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愚者

目の前の彼女は俺を睨んだ。龍のように鋭い眼光。燃えていて今にも俺を熱気だけで灰にしてしまうそれほどの熱。彼女は俺だけを見ていた。俺の瞳の奥だけを見ていた。


瀕死のこの体は動かない。けれど願うことは…できるかもしれない。


やってみるか。一応。


「お前が、お前が有希を。お前が私の前に現れなければ。お前さえ存在しなければ。」


やっぱり無理か。願いの力なんてそもそもあの高千穂でしか…


彼女は俺の脇腹を貫いた。まだ損傷の少なかった部位。彼女は俺の腕を引きちぎった。路面に捨てる。今度は俺の足を踏みつけた。骨の折れる音がする。激しい痛みが俺の身を焼く。


「有希が死んだら…死なせいないっていったのに。」


「死んだらもう取り返しがつかないのに。」


「どうして私は失敗したんだ。」


俺は空を見上げていた。大きく体が振動して彼女の蹴りを感じては、いた。けれどもう痛みはなかった。


空は綺麗だった。黄泉の国での褐色の雲ばかりの空よりも、高千穂の雲が低いところにあったあの空よりも。


ずいぶん綺麗な空だ。


先ほどまで聞こえていた彼女の叫び声も今や感じなくなっていた。それと同時に街の環境音も聞こえない。どうやら耳は機能停止したのだと感じた。


顔だけは遠慮してくれていたように感じていた。けれど有希というおそらく隣にいたあの少女が消えてからは。区別が彼女にはついていないようだった。


そうだ。

今なんか僕ではない別の男を殺している。辺り一面血だらけだ。彼女の拳も骨が見えている。叩きすぎだ…いくら何でも。


目だけは傷つけられていないようだった。


それが彼女の配慮か、偶然の賜物か、それとも…


俺は空を見上げていた。横たえたこの体に力が入るのはもう目の周りの筋肉くらいだ。腕も足もそもそも首から下の感触がない。変な感じではあるが、落ち着いて入る。


息ができているのが不思議なくらいだ。


麗花という女は次第に俺の視界から消えていた。辺り一面は通行人の死体と俺の肉片、飛び散った血で塗られた外壁に歩道。泣き顔の子供くらいだった。


子供は傷つけないのか。俺は少し感心する。


どんなに野蛮なことがあっても、それこそ黄泉の国の鬼どもよりも鬼らしいことがあっても、空は綺麗だ。


あぁ大鬼達。懐かしいな。また会えるだろうか。今度は俺も屍人となって…

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