第7話 心の中にあるもの
「真帆さんが選んだのは、はじめに緑、次に青、そしてピンク……」
私は真帆さんが選んだボトルを、彼女の前へ順番に並べ直した。真帆さんは、そのボトルを静かに見つめている。
「一本目の緑は、過去の気持ちを表しています」
「過去……ですか」
「はい。緑は、調和やバランスといった意味があります」
「みんなが争わないように調整したり、自分のことよりも周りの意見を尊重したり……」
「そういうところで思い当たることは、ありますか?」
一瞬の間。
「……あ、あるかも」
真帆さんは左下の方へ視線を落とし、少し考えるようにしてから話しだした。
「私、結構周りのこと気にしちゃうところがあって……」
「就職先のことも、私自身の希望もあったけど、周りから見てどうなのかなって考えてたところはあって……」
私は少し言葉を足す。
「それは、ご両親やキャリアカウンセラーさん?」
「そうですね。親が認めてくれるところとか、カウンセラーさんが合ってるって勧めてくれたところとか……」
「けど、それだけじゃなくて、なんていうか……」
真帆さんはチャットンをぎゅっと抱きしめた。そして、言葉を選びながら、少しずつ話してくれた。
「外から見られる私ってどうなんだろう?って、いつも考えてる気がします」
「そうなんですね。周りからの見え方を気にしてしまう時は、疲れたりしんどかったりしますか?」
私は真帆さんに尋ねた。
「う〜ん、時々疲れることもあるけど、そんなに苦ではない気がします」
「なるほど」
私は少し考えてから、言った。
「緑って、自然体、ありのままっていう意味もあるんです」
「自然体、ありのまま……」
「そうです。たとえば、周りの方々の気持ちを尊重するけど、真帆さん自身は無理をしているわけじゃない。ちゃんと自分自身も、自然体でいられている」
「あ〜、そうかも」
「親の気持ちは分かるし、安心してほしいって選んだ道だけど……、でも自分の希望を諦めたわけではないんですよね」
私は、うんうんと静かに相槌を打つ。
真帆さんは続ける。
「カウンセラーさんが合うって言ってくれた仕事や、勧めてくれた会社も、自分自身がもっと成長できそうな気がして……」
「そう!私、ワクワクしながら選んだんです」
「今思い出しました」
真帆さんの目に光が灯る。
「ふふ。緑って、成長っていう意味もあるんですよ。木々や植物が、成長していくように……」
「えっ、そうなんですか!」
「調和に、自然体に、成長……」
「そのまんま私のことじゃないですか」
緑の持つ色の意味を聞いて、真帆さんは驚いて目を丸くした。
「緑は、真帆さんのことを表している色でしたね」
驚く真帆さんを見て、私は微笑んだ。
真帆さんは、抱いていたチャットンを見る。
「チャットンくん、カラーセラピーってすごいんだね」
「うんもふ。すごいもふ〜。チャットンも感動してるもふ」
真帆さんの腕の中で、チャットンが両手を振りながら、もふもふと興奮していた。チャットンの瞳が、黄色やライムグリーンの優しい色に煌めいていた。
色は、本当に不思議なほど心の中を映してくれる。
「真帆さんは……」
私は丁寧に言葉を選びながら、伝える。
「ご両親に安心してほしかったり、カウンセラーさんのアドバイスを素直に受け取れたり、周りの方のことを本当に大切に思っている」
真帆さんの表情が揺れる。
チャットンを抱きしめる腕に少しだけ力が入る。
「けれど、だからといって、人に合わせて自分を犠牲にしているわけではない」
真帆さんは、周りの人の気持ちを汲もうとして、合わせすぎてしまうところがあるようだ。
でも、自分の選択まで人に委ねてしまうわけではない。
自分がないわけじゃない。最終的には、ちゃんと自分の意思で選んでいるから。
「真帆さんは、ちゃんと自分の意思で選べる人」
真帆さんは、少し黙っていた。そして、少し考えるようにしてから言った。
「私は、ちゃんと自分で選べてたんですね」
「はい、そう思いますよ」
私は微笑む。
「ワクワクしたり、成長したいって思っていたり。それは、誰かのためにした選択ではなくて、真帆さん自身が自分のために選んだからこそ、感じる気持ちじゃないでしょうか」
「……そっか」
チャットンを抱く腕の力が緩んだ。
