07 気付いてしまった ユリウス視点
また、いない。
騎士学院から戻ったユリウスは、眉を寄せた。
「リディア様でしたら、本日は学舎のあとヴァイス商会へ向かわれるそうです」
使用人の言葉に、さらに機嫌が悪くなる。
最近ずっとそうだ。
せっかく早く帰ってきても、屋敷にいない。
商会。
茶会。
本屋。
気づけば、いつも外へ出ている。
思わず舌打ちした。
しばらく無言で立っていたユリウスは、ふいに踵を返した。
「馬車を出せ」
向かう先は、王立淑女学舎。
いないなら迎えに行けばいい。
寄り道もさせない。
そう考えながら、ユリウスは学舎の前で待っていた。
すると、帰宅途中の令嬢たちがそわそわとこちらを見始める。
そのうち一人が、緊張した様子で近づいてきた。
「……失礼致します。ユリウス・アルヴェイン様でいらっしゃいますか? わたくし、ラングレー伯爵家のアメリアと申します」
丁寧に礼を取り、頬を染めながら続ける。
「もしご迷惑でなければ、後日お茶会の招待状をお送りしても――」
「お気遣い痛み入ります」
ユリウスは淡々と返した。
「ですが現在、騎士学院での鍛錬を優先しておりますので、そのような時間は取れません」
礼儀として成立する最低限の返答。
それだけだった。
笑顔もない。
感情もない。
「……そう、でしたのね」
周囲の視線を受け、令嬢は恥ずかしそうに顔を赤くしながら下がっていく。
ほんの少し目を離した、その隙だった。
学舎から出てきたリディアへ、男が話しかけているのが見えた。
どこかの令嬢の迎えだろう。
護衛騎士なのか侍従なのかは知らないが、妙に馴れ馴れしい笑みを浮かべている。
どう見ても、まともな理由で話しかけている顔ではなかった。
瞬間。
ユリウスは思わず舌打ちした。
近くにいた令嬢たちがびくりと肩を震わせたが、気にも留めない。
そのまま真っ直ぐ歩いていく。
無言のまま睨みを利かせれば、男は顔を引き攣らせた。
「あ……ええと、失礼しました」
そそくさと去っていく。
(毎日こんなことがあるんじゃないだろうな)
苛立つ。
危機感が足りない。
本当に。
「……ユリウス様?」
ようやく気づいたリディアが、ぱちぱちと瞬きをする。
「迎えに来た。乗れ」
「え、今日は用事が――」
「却下だ」
反論される前に荷物を奪う。
そのままさっさと腰を抱いて馬車へ押し込んだ。
また変な虫が寄ってきたら面倒だ。
そのまま屋敷へ直行させた。
屋敷へ戻ると、今度はサロンへ連行した。
「座れ」
「……はい?」
「ハンカチの刺繍、まだ終わっていないだろう」
以前、半ば無理やり約束させた刺繍だった。
リディアをソファへ座らせ、自分は向かいへ腰掛ける。
ようやく落ち着いた。
視界にいる。
ちゃんと屋敷にいる。
それだけで妙に機嫌が良くなる。
リディアが刺繍を始めると、ユリウスは自ら紅茶を淹れた。
「ユリウス様? 私がやります」
「お前は不器用だから零す」
「零しません」
「この前零した」
「……少しだけです」
ユリウスは何も言わず、滑らかな手つきで紅茶を差し出した。
「ありがとうございます」
リディアは柔らかく微笑みながら受け取り、ひと口飲む。
「……美味しい」
思わず零れたような声だった。
そのまま自然とリディアの表情が綻ぶ。
胸の奥が、ふわりと満たされた。
楽しそうに刺繍をして。
自分の淹れた紅茶を飲んで笑っている。
その時間が、心地良かった。
(やっぱり、リディアは俺の近くにいないと駄目だろ)
自然とそんな考えが浮かび、気づけば小さく口元が緩んでいた。
そんな時だった。
「仲が良いのねぇ」
偶然通りかかったエレノアが、くすくすと笑った。
「良くない!!」
反射的に否定してしまった。
リディアの肩がぴくりと揺れる。
「外を出歩きすぎですし、警戒心も足りない。だから目の届く範囲で見ているだけです。侯爵令嬢として問題を起こされても困りますし」
もっともらしく言い訳を重ねる。
だが、リディアの表情が少し曇った。
(あ……違う)
悲しませたかったわけじゃない。
