1.過去形〈1〉
1 過去形
1
帰宅した私はバッグから携帯電話を取り出した。連絡を入れるように叔父さんから言われている。
「叔父さんに電話しないとね」
そう呟いて、メモリから叔父さんの電話番号を表示し、発信ボタンを押す。
五回目のコールで叔父さんは電話に出た。
帰宅したことを告げると、今から向かうと言ってすぐに通話は切れた。
話している後ろで固定電話の鳴る音が聞こえたから、今、叔父さんは警察署にいるのだろう。
そう仮定して、頭の中で叔父さんがここへ着くおおよその時間を計算する。
早くて三十分後くらいか。
玲香とリズにそれを伝える。
私たちは一旦、各々の部屋へ戻って私服に着替えると、再びリビングに集まって叔父さんを待つことにした。
ところが二十分程経った頃、玄関のチャイムが鳴った。叔父さんにしてはまだ少しばかり早い。
リビングのソファで黙ってぼんやりしていた私たちは、一斉に首を傾げた。
「見てくるわ」
私は立ち上がり、玄関へ向かう。
叔父さんのことだから地下鉄で来る筈。大まかな計算だが、駅まで十分弱、電車で十分強、駅から家まで十分くらい。だから三十分と見積もった。
仮に地下鉄を一本乗り逃がしても、おおよそ十分間隔で走っているから、遅くてもプラス十分くらいだ。
そんなことを考えながら玄関の扉を開けると、そこに立っていたのは、さっき学校で会ったあの若い刑事だった。
「やあ、沙織ちゃん。僕も一緒に話を聞くことになっていてね」
彼、中野刑事は私が口を開くよりも先にそう言った。
「警部は一旦署に戻ったから、警部より先に着いたと思うけど」
私はぽかんと口を開けたまま、彼を見詰めた。
「そうだよね、びっくりするよね。警部が来ると思っていただろうし」
確かにそれもあるが、私が一番驚いたのは、彼が私を沙織だと一目で見分けられたことだった。
私と玲香は一卵性双生児。
服装などの趣味嗜好は全く正反対と言っていいくらい違う。だが、容姿に関しては、今は偶然に二人とも髪の長さは殆ど同じ。声だって、言葉づかいが違うだけで、声そのものは一緒のようなものだ。
もし、同じ服を着て黙って立っていたら、知り合ったばかりの人ではまず見分けがつかない。
間違って呼ばれることなんて、今までに何度も経験している。
中野刑事とはまだ学校でほんの数分顔を合わせただけだし、出迎えたのは私だけ。
あの数分で、見分けるポイントを掴んでいたのだろうか。
しかし、それも彼の職業柄によるものかと思い直すと、私は「ええ、まあ」と適当に答えてリビングに案内する。
彼に出すお茶を用意しているうちに、私の予想通りの時間に叔父さんが到着した。
「叔父さん。さやかは本当に殺されたの?」
お茶を出し終えた私は叔父さんたちの向かい側のソファに腰掛け、玲香への質問が始まる前に改めて確認した。
「難しいことは省くが、首に絞められた跡があってね。それが原因の窒息死とみて間違いないだろう」
叔父さんは一つ一つ言葉を選んで答えた。
なるべく、これ以上、玲香が受けるショックを少なくしたいという配慮だ。
それでも、親友が何者かによって命を奪われたという残酷すぎる事実は変わらない。
「彼女の自宅からほど近い公園で倒れていたのを、通り掛かった人に発見されたんだ」
発見された状況が叔父さんから簡潔に語られる。
「酷い……」
玲香は今まで抑えていた感情を堪え切れなくなり、わっと泣き出した。
そんな玲香の背中をリズが静かにさすってやる。
いくら仕事とはいえ、叔父さんも玲香の様子をいたたまれないといった表情で見詰めていた。
さやかの首には絞められた跡があった。
叔父さんが省略した部分に、殺されたと言える根拠が含まれているのだろう。しかし、玲香の前で詳しく聞くのは憚られる。
両手で顔を覆う玲香を見ていると、なんとも表現し難い、複雑な気分に駆られた。
叔父さんの言い方から、恐らく、さやかは今、司法解剖されている。
解剖が済めば、さやかが他殺で間違いないことが証明され、何で、どんなふうに殺されたのか、そして、亡くなったおおよその時間も判るだろう。
それでも、さやかの遺体は彼女を取り巻く環境、人間関係までは語ってくれない。それだけはどうしても、彼女の回りの人間に聞くしか方法はない。
だからこそ、叔父さんたちは親友の突然の死という受け入れ難い状況にある玲香から、さやかのことを聞き出さなければならないのだ。
被害者はよりによって姪の親友。
叔父さんも相当に気を遣うだろう。
玲香が落ち着くのを待って、今度は中野刑事が玲香に話し掛ける。
「最近、一条さやかさんに変わった様子はなかった?」
