第15話 ただいま
蹲っていた和也くんの体が僅かに動く。
「和也くん!」
俺の呼びかけに呼応するように、和也くんはゆっくりと顔を上げる。
「桔平さん……?」
和也くんはふらつきながらも体を起こす。まだ安定しないその体を、阿李屋さんが後ろから支えた。
「大丈夫か?」
「僕……」
「うん?」
今にも泣き出しそうな表情で、和也くんは自身の服を両手で固く握りしめる。
「全部思い出したんだ、全部……。何があったのか、したかったことも、全部、全部……」
静かな公園で、風に揺られたブランコの音だけが微かに聞こえた。
♢
「持ってきましたよー!」
「流石清珠、早いな」
「お疲れ様です」
あの後、全ての事情を聞いた俺達は、清珠に急いで廃墟へと向かってもらった。
和也くんの宝物、それはきっと、あの場所で見つけた物で間違いない。穴あけ事件はまさに怪我の功名だった。
「これで合ってますかね?」
清珠はベンチに座っている和也くんの前に、それを差し出す。
「これ……!」
和也くんは大きく目を見開くと、両手でそれを受け取った。
「ずっと、ずっと探してたんだ……!お母さんが、僕のために作ってくれたお守り!」
お守りを握りしめ、大粒の涙がポロポロと溢れ出す。
「大事な物なのに、宝物なのに……!どうして忘れちゃってたんだろう」
俺は何と言ってあげれば良いのか分からなかった。清珠も阿李屋さんも、静かに見守ることしかできない。そんな中、颯太が口を開いた。
「それはオマエが悪霊に……。あー、呪い、いやこれも違うな、えーと、オマエが悪いもんに憑かれてたからだよ!だから大事なことも忘れちまったし、ちょっと悪いこともしちまった。だから、その、和也は全然悪くねぇってこと!分かったか!」
些か乱暴ではあるが、颯太なりの気遣いだろう。颯太は頭を掻きながら「こういうの苦手なんだよ……」と、ボソリと呟いた。
やっぱり、何だかんだで根は良い子なんだなと実感する。そんな俺の視線に気づいたのか、颯太が睨みつけてきた。
「んだよ、文句あんのかよ」
「文句なんかないよ。ありがとな、颯太。お前はやっぱり凄いよ」
「うるせー、普通こういうのはアンタとか清珠の役割だろ。何で俺が」
「ありがとう、颯太くん」
和也くんは笑っていた。泣きながら笑っていた。他の誰でもない颯太の言葉が、和也くんの心を軽くしたのだ。
颯太はそっぽを向いたまま「どーも」と一言。最初の二人からでは考えつかない今のやり取り。そんな二人が微笑ましかった。
「颯太も偶にはやりますね」
「お前ら二人まとめてうぜぇ」
「俺も?」
そんな俺達のやり取りを、和也くんと一緒に阿李屋さんは見守っていたが。
「和也くん、君の元に宝物も返ってきた。君の中にもう、心残りはありませんか?」
阿李屋さんの言葉で、俺達は現実に引き戻される。そう、最終的な終着点。それは、和也くんがこの世から旅立つことだ。ずっと、このままではいられないのだから。
この質問に和也くんは俯く。下を向いたまま、唇を噛み締めていた。俺は屈んで和也くんと目線を合わせる。
「和也くん、ゆっくりでいいよ。誰も君を責めたりなんかしないから」
「……ごめんなさい、僕」
お守りを強く握りしめる。
「帰りたい、家に、帰りたい……。もう一度、お母さん達に会いたい……」
それは、当たり前の願いだった。
♢
車に揺られながら、俺達はたった一つの目的地へと向かう。
和也くんのお守りの中には、住所が書かれた紙が入っていた。年月が経っていたため、紙はボロボロだったが、家を特定するのには十分だった。
『お母さんが、道に迷って困った時に見せなさいって言ってた。僕が安全に家に帰ってこれるようにって、そういうお守りなんだって。僕はこれを落としちゃったから、きっと事故に遭っちゃったんだよ』
お母さんの優しい思いが詰まったお守り。和也くんの宝物。しかしそれは同時に、残酷な事実を浮かび上がらせていた。
(お守りを取りに行こうとして和也くんは……)
誰もがこのことを考えただろう。しかし、それは決して口にしてはならない。お母さんの思いを、和也くんの思いを、踏み躙ることはしたくない。絶対にあってはならないことだ。
「早いね」
「うん、そうだね」
マナちゃんが運転をする車の中、和也くんは流れていく景色を眺めている。その姿から、今か今かと待っているのが伝わってきた。ただ、そこには大きな不安があった。
それは、両親と出会った和也くんが、新たな未練に囚われてしまわないかということ。
「桔平さん、ちょっといいですか」
「はい?」
助手席に座っていた阿李屋さんが、何でもないように俺を呼ぶ。座席から軽く立ち上がり助手席に近づくと、阿李屋さんは和也くんに聞こえないよう、俺に耳打ちをした。
「和也くんがご両親に強く未練を見出してしまった場合、強制的に祓ってあげてください。それが、私達に出来る最後のことです」
「……はい」
「颯太にも渡してありますが、これを」
阿李屋さんから手渡されたもの、それは浄化文字が記された掌サイズの一枚の紙。
「これは?」
「万が一が起きそうになったら、和也くんに使ってください。多少動きを止めることは出来るはずです」
「……」
俺は手元の紙を見つめた。
「桔平さん、どうしたの?」
何も知らない和也くんが俺を呼ぶ。阿李屋さんは「戻って良いですよ」と、にこやかに言った。その切り替えの早さは、本当に何もなかったかのようだ。
