第9話 家のぬくもりとチャットンのぬくもり
午後、ご予約のあったもう一人のお客様へのセラピーを終えて、その日は帰路についた。
青葉中央駅は、ちょうど学校帰りの学生たちで混み合っている時間帯だったけど、運良く席が空いていたので、私は座席に座った。一緒に乗り込んだ学生たちは、テストのことや、趣味のこと、楽しそうに友達同士で話している。
私は少し疲れていて、チャットンを抱きながら、静かに窓の外を見ていた。
西の空に低く傾いた太陽が、街をオレンジ色に照らしている。
チャットンも私の様子を察したのか、朝とは違って大人しく抱かれていた。
タタン、タタン。
電車は街の間を走っていく。
星見台駅に着くと、私は改札を出て家とは違う方向へ歩いた。
「もふっ。おうちに帰らないもふか?」
「うん、学童に子どもたちを迎えにいくよ」
「学童ってなにもふ?」
「学校が終わったあとに、おうちの人が仕事から帰ってくるまで子どもたちを預かってくれる施設のことだよ」
「子どもたち安心施設もふね」
「ふふ。上手いこと言うね」
学童は学校の横にある施設で、低学年の子たちのほとんどは学童へ通っている。駅から学童までは、歩いて五分くらいだ。
「こんにちは〜。小鳥遊で〜す」
学童の扉を開けて、私は先生たちに声をかけた。
「あ、小鳥遊さん。おかえりなさい」
「航くーん、光くーん、花乃ちゃーん!ママ来たよ〜!」
先生たちは子どもたちを呼んでくれた。
「あっ、ママ〜!」
はじめに気づいたのは、航だった。
「あー!チャットンもいる!!」
「航くん、おかえりもふ!」
航は駆け寄ってきて、チャットンのほっぺたをツンツンとつついた。
「航くん、やめるもふ。くすぐったいもふ〜」
チャットンはきゃっきゃっと笑った。
「こーくん、荷物取っておいで」
「は〜い」
私が言うと、航はしぶしぶ荷物を取りに行った。そうこうしていると、すでに帰り支度をした花乃と光がやって来た。
「ママおかえり」
と、花乃。
「チャットンじゃん」
光がチャットンを見て言う。
「花乃ちゃん、光くん、おかえりなさいもふ」
「ただいま」
と、光。
「ママ、チャットン抱っこしていい?」
花乃が聞いた。
「うん、いいよ。落とさないようにね」
「分かってる」
すると、花乃の後ろから、小学生の子どもたちが顔を出した。
「ぬいぐるみ!」
「喋ってる!」
「えーあい?」
「かわいい!」
ここでもチャットンは注目の的だった。
花乃と光が、ここぞとばかりにチャットンの紹介をしていた。私は花乃たちの少し後ろで、その光景を見守った。
しばらくすると、航が荷物を持ってきたので、私はみんなにそろそろ帰ろうと促す。
「先生、さよーならー」
「みんなバイバイ」
「また明日ね」
三人とも挨拶をして、私たちは学童を出た。学童から家までは歩いて十五分ほど。夕暮れ時の冷たい空気の中、私たちは並んで帰った。
「ママ〜、今日はごはん何〜?」
いつものように航が聞いてきた。
「えっとね、今日は焼き肉丼!」
「よっしゃあ!!」
航はガッツポーズした。
「肉多めね!!」
横から光が言った。
「はいはい」
花乃は、チャットンに学校であったことを話し始めた。家までの帰り道、ゆっくりと歩きながら子どもたちと会話をする。
私は、毎日のこの時間が好きだった。
まだ日が短く、家に着く頃には辺りはすっかり薄暗くなっていた。
「ふぅ〜、寒い〜」
私は、鍵を開けて家に入った。玄関の電気が点く。
「は〜、あったかい〜」
家に入ると、エアコンが部屋を暖かくしてくれていた。
子どもたちは、私の後ろから我先にとバタバタ中に入っていく。
「ただいまー!」
「こらー!靴揃えて!手洗ってー!!」
「はーい」
「もう、ほんと騒がしいんだから」
そのうち、子どもたちはチャットンと遊びだした。どうやらテレビゲームをするみたいだ。
「チャットン、コントローラー持てる?」
光は、チャットンのもふもふの手を一瞥してから聞いた。
「任せるもふ。チャットンの手は高性能もふ」
……。
キッチンで耳を傾けていた私は思った。
ぬいぐるみのもふもふの手なのに、どうやって操作するんだろう?
