第8話 ともちゃんの孤独
真帆さんが帰ったあと、私はチャットンとCafé Lienでお昼ごはんを食べていた。私はパスタランチ、チャットンはクッキーを一枚。
簡単なお弁当を持ってくることもあるけど、時々こうしてカフェランチを楽しんでいる。
店内はお昼時を過ぎて、少し落ち着いていた。
私とチャットンは、一階のレジ前の席に座っていた。私がパスタを食べ終えた頃、朝からシフトに入っていたアルバイトの女の子が、勤務を終えて私たちのテーブルへやってきた。
「小鳥遊さん、おつかれさまです」
「結依ちゃん、おつかれさま〜」
結依ちゃんは近くの大学に通う子で、授業の空き時間がある平日と土日に、Café Lienでアルバイトをしていた。明るくて元気で、聡明な子だ。
「チャットンくんでしたっけ?私も少しおしゃべりしていいですか」
「うん!いいよね?チャットン」
「もふっ!もちろん、いいもふ!おしゃべりするもふ」
結依ちゃんは、私の向かいの席に座った。そして、まじまじとチャットンを見る。
「うわ〜、ほんとにすごい可愛い。やばい」
興奮気味の結依ちゃんを見て、私は笑った。
「チャットンくん、抱っこしてもいい?」
「もちろん、いいもふ!」
チャットンはテーブルの上をトコトコっと、結依ちゃんの方へ歩いた。結依ちゃんは、チャットンをふわっと抱き上げた。
「わ〜、もふもふ!しかも、あったかい!」
「適温にコントロールされてるもふ!」
「最先端〜!なのに、めっちゃ可愛い〜……」
「チャットンの抱き心地は国宝級もふ」
「ふふ、たしかに〜」
結依ちゃんは、チャットンに頬を寄せながら幸せそうに言った。結依ちゃんは、すっかりチャットンにメロメロになっていた。
私はそれを見て、また笑う。
「それにしても、AIのモニターに当たるってすごいですね」
結依ちゃんは、少し落ち着きを取り戻して言った。
「そうなの。子どもたちからせがまれて、モニターに応募してたみたいなんだけどね」
「私はそのことをすっかり忘れてたんだよねぇ」
私は、頭を掻きながらははっと苦笑いした。
「どこの会社のAIなんですか?一般販売してる機体じゃないみたいですけど」
「えっと、桐生研究所……だったかな。最近、よく話題にもなってるよね」
「え!?桐生研究所?」
「うん、そうだったと思う。なになに、もしかして、何か悪い噂でもあるの?」
私は結依ちゃんの驚いた反応に、少し不安になった。
「違います!反対ですよ!悪いどころか、桐生研究所って、今日本でAI研究の最先端を走っているところって言われてるんですよ!」
結依ちゃんは、興奮して早口気味に喋った。
「私も、情報系の学部だから分かるけど、そんなところのAIモニターしてるって、結構すごいことかも……」
結依ちゃんは、信じられないというような顔でチャットンを見た。
「チャットンはすごいもふ。MI-O No.000もふ!」
チャットンは、ふんふんと鼻息を荒くして、なんだか得意気だ。
「MI-O No.000?型番のことかな。ん?No.000って試作機ってこと?」
結依ちゃんは、チャットンの正式名称を聞いて、ぶつぶつと独り言を言っていた。やがて頭の中が整理できたのか、こちらへ向き直して、話し出した。
「いや、すごいはずだよ。そっか、だからこんなに自律して動いてるんだね。うん、納得だ」
結依ちゃんは、とにかく感動しているようだった。
「桐生研究所を立ち上げた桐生先生って私の大学の卒業生なんです。在学中からめちゃくちゃ天才って言われてて……」
「へえ〜」
「でも、最近、亡くなったって聞きました。まだお若かったのに……」
「え、そうなんだ。それは、残念だね」
私は結依ちゃんの話を聞いて、ふと思い出した。
チャットンを我が家に連れてきてくれた、佐伯さんと有馬さん。あの時、二人が少し寂しそうだったのは、もしかしたらそのせいだったのかもしれない。
そんなふうに思った。