「あ、あぁ、何でもないよ」
和也くんに返事をして座席に戻る。俺は渡された紙を、ポケットに深く仕舞い込んだ。どうか使うことがないようにと、祈ることしか出来なかった。
♢
「着いたわよ。このアパートで間違いないかしら?」
「うん! ここだよ! 僕の家だよ! ここが僕の家!」
和也くんは今にも飛び跳ねんばかりに興奮し、瞳を輝かせている。しかし、その姿はマナちゃんには見えない。マナちゃんは助手席の阿李屋さんに尋ねる。
「どう?」
「合ってます。和也くんもとても喜んでいますよ」
「そう、なら良かったわ」
マナちゃんは後ろを振り返る。
「それじゃあ、そーちゃん、桔平さん。後は宜しくね」
「分かりました」
「おう」
先に俺達二人が車を降りる、勿論各々の浄化道具を背負いながら。和也くんも続いて車を降りた。
「和也くん、今日はすっごく楽しかったです。遊んでくれてありがとうございました。ばいばい」
「僕も楽しかった! ばいばい、清珠ちゃん」
和也くんは手を振って別れの挨拶をする。
「阿李屋さんにマナちゃんも、ばいばーい!」
「私も楽しかったです。マナちゃん、和也くんがあそこでばいばいしています」
「あそこね。ばいばい、和也くん。貴方を無事送り届けられて良かったわ」
三人との別れの挨拶は済んだ。
「じゃあ和也くん、行こっか」
「うん!」
俺達は和也くんの家に向けて歩き出す。和也くんの最後の帰り道を。
♢
「ここだよ!」
「ここが和也くんのお家?」
三〇四号室、表札には篠田と記載されていた。既に辺りは暗くなり始めており、窓からは室内の光が漏れている。どうやら留守ではないようだ。
後ろに控えている颯太はいつでも対処できるよう、紙を手に忍ばせている。
俺は意を決すると呼び鈴を押した。ピンポーンと、呼び鈴が家主を呼び出す。室内から足音が聞こえてくる。その音はだんだん近づいてきて、そして──。
「はい。あの、どちら様でしょうか?」
女性が一人出てきた。
「お母さん」
和也くんが呟く。しかし、その声が母親に届くことはない。こんなにも近くに居るのに、その姿を見ることは叶わない。
「あの……」
母親は怪訝な視線を向けている。
「あぁ、すみません! あの、そちらのお子様の忘れ物じゃないかと思って届けに来たんです」
「え?」
「これなんですが」
俺は青いお守りを母親に見せる。母親は目を見開き、そのお守りを奪うよに掴んだ。酷く動揺しているのが、痛いくらいに伝わってくる。
「あ、あの、これをどこで……!」
俺は予め阿李屋さんが用意していた理由を述べる。
「犬の散歩中、公園で見つけたんです。犬がそのお守りを咥えて持ってきたんですよ。一応中を確認してみたら、ここの住所が書いてあったので、大切な物だったらと思い……」
母親は信じられない物を見ているかのようだ。和也くんは俺の服を掴んだまま、母親の様子を伺っている。
「先程は失礼しました。すみません。これ、息子のものなんです。どこを探しても見つからなかったんです……。ずっと、見つからなかった……」
「…息子さんのものだったんですね」
母親の瞳に涙が滲んでいた。お守りを握る手が微かに震えている。
「はい、そうなんです……。本当に大切なものでしたから。届けてくださり、本当にありがとうございます……!」
深く深くお辞儀をする。その体も微かに震えていた。
「そんな大したことじゃないですよ。顔を上げてください」
顔を上げた母親は涙を堪えながら話す。
「息子は三年前に事故で亡くなってるんです。だからこれは、息子の形見なんです。見つかって本当に良かった……。突然ごめんなさい、まるで息子が帰ってきたようで……」
ここに和也くんが居ることを伝えられたなら、和也くんを視界に映してあげることが出来たなら。どうすることも出来ない自分に、強く拳を握りしめる。俺は結局、何も出来ないじゃないか。
「お母さん!」
突然、和也くんが母親の元へと駆け出す。そして、そのまま抱きついた。
「?」
母親は不思議そうに、和也くんが居る辺りを見ている。俺は思わず「え」と、声を漏らす。まるで、そこに居るのが分かっているかのようで。
「……和也?」
「遅くなっちゃってごめんなさい」
母親の瞳から一粒の涙が流れた。
「見えてはいねぇよ」
見えてはいない、聞こえてもいない、それでも、彼女は確かに和也くんの存在を感じ取っている。
それはきっと、特別な繋がりが、互いを思い合う強い結びつきが、そうさせているのかもしれない。
見えてはいない、聞こえてもいない、それでも確かにそこに在る。
「桔平さん、颯太くん、ここまでありがとう」
俺と颯太はただ黙って見守る。
「ただいま、お母さん!」
和也くんは笑顔でそう言った。
そして、その小さな体は淡い光に包まれる。淡い光は天へと昇り、和也くんの体が消えてゆく。
暖かな光はやがて完全に消え、和也くんの魂は、行くべき場所へ。
長い、長い帰り道だった。
「これは必要なかったな」
颯太は紙をポケットに仕舞った。
やがて、新しい風が吹いてくる。俺にも、颯太にも、涙を流す彼女にも。
新しい風は次の一歩を応援するように、祝福するように。
彼女が先に進めるように、新しい明日を迎えられるように、優しくその背中を押すのだった。