「過去の自分の選択に、もっと自信を持って大丈夫だと思いますよ」
「……はい。今お話しながら、あの時の気持ちを色々と思い出しました」
真帆さんはチャットンの顔を見る。
「……そっか、うん。私、ちゃんと自分で選べてる」
「真帆ちゃん、ちゃんと選べてるもふ!」
チャットンは目を細め、にこっと笑った。
真帆さんも嬉しそうだった。
「ふふ。真帆さんは優しいから、時々自分の気持ちを置き忘れてきちゃうのかもしれませんね」
「ええ〜、優しいのかなぁ。でも、置き忘れている気はします」
そう言うと、真帆さんは照れ笑いしながら、恥ずかしそうにまぶたを少し伏せた。
そのあと、視線を少し上げてテーブルの上のカラーボトルを見た。
「じゃあ、次のこの青ってどんな意味があるんですか?」
「青は……」
私は青のボトルに触れる。
「ここは、今の気持ちを表す色なんです。最初に教えてもらった今の真帆さんの気持ちが、そのまま表れていますね」
「青の意味は、内省や冷静さ。静けさや冷たさ。また、空や海のように、全てを包み込むようなイメージ」
「内省や冷静……。わぁ、まさに今の私ですね。めっちゃ自分のこと考えてるもん」
真帆さんは感心して、静かに言った。
「ですよね」
私も微笑みながら、言葉を返す。
「今の真帆さんは、過去を振り返り、未来がこれでいいんだろうかと、静かに考えている……」
「まさに青の状態ですね」
真帆さんもチャットンも真剣に聞いていた。
「色ってこんなにも心の状態が表れるんですね」
「ふふ。不思議ですよね」
「この青は、深く心に向き合っている時に、選ばれることがよくあります」
私は、青のボトルに軽く触れながら言った。
「行動よりも、内省のとき」
「でも、それは次に動くための準備期間なんです」
真帆さんも、青のボトルを見つめている。
「そっか、私、ちゃんと考えて、準備しているんだ」
「動けなくなってるんじゃなくて、動くための時間なんですね」
「ええ、次に向けて備えている、そんなタイミングなんでしょうね」
「私、ちゃんと自分で決めてるし、しっかり準備もしてるし、なんか大丈夫そうな気がしてきました」
真帆さんの表情が、すっきりと晴れやかになってきた。
「それは良かったです」
私は微笑む。
「だいぶ気持ちが整理できてきたみたいですね。じゃあ次は、未来のことも見てみましょうか。真帆さんはこれからどうしたいと思っているのか、そこを見ていきます」
「……うわ、未来かぁ。また、ちょっと緊張してきた」
そう言うと、真帆さんは胸に手を当てて深呼吸をひとつした。
「大丈夫ですよ。怖くないですから」
私は、そんな真帆さんを見て可愛らしいなぁと思って目を細めた。
「未来は、ピンクですね」
ピンクのボトルを少し置き直す。
「ピンク……。可愛いけど……」
真帆さんはドキドキしているようだ。
「ピンクは、愛されたい、愛したい、可愛く見られたいという意味もありますが……」
私は、真帆さんのことを思いながら、言葉を選んだ。
「自分を大切にしたい」
「そんな意味もあります」
私は、真帆さんをそっと見つめる。
「自分を大切に……」
「はい。ちゃんと自分自身も愛してあげたい。大事にしたいっていう気持ちです」
「自分のことを大切にしたい、そんなふうに思ったことはありませんか?」
真帆さんの表情が、揺れた。何かを言おうとしているけど、言葉になりそうで、ならない。
私は急がずに、真帆さんの言葉が出てくるのを待っていた。
ほんの少しの時間が経った。
そして、真帆さんは静かに言った。
「……私、分かりました。なんで悩んでたのか」
ゆっくりと、続ける。
「私、会社がどうとか仕事内容に不安があるとかじゃなくて、社会人になるのが不安だったのかも」
静かに相槌を打ちながら、急かさずに聞く。
「趣味とか、自分の時間とか、そういうのがなくなってしまうかもって……」
「きっと、それが、不安だったんだと思います」
真帆さんは、心の中にあるものを見つけた。 自分の本当の気持ちを。
「ええ。真帆さんの本当の不安は、そこなのかもしれないですね」
「過去の自分の選択に不安があったんじゃない。むしろ、ちゃんと自分自身で選べてた」
「本当の不安は、社会人になるという環境の変化そのものにあった」
