04 独立準備
「お前なんか嫌いだ!!」
ユリウスはそう怒鳴ると、ばたん!と勢いよく図書室を出て行った。
リディアは閉まった扉を見つめ、小さく瞬きをする。
(また怒らせてしまったわ)
ユリウスは毎日のようにやって来ては、文句を言って帰っていく。
母の再婚で突然できた義姉なのだから、それも当然だと思っている。
今の自分にできることは、彼の罵倒を受け入れ、時間をかけて慣れてもらうことくらいだ。
そんなことを考えていると、
「お嬢様、今朝の新聞をお持ちしました」
侍女のミレーユが新聞を差し出した。
アルヴェイン侯爵家では、侯爵が目を通した後の新聞を使用人へ下げ渡す。
けれどリディアは男爵家にいた頃から毎朝新聞を読むのが習慣があった。
それを知った侯爵が許可を出し、侯爵の次に読ませてもらえるように手配してくれていた。
「ありがとう」
リディアは慣れた手つきで新聞を開いた。
政治。
物流。
新航路。
市場価格。
流れるように記事を追っていた視線が、ある場所で止まる。
『ヴァイス商会、新規事業拡大――』
「あ」
祖父であるフェルディナンド・ヴァイスの商会の記事だった。
新たな流通路の開拓について書かれている。
その瞬間、ぱっと考えが浮かんだ。
リディアは勢いよく顔を上げる。
「ミレーユ!」
「はい?」
「お祖父様のところへ行くわ!」
「……はい?」
リディアはもう立ち上がっていた。
その日の午後。
ヴァイス商会本部。
大通りに面した商会の最上階に、祖父の執務室はある。
扉を三回叩く。
「リディアです」
「入れ」
低い声。
中へ入ると、祖父――フェルディナンドは大量の書類に囲まれていた。
机の上には決裁待ちの書類が山積みになっている。
祖父は一瞬だけリディアを見たが、すぐに視線を戻す。
「少し待て」
「手を止めなくていいので聞いてください」
その言葉に、祖父の眉がわずかに動いた。
リディアは真っ直ぐ言った。
「アレクシス伯父様の養子に入って侯爵家を出たいです」
ぴたり、とペンが止まる。
静かな部屋に紙の擦れる音だけが残った。
やがて祖父がゆっくり顔を上げる。
「……詳しく話せ」
「ユリウス様に嫌われました」
端的に告げる。
「母のことは受け入れているようなので、私が侯爵家を出れば丸く収まるかと」
祖父は黙って聞いていた。
「私はもともと商人になりたかったですし」
リディアは続ける。
「お祖父様やアレクシス伯父様のお仕事を見るのも手伝うのも好きです」
幼い頃からそうだった。
父がまだ生きていた頃は、商人だった父や祖父の話を聞くのが好きだった。
帳簿の付け方、商人としての考え方などいろいろ教えてもらった。
新しい品。
遠方の流通。
利益。
交渉。
知らない世界の話は、いつだって胸が躍った。
父が亡くなってからは、落ち込む母を支えることばかり考えていた。
でも今は、お義父様がお母様を支えてくださっている。
だから、何もせず侯爵家で過ごす毎日に、少しだけ物足りなさを感じていた。
優しい人たちばかりに囲まれている。
不満はない。
けれど、何かをしていないと落ち着かないのだ。
祖父はそんなリディアを見て、ふう、と息を吐いた。
「再婚して二ヶ月で結論を出すには時期尚早ではないか?」
「……そうかもしれません」
素直に頷く。
すると祖父は椅子へ深く腰掛けた。
「だが、お前が何かしたがっているのはよくわかった」
執務室を軽く見回す。
書類。
帳簿。
決裁待ち。
山積みだった。
「見ての通り、猫の手も借りたい」
リディアの目が少し輝く。
その顔を見て、祖父は口の端を上げた。
そして書類の山から一枚抜き出し、机へ置く。
「これをやれ」
受け取った書類へ目を落とす。
小さな宿屋の経営資料だった。
立地。
収支。
負債。
客足。
夫婦経営。
買収予定。
リディアの目がすっと細くなる。
「……なるほど」
数枚読むだけで改善点はいくつも浮かんだ。
客層。
宣伝。
食事。
回転率。
もっとできる。
胸がわくわくした。
「半年以内に黒字化しろ」
祖父が言う。
「解雇も改装も好きにしろ」
リディアは顔を上げた。
祖父の目が鋭く光る。
「実力を示せ」
商人の目だった。
「養子の件はそれからだ」
「はい」
「俺に、お前を商会へ入れたいと思わせろ」
祖父がニヤリと笑う。
その瞬間。
リディアの胸が高鳴った。
試されている。
それが嬉しい。
「やります!」
思わず身を乗り出す。
祖父は吹き出した。
「そう言うと思った」
リディアはもう一度書類を見る。
潰れかけの小さな宿屋。
けれど、リディアには可能性の塊に見えた。
母も。
ユリウスも。
自分も。
みんながうまくいく未来へ進むための第一歩。
リディアは満面の笑みを浮かべた。
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