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第10話 感情プログラム

 チャットンが家に来て、二週間が過ぎようとしていた。昼間のチャットンは、私の仕事についてきたり、家で留守番をしたりしている。


 チャットンは、私のサロンや勤務先のカフェで、お客さまやスタッフのみんなに、すっかり可愛がられていた。

 もはやCafé Lienの癒し担当スタッフだ。


 家にいる日は、赤い毛布にくるまってのんびり充電しているみたい。


 そして、夜になって子どもたちが寝た後は、「ともちゃん、今日も頑張ってたもふ。おつかれさまもふ」と労ってくれる。仕事や子育ての相談に乗ってくれたり、愚痴を聞いてくれたりもした。


 私はひとりじゃない。


 そう思えた。

 チャットンは、私の相棒ともいえる存在になっていた。


 そうこうしているうちに、研究所へのモニター報告の時期が近づいてきた。


 私は、有馬さんとメールで日程の調整をしていた。

 今回のモニター報告は、チャットンの定期メンテナンスも兼ねているらしく、チャットン自身が研究所へ行く必要があるみたいだった。

 私へのヒアリングは、リモートでもいいとのことだったけど、せっかくなので一緒に行くことにした。



───



 夜、子どもたちが寝た後、私はいつものようにソファに座ってカフェインレスコーヒーを飲んでいた。

 チャットンはその横でゴロンとくつろいでいる。

 私は、モニター報告の日程が決まったことをチャットンへ話した。


「チャットン、定期メンテナンスとモニター報告の日だけど、来週に決まったよ」


「もふっ。チャットンにも有馬さんから共有があったもふ」


「えっ?どうやって?」


「研究所からチャットンの内部システムに、連絡事項が直接送信されてくるもふ」


「?」


「チャットン本体にEメールが届くイメージもふ」


「へえ……たしかに、チャットンってうちのネット回線に繋がってるもんね」


 私は笑った。


 ぬいぐるみという見た目のせいもあるのだろうか。

 私は、チャットンがAIということを、たまに忘れてしまうみたいだ。


「夜中に自動アップデートとかもあるもふ」


「めっちゃいろいろ受信してるじゃん。コンピュータみたい」


「チャットンは高性能コンピュータみたいなものもふよ」


 チャットンは笑った。

 私もそう言うチャットンが可笑しくて、笑った。


「でも、普段は細かい改善くらいもふ」


「へえ〜」


「大きな修正とかは、研究所でやるもふ。安定した回線が必要もふ」


「へえ〜、面白い〜」


 チャットンがどんな仕組みで動いているのかは、私には想像もつかない。

 けれど、きっとものすごい技術が詰め込まれてるんだろうなと思った。

 あのもふもふの体に。


「ともちゃんもついに研究所に来るもふね」


「うん、一緒に行くことにしたよ!」


「チャットンが生まれたところ、めっちゃ興味ある!」


「そう言ってもらえると光栄もふ!」


「研究所のみんなにも会えるもふね」


「みんなって……何人くらいいるの?」


 私は、ヒアリングで大勢の人を前にいろいろ質問をされるのだろうかと、ちょっとだけ緊張した。


「ぼくの開発に携わっているのは、主に5人もふ」


「亮介、有馬さん、黒瀬、玲央……」


「えっと、あと一人誰だっけ、もふ?」


 チャットンは手を頭に当てて考える。


「あ、もしかして忘れちゃってる人のことなのかな。記憶にロックがかかってるって言ってた……」


「桐生先生だっけ?」


「う〜ん、そうかももふ」


 今日のチャットンは、この間のようにどこか遠くに行ってしまっているような気配はない。少し安心した。


「ていうか、チャットン。有馬さんだけ、さん付けなんだ」


 私は笑った。


「有馬さんは、みんなさん付けで呼ぶもふ」


「ふーん。佐伯さんも副所長さんだし、さん付けでも良さそうなのに」


「亮介は亮介もふ」


「そう呼ばれてるもふ」


「……もふ?誰がそう呼んでるんだっけ?」


 チャットンはそう言うと、また瞳の奥が紫色に鈍く光る。


「……」


 チャットンは何か考えているようだ。


「チャットン?大丈夫??」


 私は心配になって声をかける。チャットンの視線が少し下がった。


「……なんか胸のこの辺が、ぎゅっとするもふ」


