04
その夜、グランは妙な魔力の気配に目を覚ました。
明らかに意思を持ち、何かを警戒するような魔力の気配。
自然現象ではなく、何かを狩ろうとしているような、そんな気配だ。
「……」
すぐに思い浮かんだのは、魔獣の存在。
自分でその姿を確認こそしていないが、この近くの森で目撃者がいるのだから、実際に魔獣がいてもおかしくはない。
軽く鼻を鳴らして、集中すれば、森に住んでいる獣たちの匂いともうひとつ。
「ルミアさん……?」
遠いから、間違っている可能性も高い。
だが、その魔力の気配とルミアの匂いの方角は、同じだった。
ぞわりと背筋に走る最悪の予感に、グランはすぐにマントを手に取ると、その方角へ走った。
近づけば近づくほど、魔力の気配とルミアの匂いが、近くにいることを感じる。
――間に合え……! 間に合え……!!
草木をかき分けて、その魔力がルミアに襲い掛かるよりも早く、グランはルミアの元へ駆けつけた。
「ルミアさん!!」
いつもより魔力の巡りが早く、しかし、どこか抑えているようなルミアの気配を目の前に、グランは息を切らしながら、声を上げる。
「無事、ですね……よかった……」
無事だ。間に合った。
「…………グラン?」
安心したように、グランが息をついたのも束の間。
ルミアのいまいち確信を持てない呼びかけに、グランの興奮して逆立っていたはずの毛並みは、一斉にしぼんでいく。
「――――」
走って切らしていた息は、別の意味の息苦しさに代わり、声を上げられない。
「違う」と逃げてしまえば、また明日からも店に顔を出しても許されるだろうか。
いや、許されるはずがない。
この姿を見られてしまったのだから、もう、離れるしかない。
「グラン、だよね……?」
少し苛立ちと警戒の混じったルミアの声色に、グランは息を飲み、後ろ足を引く。
「…………返事!! イエスか、ノーか!!」
「イエス……!! イエスですが!! その――!!」
半ばヤケクソな叫び声ではあったが、グランが言葉を返したと同時に、ルミアの魔力の巡りが少し柔らかいものに変わった。
「なんだ……それなら、早く言ってよ……びっくりするでしょ」
ため息交じりの、仕事でミスをした時に注意されるような声色。
「す、すみません……あ゛、いや、えっと……え゛ーっと……」
そうじゃない。そうじゃない。と、つい頭を抱えて座り込んでしまうが、ふと見上げれば、ルミアの魔力の巡りは、いつもと同じ穏やかなものだし、匂いも警戒している様子はない。
怖がっていない。ということだろう。
「……ルミアさん、その、怖くないんですか……?」
「まぁ、怖くないことはないよ? 夜の森なんて、本当は入るものじゃないし」
「ではなく、自分の事……」
「……びっくりはしてるけど、色々納得もしてるよ? あの格好のこととか、シャイっていうのは、嘘だな。とか」
「…………」
ルミアの言葉が嘘ではないと、指の間から見える魔力の流れと匂いから、察せはする。
だが、素直に嬉しさが勝るというわけではなかった。
そんなくぐもった唸り声しか上げられないグランに、ルミアは不思議そうな表情で、グランの上着のフードに触れては、グランに被せては、脱がせる。
「…………あの、やめてください」
「いや、ごめん。すごいね。このフード、重さで耳を潰してる感じか……実は、もぞもぞ動いてたとか? 気づかなかったなぁ」
珍しいもので見たように、マントを触っては、次にルミアが目を向けたのは、グランの目だった。
その人工的につけられたであろう切り傷は、素人目に見ても、眼球まで達している。
「その目って見えてるの?」
「い、いえ……見えてません。あくまで見えてるのは、魔眼の影響で、魔力の流れだけです……」
「マジか! じゃあ、見えてないのに、あんなに普通に仕事してたの……! いや、普通にすごいな!?」
素直に感心しているルミアに、グランも徐々に不安とか、罪悪感がバカバカしくなっては、尻尾が垂れていく。
「すごい、ですか……?」
「すごいすごい! ちなみに、これが何本立ってるかとかもわかるの?」
右手で三本、左手で四本の指を立てているルミアに、グランは、表情を緩めると、正解を答えれば、ルミアもまた声を上げる。
「ハハっおもしろ。合ってる合ってる。じゃあ、次は――」
「ルミアさん、そろそろ……夜ですし、森ですし……」
「あ、そうだった」
町まで送るからと、急いでフードを深く被る。
手袋や口布がないため、近づいたら、人間ではないことはわかってしまうが、暗い森の中だし、町の入り口までなら十分だろう。
「…………」
その様子をじっと見上げていたルミアに、グランは少しだけフードの端を強く引く。
「……獣人は、魔獣を勘違いされることも、多いですから」
「だから、昔から顔を隠して、路地裏にいたりするの?」
「え、えぇ……そう、ですね」
「実体は、マリッジ・アルテミスフラワーを信じて探してる、かわいいワンチャンなのに」
「ちょっとバカにしてます……?」
目はないが、ずっと睨むようにルミアに目を向ければ、ルミアは顔を向ける前には両手を上げていた。
「ごめんごめん。つい」
「ついじゃないですよ」
「怒った?」
「わりと」
「じゃあ、お詫びに、マリッジ・アルテミスフラワーもどきを見せてあげるから」
その言葉に、グランの尻尾が少し揺れ動く。
あの花は、存在しないはずだ。だから、ルミアも”もどき”とつけたのだろう。
「絶対ではないけどね。まぁ、私は昔からこの町に住んでるし、実は作者インタビューで、モデルになった花のことも知ってるんだ」
「そうなんですか?」
「だから、その花が手に入ったら、見せてあげるよ」
モデルの花であれば、手に入れることも不可能ではないはずだ。
明日、店にでも聞いてあげようと、ルミアが口にすれば、グランはその大きな背を小さく丸くして、ルミアを覗き込むように見上げる。
「……絶対、で」
「え゛」
「絶対」
もう一度、”絶対”と口にするグランに、ルミアも顔を逸らしてしまうが、グランはじっと見上げたまま。
「見せてくれなかったら、この大きな口でルミアさんのこと、食べちゃいます」
だが、続けられた拗ねた子供のような言葉に、ルミアの肩が大きく震える。
「なる、ほど……そう、きたか……ふふ、ふふふふ……っ、わかった。わかった。努力するよ。約束だったしね」
根負けしたように笑いを溢しながら頷くルミアに、グランも満足そうに頷くと、その背を伸ばした。




