閑話 ~ 遺された手紙 ~
父から、我が子に遺した、最初で最後の言い訳。
「父様!」
簡素な扉を勢いよく開ける。
ギィ、と音を立てて閉まる扉の奥は、薄暗く、小さな虫の気配すら感じられなかった。
「父様! どこに……どこにいらっしゃいますか」
薄暗い室内へと足を進めながら男は周囲を見廻し、目当ての人の姿を捜し求めた。
備え付けられた寝台や机と言った家具には布が掛けられ、その上には、薄っすらと埃が積もっていた。
「また……間に合わなかったのか……」
男は、ぎりり、と音がしそうなくらいに両手を握り込み、手近にあった机と思しき台に叩き付けた。
その衝撃で、掛けられていた布が、するり、と滑り落ちる。
机の上には何も置かれていなかった。
だが、男は机から目を離すことができなかった。
二つある引き出しの一つを、そっと引き出す。
几帳面に角ばった字で、『まだ見ぬ我が子へ』と記された封筒が一通、そこに残されていた。
* * * * * * *
これをお前が見る頃は、恐らく、私はここにはいないだろう。
とうとう、お前の姿を見ることは叶わなかった。
ふがいない父親を許してほしい。
今日まで、一日たりとも、お前とカーラの事を忘れた日はなかった。
一日も早く、お前たちの元に戻りたかった。だが、戻れなかった。
反逆者の称号は、お前たちを危険な目に遭わせるだけだったから。
自分では気付いていなかったが、俺はどうやら、術師としてのそこそこの力を持ち合わせていたらしい。
召集され兵としての訓練を受けるうち、次々と発動できるようになっていく術に、自分が恐ろしくなった。
忌み嫌ってきた世界にずるずると引き込まれ、泥沼にはまり込んだような気分だった。
いくら軍からの命令とはいえ、その術で、敵、とされる諸国の幾人もの要人の命を暗闇から奪った。
成功を重ねる度、軍幹部からは褒賞を受けたが、所詮は庶民から出た叩き上げの一兵士。
昇進していくとともに、仲間、特に貴族の子息どもからは疎まれ、孤立した。
耐えられなかった。俺は、弱かった。全てを捨てて、逃げた。
軍から逃げたところで当然逃げ切れるわけもなく、加えて相手からも狙われ、休むことすらままならなかった。
ただ逃げ延びて、どんなに回り道をしても、いつか村に帰ると、それだけを希望に生きてきた。
自軍と敵軍の追っ手から逃げるうちに、いつしか気配をよむ術が身に付けていた。
それで、俺が村を離れてすぐお前が生まれたこと、親子二人で村の人たちに助けられながら暮らしてきたこと、カーラが流行病で亡くなったこと、お前が一人、村を出てしまったことを知った。
最愛の人を、護れなかった。護るべき人を、失ってしまった。
呆然としたよ。もう、何もかも、どうでもよくなってしまった。
だが、情けないことに、自分で自分の命を絶つこともできなかった。
流れ者の集まる街に辿り着いたのも、その頃。
外れのこの場所に、住み着いた。
力を封じ、極力人を避け、何事もなかったかのように過ごしてきたが、二年程前、ある人に出逢った。
生きることを放棄しようと、虚ろな目をした人。
かつての自分を見ているようだった。
人との接触を避けていたはずなのに、何故か、放ってはおけなかった。
何か、とんでもないことをしでかしそうで、脆く儚く崩れ去りそうで。
いつの間にか失いたくない存在になっていた。ただ、護りたかった。
親子ほど歳が離れているにもかかわらず、だ。
いい歳をして、と、我ながら呆れてしまうよ。
あれだけ、カーラを忘れられずにいたと言うのに。
俺の事を相手がどう思っているかは、知らない方がいい。
少なくとも、俺は、そう思っている。
俺の先が、さっき、見えてしまったから。
お前には、ずっと一人で辛い思いをさせたと思う。
いくら頭を下げても、詫び足りない、そう思っている。
お前が俺を必要としていた時に、傍にいてやれなくて、本当にすまない。
護ってやれなくて、本当にすまない。
名を呼んでやれなくて、抱きしめてやれなくて、本当に、本当にすまない。
今は許してはもらえないだろうが、いつか、お前にも護りたい女性ができたら、こんな甲斐性無しの俺を笑って許してくれるだろうか。
その日を共に迎えられないことが、申し訳なくもあり、辛くもあり、悔しくもあり、残念でもある。
もし、お前があいつに、エヴァに逢ったなら、あいつを信じてやって欲しい。
道を外れそうだったら、手を引いてやって欲しい。
あいつは、俺と同じに、何もかもを諦めていた。
この二年でようやくあいつがこちらの世界に戻って来たのに、俺はまた、大事な人を護れない。
つくづく自分が嫌になる。
頼む、どうか、俺の代わりに、護ってやって欲しい。
男としての、最初で、最後の頼みだ。
もうすぐ、迎えが来る。
浮気者、と、カーラには叱られるだろうか。
生きろ。
生きていれば、必ず道はひらける。
生きていれば、必ず報われる。
一日でも、長く、生きてくれ。
これは、親としての願いだ。
お前の幸せを、祈っているよ。
我が息子、クリストフへ
父、ヒュー
まったくもって、さらっと、とはいきませんでした。
自分で書いたものなのに、ヒューがなよなよに見えて……
懺悔ものです……
我が子には、互いに支えあえるパートナーや多くの人達と出逢い、強く生きて、幸せを感じて欲しい。
私は、そう願っています。
ここまでお付き合いくださったあなた様に、心からの感謝を。
諒でした。