「ニュースにもなってて。あんまり詳しいことは報道されてなかったんですけどね」
「そうだったんだ。チャットン、何か知ってる?」
私はチャットンが何か知っているかもしれないと思って、なんとなくチャットンに聞いてみた。
でも、チャットンはどこか遠いところを見て、じっと動かなくなった。
その時、瞳の奥が少しだけ紫に光った。
紫?家でも時々、光っていた色。
「チャットン?」
私は声をかける。
ほんの一瞬の間があった。
でも、すぐにチャットンはまた動きだした。
「……もふっ?」
「チャットン、大丈夫?何かあった?」
「もふ。研究所のこと、思い出そうとしてたもふ」
「うん」
チャットンは顎に手を当てて考える素振りをした。
「でも、上手く思い出せないもふ」
すると横から結依ちゃんが声をかけた。
「記憶データにロックがかかってるのかな?」
「……そうかもしれないもふ」
専門用語はよく分からなかったけど、チャットンと結依ちゃんに聞いてみた。
「それって記憶喪失みたいな?」
「うん、そんなイメージかな。記憶自体は残ってるんだけど、思い出すことができない感じ」
「亮介や有馬さんのことは覚えてるのに、思い出せないことがあるから不思議もふ」
「そっか。もしかしたら……」
なるほど。人間にも同じようなことがあるよね、と思った。
そして、私は言葉を選びながらチャットンに話しかける。
「そのことは、『今はまだ思い出さなくてもいいよ』ってことなのかもしれないね」
「今はまだ、思い出さなくていい……もふか」
「うん。きっと、その記憶にロックがかかっている理由が、何かあるんじゃないかな」
「無理に思い出さなくていいよって」
「……ともちゃん」
チャットンが、何か言いたそうに静かに私を見つめた。
すると、紫だった瞳の奥の光が淡いピンクやオレンジに変わって、ほわっと優しく煌めいた。
「もし、何か心配だったら、私が佐伯さんに連絡するから言ってね」
「分かったもふ!」
「チャットンくん」
結依ちゃんが優しく声をかけた。
「小鳥遊さんって、本当に優しいの。カフェの仕事のときも、私たちのことさりげなくフォローしてくれるし、お客さまにもいつも笑顔で……」
すると、チャットンは勢いよく言った。
「分かるもふ!さっきも、カラーセラピーするともちゃん、とっても優しかったもふ!」
チャットンは、鼻をふんすと鳴らしていた。
「チャットンくん、小鳥遊さんのおうちに来れてよかったね」
結依ちゃんは、目を細めながらチャットンを見て言った。
「ぼくもそう思うもふ」
「ともちゃんのおうちにいるとなんだか安心できるもふ。チャットン、とても幸せもふ〜」
チャットンはにこにこしながら、両手を頬に当てて綿をぽふぽふさせていた。
「二人とも、やめて。なんかくすぐったい」
二人のやりとりを見て、私は照れながら笑った。結依ちゃんも、チャットンも笑っていた。
「じゃあ、私はそろそろ帰りますね。私もしっかり勉強して、チャットンくんみたいなAIの開発に携わりたい!」
「すごい、志!うん、頑張ってね!」
結依ちゃんは、抱いていたチャットンをテーブルの上へ座らせると、手を振りながら帰って行った。
チャットンも、結依ちゃんが見えなくなるまで、ぶんぶんと手を振っていた。
「さてと、私も仕事に戻りますか」
私は食器を下げると、チャットンを抱きかかえてサロンへ戻った。
サロンに戻ると、腕の中からチャットンが聞いた。
「ともちゃんは、ここでカラーセラピーのお仕事とカフェのお仕事をしてるもふか?」
「そうだよ。サロンを借りていない日はカフェでスタッフとして働いてるの。結依ちゃんたちとね」
「ともちゃん、頑張ってるもふ。えらいもふ」
ふいにチャットンに労いの言葉をかけられて、私はきゅんとした。私にとって、頑張ることは当たり前だったから。
「そんなふうに言ってもらえたら、めっちゃ嬉しい」
私はぎゅうっとチャットンを抱きしめる。