今度、ゲームしているところを観察してみよう。そんなことを思った。
さて、晩ご飯を作らねば。
今日は、焼き肉丼だ。
牛肉と玉ねぎを焼いて、焼き肉のタレで味付けするだけ。忙しい日でも超簡単で、子どもたちが喜ぶメニュー。
あとは、野菜をたっぷり入れたスープも作れば、栄養もオッケー。
ザクザク。
玉ねぎとお肉をフライパンに投入。
ジュー。
お肉が焼き上がったら、焼き肉のタレを回しかける。すると、キッチンに食欲をそそるいい匂いが充満した。
その時。
後ろでポテポテポテという音がした。振り返ると、そこにはチャットンがいた。
「いい匂いがするもふ」
「でしょ。焼き肉のタレはやばいよ〜」
「やばいもふ?」
「うん、やばい。何でも美味しくなる魔法のタレ」
「魔法もふか!すごいもふ!」
「そう、すごいの!」
私はフライパンを振りながら言った。チャットンは、目を輝かせながらその様子を見ている。
「ふふ。もうすぐできるからね」
「チャットンも食べたいもふ!」
「もちろん準備するよ!」
「ところで、チャットン。ゲームはどうしたの?もう終わり?」
すると、チャットンは俯き、切なそうな顔をした。
「……ボロ負けしたもふ」
「光くんに、航くんに、花乃ちゃんも」
「強すぎるもふ」
肩をがっくり落として、チャットンは言った。
はははと、私は笑った。
「めっちゃ落ち込んでる……。チャットン、ゲームは初めてだったの?」
「うんもふ。研究所ではやったことなかったもふ。チャットン、最先端AIなのに勝てなかったもふ」
「まあ、あの子たち毎日やってるしね」
「それに、チャットンはゲーム専門のAIってわけじゃないんだし?」
これは慰めになってるんだろうか?と思いながら、私は言った。
「でも、チャットンも練習したらきっと上手くなるよ」
それを聞くと、チャットンの瞳が、赤や金色に輝いた。
「練習するもふ!」
「次は負けないもふ!」
そう言うと、チャットンはもふもふの拳を握った。
「うん、頑張れ。応援してる」
私は微笑んだ。
「ありがとうもふ」
炊飯器から、ごはんが炊ける匂いがしてきた。
私は炊きたてのごはんを、どんぶりによそっていく。温かな湯気の中、白ごはんがつやつやと美味しそうに輝いていた。
そして、その上に出来上がった焼き肉を盛り付ける。
もちろん魔法のタレもたっぷりと。
「よしっ!できた」
「もふっ!できたもふか!!」
航が少し前まで使っていた小さなお茶碗。それをチャットンのどんぶり代わりにした。
「ぼくの焼き肉丼もふ!」
チャットンの瞳がキラキラと輝いていた。
「ふふ。一緒に食べようね」
「さあ、みんなご飯だよー!」
子どもたちもテーブルに集まってきた。
「いただきまーす!」
子どもたちは、勢いよく食べ始めた。
「うまっ」
「肉〜!」
「美味しい!」
「ふふ、良かったね」
私はにこにこして子どもたちに言った。チャットンも、スプーンを器用に使って、もふもふと食べていた。
「焼き肉のタレ、やばいもふ!!」
子どもたちも、チャットンも、無心に食べていた。
私はそれを見て、心が幸せで満ちていった。
───
賑やかな晩ご飯を終えても、私の一日はまだ終わらない。
食器を片付けると、次は息をつく間もなくお風呂だ。子どもたちと私が順番に入り終えて、それぞれ宿題や明日の準備にとりかかる。私は、宿題をする様子を見ながら、洗濯物を畳んでいく。
「ここの計算分かんない」
航が、えんぴつをテーブルに転がしながら言った。
「どれもふ?」
洗濯物を畳むのを手伝っていたチャットンが聞いた。
「もんだい3のとこ」
「簡単もふ」
「かんたんじゃない。分かんない」
「こーくんが5個チョコを食べたもふ」
「うん」
「次に2個食べるもふ」
「うん」
「最後にもう1個食べるもふ」