彼の優しい問い掛け方を見ていて、私は今回叔父さんと組んでいるのがこの若い刑事でよかったと思った。
叔父さんは刑事になって二十年のベテランで警部だ。優しく話し掛けているつもりでも厳つい印象になってしまうのは、姪の私から見ても否めない。
まして、仕事とプライベートの境が微妙な事件だ。
叔父さんも相当にやりにくいだろう。
「さやか……」
声をしゃくりあげながら、玲香はようやく口を開いた。
「特に、これと言って……」
リズが差し出したハンカチを目頭に当て、答えながら玲香は顔をあげた。
が、そう言った後すぐに何か思い出した様子で、はっと目を見開いた。
「どれくらい前だったかしら。彼氏が出来たって言っていたけれど……。変わった事といったら、そのくらいです」
そうだ、私も記憶がある。
さやかが嬉しそうに報告してくれたと玲香が随分と羨ましがっていた。
あれから、まだそんなに経っていない。
「そう……。相手はどんな人か言っていなかった?」
優しい表情だが、中野刑事は更に内容を掘り下げる質問をした。
「いいえ」
その問いに、玲香は頭を横に振った。
「ただ、内緒にしないと大騒ぎになるから、どんな人かは言えないって。でも、凄く嬉しいから、親友の私にはどうしても教えたかったと……」
そこまで言って、また、玲香の目からは大粒の涙がポロポロと零れ落ち始めた。
その時の嬉しそうなさやかの笑顔を思い出してしまったのだろう。
「お願いします。何か分かったら、私にも教えてください。でないと、さやかが突然いなくなってしまったことをどう受け止めればいいのか……」
最後は涙声でほとんど言葉になっていなかったが、玲香は喉から声を絞り出すようにして、二人に頭を下げた。
「分ったよ。辛い時なのに話してくれてありがとう。教えられる範囲のことがあれば連絡するよ。それでいいかな?」
中野刑事は穏やかな口調で、玲香に言い聞かせるように確認した。
玲香は次々に溢れる涙を一粒たりとも落とさぬよう、ハンカチに顔を埋めたまま、頷いてそれに答えた。
私は涙を流し続ける玲香をリズ任せ、玄関先まで二人を見送りに行った。
扉の前に立つと、中野刑事はくるりと私の方へ振り向き、名刺大の紙を差し出した。
「もし、また他に何か思い出したら、警部か僕に連絡してくれるかな」
私は黙って頷き、中野刑事の手から紙を受け取った。そこには、彼の名前と携帯電話の番号が記されていた。
その日の夜。
玲香は食事も喉を通らない様子だった。
無理もないのは私もリズも分かっている。それでも、少しくらい何か口にしないと、と時間をかけて玲香を説得した。
その甲斐あって、ようやくベッドに座ったまま、インスタントのコーンスープを一杯だけ飲んだ。
温かい飲み物で幾莫かは心身ともに和らいだのか、朝からずっと青白かった頬に赤みが戻った。
そのまま、玲香はまた、ベッドに横になると布団をしっかりと被った。
「ねぇ……、姉さん、リズ……」
「うん」
私とリズはほぼ同時に返事をした。
「あの中野っていう刑事さん……、優しくて感じの良い人ね」
少しだけ、はにかんだような表情で玲香は呟いた。
しかし、すぐに「こんなときに私ったら何を言ってるのかしら。不謹慎……」と自分を戒めた。
「おやすみなさい。二人とも、ありがとう」
続けて、落ち着いた声で私とリズに礼を述べると、さっきの自分の発言を恥じるように寝返りを打って背を向けてしまった。
玲香の部屋を出た私とリズは、なんとなくリビングへ足を向けた。
二人で並んでソファに体を預ける。
「沙織……」
どのくらい黙って座っていただろうか。ふと、リズが私に声を掛けてきた。
「さやかってさ、玲香と似たようなところがあって、生真面目なんだけどロマンチックな女の子だったじゃない?」
「そうねぇ……」
リズの問い掛けに私は生返事をした。
リズが「だった」と過去形でさやかの事を話したことで、私は改めてさやかがこの世からいなくなったのは事実だと胸に刻み付けていた。
「そんなさやかの彼氏って、どんな人か気になるんだけど」
それは私も同感だ。
私はリズの方へ体ごと向き直った。
「調べてみようか」
私は本気だった。もし、反対されても、一人で調べる気になっていた。
リズはすぐに頷き、
「どこまでできるか分からないけど、調べられるところまで調べてみよう」
と、熱い眼差しで同意してくれた。
思わぬ形で親友を失ってしまった玲香のためにも、リズの言う通り、調べられるところまで調べよう。
私たちはお互いの決意を再確認するように、黙って頷き合った。




