彼女ではなく、握りかえす私だった。
消えていく不安の代わりに、風が吹いて何かが色づく。
「シャルレ」
「なに? ローエル」
見上げてくるのはあの頃の少女ではなくて、綺麗に成長した穏やかな彼女。
顔が自然に綻んだ。
「待っていてくださいね」
「え、なにを?」
さらに疑問符を浮かべるシャルレに笑う。
まずはご主人様にどう言うか。
それを考えてなぜかまた笑ってしまった。
僕がきみの手を5題
握り返したのは
3.不安を消したかったからで、
『確かに恋だった。』より