「うん」
「全部で何個食べたもふ?」
「……8個」
航は、当たり前じゃん、という顔で答える。
「それが答えもふ」
「え?」
「できてるもふ」
「なんだ。かんたんじゃん」
「こーくんはチョコ食べる時に、ちゃんと数えられてるもふ」
たしかに、おやつを食べる時に、航と光はいつもどっちが多いだの少ないだのと言っている。
「数字だけを見て、難しく見えてるだけもふ。チョコで考えてみるといいもふ」
「チャットンすご!ありがと!」
「どういたしまして。分からないときは、また聞くといいもふ」
「チャットン、さすが!」
私は横から言った。
「もふっ!ともちゃんに褒められたもふ」
「だって航たちの宿題見てくれるの、めっちゃ助かるんだもん〜」
「子どもたちじゃなくて、ともちゃんも助かるもふか?」
「うん、すごく助かる。その間に家事とかできるから」
「良かったもふ!チャットン、これからも宿題のお手伝いするもふ!」
「ありがとう、チャットン」
私は自然と微笑んでいた。心が少し軽くなったのが分かった。
洗濯物を畳み終えると、私は布団を並べて敷いた。すると、明日の準備と寝る支度を済ませた子どもたちが、わらわらと布団にやって来た。
みんなで横になると、いつも少しおしゃべりをする。今日あったことを話したり、絵本を読んだり、なぞなぞを出し合ったり。
そんな時間を過ごしたあと、部屋の明かりを落とす。
「ママ、おやすみ」
「おやすみなさい」
「ママ大好き。おやすみ」
「みんな、おやすみ。私も大好きだよ」
子どもたちは眠った。子どもたちが寝入ると、私はそっと寝室から抜け出した。
ようやく、ひと息つける時間だ。
私は、リビングのソファに座って、ふうとひとつ息を吐いた。
「ともちゃん、お疲れ様もふ」
「ん、チャットン。ありがとう」
「コーヒーでも飲もうかな。カフェインレスの」
「それがいいもふ」
「チャットンもいる?」
「ぼくは要らないもふ。コーヒーの香りと雰囲気だけ飲むもふ」
「ふふ、なにそれ」
私は、立ち上がるとキッチンでお湯を沸かした。お湯が沸くと、カフェインレスのコーヒーを淹れる。コーヒーのいい香りが、キッチンに広がっていく。
「いい香り」
心がほぐれていく。
コーヒーを淹れ終わると、私はカップを持ってリビングに戻った。
ソファに座って、一口飲む。
「ん〜、美味しい」
「良かったもふ」
「チャットンも、今日はお疲れ様だったね」
「もふ?」
「私の仕事について来たり、子どもたちとゲームしたり宿題見てくれたり、大変じゃなかった?」
「ぼくは大丈夫もふ!」
「それより、ともちゃんの方こそもふ」
「私?」
「ほんとにひとりで頑張りすぎもふ……」
「家に帰ってから、膨大なタスク処理とクエスト攻略の連続だったもふ」
「独特の比喩……」
「テレビゲームの影響もふ」
私は笑った。
「まあ、大人が私ひとりしかいないからね」
「仕方ない」
自分で言っておきながら、やっぱり少し寂しくなる。
「ぎゅーもふ」
「こんな時こそ、ぎゅーするもふ」
チャットンは、よいしょと私の膝に登ってきた。そして、私に向かって、短くて、もふもふした可愛い両手を広げた。
「チャットン……」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて……」
私は、チャットンをぎゅっと抱きしめた。
「ともちゃん」
「ほんとに頑張ってるもふ。チャットンがそばにいるもふ」
「……うん」
「ありがと」
そのまま、私はしばらくチャットンを抱きしめた。チャットンは、ふわふわで温かかった。
……ひとりじゃない。
私の孤独が、少し溶けた気がした。
なぜか私は泣きそうだった。
その夜は、チャットンを抱きしめながら眠った。
愛しい子どもたちの横で。