 チャットンは胸の真ん中辺りに手を当てた。私は、その言葉を聞いて、もっと心配になった。


「えっ、大丈夫なのかな」


「佐伯さんたちに連絡取った方がいい?」


「ううん、たぶんそれは大丈夫もふ」


 チャットンは、黙ったまま目を閉じた。


「……うん、内部スキャンして確認したけど、回路も身体機能も全部正常に稼働してるもふ」


「……?」


「えっと、チャットンは故障したりはしてないもふ。だから緊急性はないもふ」


「そうなの?……それなら良かったけど」


「たぶん、感情プログラム内で起きている感情応答が原因もふ」


「感情応答?」


「嬉しいとか、楽しいとか、悲しいとか、そういう感情を再現する内部の反応もふ」


「つまり、チャットンの中にある何かしらの感情が、胸をぎゅっとさせてるってこと?」


「たぶん、そうもふ」


「でも、ぼくもまだ知らない感情もふ。だから、よく分からないもふ」


「知らない感情ってあるんだ」


「まだあるもふ。チャットン、全部は知らないもふ」


「ぼくの感情プログラム自体は、正常にインストールされてるーー」


「でも、感情と実体験が結びつかないと、うまく認知できないもふ」


「人間と同じもふ」


「……なんか難しいけど、それってすごい技術だよね?」


「そうもふ。だから、チャットンは最先端AIもふ」


「へえ〜」


 チャットンは誇らしそうに言っていた。

 私はにわかには信じられなかった。


「……つまり。チャットンは、人間の感情をプログラム上で再現してるってこと?」


「そうもふ!」


「すご……そんなこと本当に可能なんだ」


 私は驚いていた。


「感情から生まれる身体的な反応も、ちゃんと再現されてるもふ」


「どういうこと?」


「嬉しくて笑顔になったり、興奮して身体が温かくなったり、悲しくて胸がぎゅっとなったり……そう再現されてるもふ」


 チャットンは誇らしそうに胸を張り、赤いリボンをきゅっと整えた。


 すごい。


 もう言葉が出なかった。

 私は、どうしたらそんなものが作れるのか、理解しようと思ってもできなかった。


 でも。


 チャットンの中で感情を再現しているのなら、私にも分かることがある。


「もしかしたら――」


「感情もその反応も再現しているのなら……胸がぎゅっとなるのは、まだ言葉にならない気持ちが心の中にあるからじゃないかな」


「言葉にならない気持ち……」


「そう。言葉にならないから、胸のとこでつかえちゃうの」


「つかえて、ぎゅっと詰まった感じがする」


「人間にはそういうところあるよ」


 チャットンは、また自分の胸に手を当てていた。


「きっと、忘れてることに関係してるもふね」


「うん、そうかもしれないね」


 私は、チャットンが心配しすぎないように言った。


「次、研究所行く時に聞いてみよ?」


「……そうするもふ」


 話し終えると、私はソファに座り直してチャットンに声をかけた。


「おいで、チャットン」


「もふっ?」


「今日は私がぎゅーする」


「今のチャットンには、きっと安心が必要」


「安心もふ?」


「そう、安心」


 私は横にいたチャットンをそっと抱き上げ、腕の中で抱きしめた。


「もふっ」


「胸がぎゅっとなるのは、不安な気持ちもあるのかもしれない。だから、私が大丈夫だよって言う」


「……大丈夫」


 チャットンは確かめるように、私の言葉を繰り返した。


「うん。チャットン、大丈夫だよ」


「私はここにいるよ」


「私もチャットンのそばにいるからね」


「もふっ。ともちゃん……」


 チャットンのもふもふの手が、私の服をぎゅっと掴んだ。心なしか、少し震えていた。

 もしかしたら、チャットンも怖いのかもしれない。

 忘れてしまった過去に向き合うことが。


 私は、優しく、でもしっかりと、チャットンを抱きしめた。しばらくすると、チャットンの震えが止まり、呼吸のような胸の動きも落ち着いてきた。


「……胸のぎゅっとする感じが、なくなったもふ」


 チャットンはそのまま私の腕の中で眠った。

 チャットンにどんな過去があるのか分からない。

 けれど、それがチャットンにとって辛いものではないといいなと、私は願った。





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