敗走
目の前には屍人が転がったままだ。
風が吹いて俺の髪が靡いた。目の前の屍人は動じない。俺は耳に手を当てて若干俯いていた。屍人拾いの恐ろしさに俯いている俺の胃は悲鳴をあげていた。キュッと痛む胸ぐらを掴んで俺はゆっくりと深呼吸をした。
屍人拾い。これは明確に俺にとって意味のある行為だった。これは何かを変える物になりうるはずだと俺は確信していた。
だから俺は決意し顔を再びあげた。空はとっくに晴れてその青い顔を見せていた。
広野といえど、草木は一本もない茶色い大地といえど、そこには確かに暖かな風が吹いていた。俺の頬は春の風を感じた。
「この国で…俺はやるべきことを見つけられた。それがどんなに辛いことでもやるしかない。やりたいんだ。」
俺は目の前の屍人を視界に収めた。未だピクリとも動かないそれはやはり死んでいる。俺は歩み寄った。屍人の顔を見ようとすると、俺の影は屍人に大きな影を落とした。屍人の骨ばったその体格はまさに男そのものだった。
「航平と言ったな。それに語り部。」
しばし深呼吸をした。「屍人拾いを始める。」
俺はそう独り言を吐いてからすぐに彼の頬の肉に噛み付いた。異臭で味も分からない。少し屍人から離れて喉を鳴らして飲み込もうとするとジャーキーの味がした。もちろん味付けのされていない干し肉だ。
今度もまた俺の心臓がドクドクと盛んに動き始めた。思わず胸を手で押さえてしまうほどに激しい鼓動。胸の筋肉が鼓動に合わせて起伏している。そしてだんだん視界が真っ白に染まっていく。屍人も青空もまして俺の手の指まで薄まって白くなって輪郭すら消えていく。キーンと甲高い音が俺の耳を支配する。それからドバッと耳から液がこぼれ出る音がする。
今度の俺は無表情で耐えていた。次第に真っ白だった視界に輪郭がうっすらと浮かび上がる。今度もまた男の輪郭だった。彩度がだんだん高まり服装まで見えてくる。今度もまた航平だった。
俺はこの屍人の生前の思い出を見る。航平という男の記憶へ、さぁ。体を丸めて苦しむ俺はそうして意識を手放した。
____僕は彼女のことが大好きだった。それは間違いない。けれど今や僕はこの思いが嘘ではないのかと思う時がある。僕は何度もこの世界でやり直した。特別な能力で何度もやり直した。全ては彼女が死ぬという最悪のシナリオから抜け出すために。
僕は彼女のことが大好きだった。やり直したこともそんな能力もなかった一番初めの時。彼女が初めて死んでしまうあの日、彼女は僕に言ったんだ。
「待っていて。」
「ここで待っていてね。」
僕はそれに頷いた。それから目を閉じて気を失った。そして起きれば彼女は消えていた。その世界にはもう彼女という存在は社会から抹消されていた。彼女を覚えていたのは僕だけだった。だから僕は探した。彼女を求めて。そしてついに彼女がこの世界にすでにいないと知った。同時にやり直しの力を得た。
その力を使って僕は何度もやり直した。何度もやり直して思い通りのダイスの目が出るまで振り直した。その度に失敗した。まるで僕は絶対にできないことを馬鹿みたいにやってる奴みたいだった。
何回が何十回になり、そして何百回になった。彼女の安全を思うだけの日々。彼女が死なないように策を講じる日々。けれども彼女は死んでしまう。死んで僕の前から消えてしまう。
どう頑張っても必ず彼女は俺の前から消える。消え失せる。超常的で、僕にはどうしようもない、人間にはどうしようもない天変地異が僕と彼女をいつも襲う。そして食い尽くす。希望も愛も関係も。
僕はいつしか彼女を呪いのように扱う自分の存在に気づいた。彼女に呪われている自分という関係を認めなければ僕は今の自分を認められなかった。何百回もやり直してきた過去を見て何も進んでいない自分を直視したくなかった。進歩はなかった。せめて呪いで僕が彼女にやらされていると思いたかった。修行だと思いたかった。
だから僕は彼女が好きで好きでいつしか完全に壊れた機械のように動けなくなっていった。ある日、僕は彼女の目の前で完全に固まってしまった。彼女が微笑みかけても尋ねてきても僕は動けなかった。ピクリとも顔は動かなかった。
そして僕は自分がついに死んだことに気づいた。
人には寿命がある。それは肉体だけの話ではない。
僕は魂の寿命を削り切ったんだ。
今ここで僕は横たえている。そんな僕は魂の寿命を全うした。けれど全て途中で投げ出してここで倒れているだけの僕には賞賛も嘆願も得られない。今でも悔やむ時がある。やり直しの力が今もあるならやり直してみてもいいと思う。彼女を救えるかどうかは置いておいて、彼女の顔をもう一度この目で見たい。それだけだ。僕の名残は。
今ではそれだけだ____
気づけば頭を抱えていた自分に気づいた。口からは真っ黒な血が溢れていた。耳は依然として異常に熱い。俺は今、この屍人の記憶から抜け出したところだった。
俺の顔は血だらけであった。けれど俺の頬には涙の滴も伝っていた。それは間違いない俺の反応だった。