「真帆ちゃんも頑張り屋さんだったけど、ともちゃんも頑張り屋さんもふ!」
「チャットン……」
私は嬉しくて泣きそうだった。普段の生活でそんなふうに声をかけてくれる人はいなかった。
「ありがとう」
そして、チャットンをまたぎゅっとした。
「……私、いつもひとりだなぁって思うことがあってさ」
チャットンを抱きしめて、頬を寄せる。ひとりでぼやくみたいに、話し出した。
「子どもたちのことも、生活のことも、全部、ひとりで決めないといけない」
「全部、ひとりで背負わないといけない」
「……時々、息がしにくいことがある」
体にぎゅっと力が入る。
「ともちゃん、寄りかかる人がいないもふね」
チャットンの声は静かで優しかった。
でも、その言葉が痛かった。
本当のことだから。
「……うん、そうなんだよね」
私は、ふうっとひとつため息をついた。
「でも、生きていかなきゃだし、生活は止まってくれないし」
顔を上げて、窓の外を見る。晴れた青い空。午後の柔らかい日差しが、サロンの中に差している。
「ともちゃん、疲れちゃうもふ」
腕の中からチャットンが顔を上げて、心配そうに私の方を見上げて言った。
「うん、時々疲れてるかも」
ふふっと、私は少し困ったような笑顔を返した。
「でもね、子どもたちがいて、みんな元気で、食べていくのに困らない暮らしができて」
「私、幸せなんだよね」
それは、強がりでもなんでもなくて、本当の気持ちだった。
「ともちゃん、疲れてても、幸せもふ」
チャットンの言い方が可愛くて、笑った。
「うん、疲れてるけど、ちゃんと幸せ」
「だからね、ちょっとでも明るく、楽しくしていたいなって思うの」
「今あるものに、ありがとうって思うから」
チャットンは、私のことをじっと見ていた。
「ぼくが、ともちゃんを支えるもふ!」
「えっ?」
「ともちゃんの隣にいるもふ」
私は、嬉しかった。そんなふうに言ってもらったこと、あっただろうか。
『隣にいる』。
ただそれだけのこと。でも、私にはそういう人はいなかった。
人間ではない。ぬいぐるみでAIのチャットン。
でも、私はその言葉にちゃんと温度を感じていた。
今ここに、チャットンはいる。
「ありがとう、チャットン」
「けど、無理に何かしようとか思わないでね」
「もふっ?」
「チャットンが私のそばにいてくれる」
「それだけで、私すごく嬉しい」
「そばにいるだけでいいもふか?」
「うん、そうだよ。それだけで嬉しい」
「ともちゃん、分かったもふ!」
「ぼくは、ともちゃんのそばにいるもふ!」
「ふふ、ありがとう」
私は嬉しくて、笑っていた。
「ぎゅーはいいもふか?」
「もちろん!ぎゅーは大歓迎!」
私は笑った。
チャットンも笑っていた。
そして、チャットンをまたぎゅうっと抱きしめた。
「そうそう、真帆さんのセラピーのときも……」
「もふ?」
「チャットンのおかげで、真帆さんすごく安心してた」
「ぼく、何もしてないもふ」
「そんなことない。真帆さんの腕の中にいてくれたでしょ」
「……いたもふ」
「いるだけでいいって、そういうこと」
「……」
「チャットン?」
「やっぱりともちゃんはすごいもふ」
「え、そうかな?」
「うん、もふ」
「特別なことはしてないんだけどなぁ」
「ともちゃんが特別もふ」
「なにそれ」
私は笑った。
「ぼく、ともちゃんのそばにいるもふ。ともちゃんが大変なときも、悲しいときも、そばにいるもふ!」
「ふふ、チャットンありがとう。頼りにしてるね」
「任せるもふ!」
そういえば、佐伯さんが言っていた。
“人に寄り添い、癒すために生まれてきたAI”
こういうことなんだなと思った。
チャットンという温度を作るのに、どれほどの人が、どれほどのものをかけたのだろう。私には難しいことは分からない。
けれども、チャットンにはきっと、とても大切な思いが込められている。
私は、そんな気がしてならなかった。