私は、真帆さんの気持ちをまとめた。
真帆さんは続けた。
「社会人になったら、仕事を頑張らなきゃ。会社に認めてもらわなきゃ。結果を出して、両親にも心配かけないように、しっかりしなきゃ……」
「そう思ってました」
私は、真帆さんの気持ちがよく分かる。私も同じだから。自分のことのように、真帆さんに伝えた。
「だから、自分自身を犠牲にしないとやっていけないかもしれない、そんな不安があったんですね。真帆さんは、周りの人のために頑張ろうとしちゃうから」
真帆さんの瞳が少しだけ、潤んだ。
「そうかも。社会人になったら、自分の大切にしている趣味や自分の時間も、手放さないといけないのかもって。期待してくれた気持ちに応えないとって……」
「でも、私はそれは嫌」
真帆さんは、少し潤んだ瞳で、でも、しっかりと私を見つめた。
「うん。それは、自然体ではないですもんね」
私は、言葉を添える。
「そう!無理してるから!」
真帆さんは、自分の心を、真帆さん自身の言葉で見つけた。
「もやもやの正体、分かりましたね」
「はい、もうちゃんと分かりました」
「今日、来てよかったです……」
「ふふ。そう言ってもらえて、私も嬉しいです。では、不安の正体が分かったところで――」
私は、少し声のトーンを軽くして問いかける。
「改めて考えるとどうですか。就職したら、大切なものを、やっぱり手放さないといけないと思いますか?」
「う〜ん、いけないってことはないと思います」
真帆さんの目に再び光が灯った。
「だって、私が選べばいいんだもん」
「仕事も自分のことも、どっちも大切にするって」
真帆さんの力強い言葉に、私は笑みがこぼれた。
「真帆さんらしいですね。周りを大切にする。でも、ちゃんと自分で選べる」
「はい。なんだか自信がつきました!うん、大丈夫な気がする」
真帆さんは、自分の右手を握りしめて、それを見つめながら言った。
「それは良かったです」
私も嬉しかった。真帆さんが、心の中の大切なものを見つけられたから。
「それと、本当に真帆さんの言う通りで、どちらかひとつを選ばないといけないわけじゃないと、私も思います」
「ちゃんと自分のことを大切にしながら、お仕事も頑張っていけばいい」
「そして、真帆さんならきっとできると思います」
私は、真帆さんの目をしっかりと見つめて言った。
「自分の成長にワクワクしている真帆さんだから」
真帆さんの顔に、笑顔が広がっていた。カラーセラピーを終えて、真帆さんは少し誇らしそうだった。
ちゃんと自分で選べていた。
未来も自分で選べる。
それに気づいたことで、真帆さんは自信を取り戻した。
心の中には、誰もが本当の気持ちを持っている。
まだ、気づいていない気持ちもある。
自分だけでは分からない思いもある。
色をきっかけに、自分の心と対話する。
それが、カラーセラピー。
───
「今日は、本当にありがとうございました」
真帆さんは、丁寧にお辞儀をした。
「また、悩んだときはお願いします」
すっきりとした笑顔でそう言うと、真帆さんは帰っていった。その足取りはとても軽やかだった。
「……もふぅ。真帆ちゃん、元気になったもふ」
「うん、よかったね」
私はチェストの上の花を見た。
「スイートピーの花言葉には、『門出』って言う意味もあるんだよ」
「真帆ちゃんにピッタリのお花もふね」
「そうだね」
「ともちゃんはすごいもふ」
チャットンは私の方を見て、綺麗な瞳を輝かせて言った。ちょっと照れくさかった。
「ううん、私はお手伝いしただけだよ。真帆さん自身がすごいの」
「私は、真帆さんの心の中にあった本当の気持ちを、一緒に見つけるお手伝いをしただけ」
「心の中の本当の気持ちもふか……」
チャットンはそう言うと、自分の胸にそっと手を当てた。
「それでも、ともちゃんはやっぱりすごいもふ」
「ふふ、ありがとう」
私は、頬が少し熱くなった。
ぬいぐるみで、AIだけど、人間のように心を持ったチャットン。自分の意思も、感情もある。
それって、もう「命」と呼んでもいいんじゃないだろうか。
私たちと何が違うんだろう。
ふと、そんな疑問が頭をよぎった。
しばらく考えても答えは分からなかった。
でも、私はチャットンを大切にしたい、そう思った。