さっきみたいに笑ってほしかっただけなのに。
俺を見て、楽しそうに。
その顔が、俺は好きで――
そこまで考えた瞬間。
身体中の熱が一気に頭へ駆け上がった。
ユリウスは慌てて顔を逸らす。
「……用事ができた」
それだけ言い残し、そのまま自室へ逃げ込んだ。
数日後。
落ち着かない気持ちのまま、ユリウスはリディアの部屋の前をうろついていた。
先日は変な態度を取ってしまった。
どう顔を合わせればいいのか分からない。
そんな時だった。
「本当に侯爵家を出られるおつもりなのですか?」
中から侍女の声が聞こえてきた。
思わず足が止まる。
「出ると言っても、籍を移して本格的に商会のお仕事をするだけよ」
リディアの明るい声。
「お嬢様がいなくなると思うと寂しくなります……」
「二年も先の話よ?」
くすくす笑う気配。
「それに平民になったら、ミアと休日を合わせてカフェやランチにも行きたいわ」
「それは楽しそうです!」
「でしょう?」
楽しげな笑い声。
その瞬間。
頭の中が真っ白になった。
気づけばユリウスは父の執務室へ向かっていた。
ノックもそこそこに扉を開ける。
「父上!」
レオニードが書類から顔を上げた。
「……どうした」
「リディアが侯爵家を出るというのは本当ですか」
一瞬だけ、レオニードの目が細くなる。
「どこで聞いた」
「……本当なんですね」
否定しない。
それだけで十分だった。
「なぜ認めたんですか!」
「侯爵家当主として妥当だと判断したから決めたことだ」
静かな声だった。
だが、有無を言わせない響きがある。
「商人になりたいという本人の希望だ。意思も固い」
「ですが――」
「卒業までの、成人までの二年でリディアの気持ちが変わらない限りは、な」
ユリウスは言葉に詰まる。
さっき聞いた様子では、気持ちはかなり固いように思えた。
考え込むユリウスを見て、レオニードは続けて言う。
「……お前は、リディアが嫌いなのか?」
「違う!!」
反射的に否定していた。
レオニードが呆れたようにため息をつく。
「だがな、リディアは嫌われていると思っているぞ」
「な、なんでそんな事……」
「なんでも何も、お前はリディアが何かするたび怒鳴るし睨むだろう」
「……」
「商会の仕事も知っていたら反対していたはずだ」
「それは……」
「極めつけに、いまだに名前で呼んでいない」
一つずつ突き付けられ、ユリウスはぐっと言葉を詰まらせた。
全部、身に覚えがある。
「だからリディアは、お前に今でも敬語だし様付けなんだ」
「……」
「学舎でも色々言われているらしいが、侯爵家に馴染めていないのも原因の一つだろう。まあ、本人は気にしていないようだが」
レオニードはそこで小さく息を吐いた。
「リディアは、自分さえいなければ侯爵家が丸く収まると思っているのかもしれんな」
「そんな、まさか……」
レオニードはそんな息子を見ながら、ふと口元を緩めた。
「嫌いじゃないなら、好きなのか?」
「す……好き!?」
思わず声が裏返る。
昨日のことが一気に脳裏へ蘇った。
刺繍をする横顔。
紅茶を飲んで笑った顔。
その顔を見て、胸が熱くなったこと。
ぶわりと顔が熱を持つ。
「義姉として好きなら、義姉の決断は応援してやりなさい」
義姉として。
違う。
そんなものではない。
ユリウスはぶんぶんと頭を振った。
リディアは俺の近くにいないと駄目なんじゃない。
本当は――俺がーー
ーー俺が、リディアのそばにいたかったんだ。
その瞬間、胸の奥が熱を帯びる。
ぎゅっと拳を握った。
そして、父を真っ直ぐ見据える。
「……応援することは出来ません」
「ほう?」
「リディアと離れるなんて……」
喉の奥から、絞り出すように言葉が漏れた。
「絶対に嫌です!」
リディアの気持ちも。
自分への誤解も。
全部、変えてみせる。
――もう、リディアが好きだと気づいてしまったのだから。
ユリウスがんばれ〜p(^_^)q
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