第11話 失うということ
朝の柔らかい陽射しで目が覚める。
今日は、Café Lienでカフェスタッフとして働く日だ。
いつものように子どもたちを送り出した後、私は電車に乗り、青葉中央駅まで向かう。
チャットンは、昨日のことはすっかり忘れたように、電車の窓の外を楽しそうに眺めていた。
それにしても、チャットンが人間の感情を再現しているなんて、いまだに信じられない。
いや、でも。
それくらいの技術がないと、この自然さにはならないか。
一体どんな頭脳を持った人たちが、このチャットンを作ったのだろう。研究所に行くことは楽しみだったけど、そんなすごい人たちに会うと思うと緊張もしてきた。
そんなことを考えていると、Café Lienに着いた。
私はチャットンを一階のカウンターの上に座らせた。
「おはようございます〜」
先に出勤していた結依ちゃんたちに挨拶をする。
「あ、小鳥遊さん、おはようございます。チャットンくんも、おはよう」
「おはようもふ〜」
私は、着替えるためにバックヤードへ入った。
「チャットンも手伝うもふ」
「ありがとう〜!じゃあいつものお願いね」
後ろでチャットンと結依ちゃんの声がした。
私が着替えて戻ってくると、チャットンはレジに並んでいるお客さまにメニュー表を手渡していた。
「あら、可愛いくまさんね」
「メニューをどうぞもふ」
「ありがとう」
お客さまは、チャットンのことをカフェの接客ロボだと思っているみたい。
チャットンの働きぶりを微笑ましく見ながら、私も仕事を始める。食器の返却台から食器を下げたり、トイレの清掃確認をしたり。
そうやってホールを回っていると、サロンから一人の女性が出てきた。
「巴ちゃん、おはよう」
「あ、麗香さん。おはようございます」
彼女は私のカラーセラピーの先生で、ここCafé Lienのオーナーだ。
昔は、この青葉中央の繁華街でホステスをしていたみたい。自分でお店を出す時に、みんなが気軽に憩えるような場所を作りたいと言って、夜のお店ではなくこのCafé Lienを開いたと聞いている。
カラーセラピーのことも、仕事のことも、麗香さんには本当にお世話になっている。
麗香さんは、サロンの扉を閉めてどこか出かけるようだった。
「どこかお出かけですか?」
「ええ、今日は姉の命日なの。セッションの合間にお墓参りに行こうと思って」
チャットンが麗香さんに気づいて、ポテポテと近寄ってきた。
「麗香さん、おはようございますもふ」
「あら、チャットンくん。今日は来てたのね。おはよう」
「ぼくも、お手伝いしてたもふ!」
「ふふふ。ありがとう」
そう言うと、チャットンの頭をぽふっと撫でた。
「チャットンくん、巴ちゃんのこと。ちゃんと見ててあげてね」
「もふっ?ちゃんと相棒してるもふよ!」
「それなら良かった」
「巴ちゃんは、どうも一人で頑張り過ぎるところがあるから……」
「ええ〜、そうですかね」
私は苦笑いした。
「分かるもふ。ともちゃんは全部自分で抱え込みがちもふ」
「でしょ」
「やり過ぎてるのに、出来てないって言いがちもふ」
「あるある」
「え〜、二人ともやめてくださいよ〜。なんか恥ずかしい」
私はみんなからそんなふうに見られてるんだと知って、急に恥ずかしくなった。
「でもね、巴ちゃん、冗談じゃなくて」
「疲れたときは、遠慮せずにちゃんと休みなさいよ」
「……はい、ありがとうございます」
麗香さんの優しさが嬉しかった。
でも、私を見る目がほんの少しだけ切なさを含んでいるようだった。なんとなく気になっていると、チャットンも同じように感じていたようで、麗香さんに声をかけていた。
「麗香さん、大丈夫もふか?寂しい気持ちが見えるもふ」
「あら、鋭いのね」
「ぎゅーするもふ?」
「ふふ、ありがとう。じゃあ、お願いしようかしら」
麗香さんは、チャットンをそっと抱きしめた。
「麗香さん、いい匂いするもふ」
「あらあら」
麗香さんは笑った。
「ふふ、チャットンの方が癒されてる」
私も、横で一緒に笑った。
「巴ちゃんはね、私の姉に似てるのよ」
麗香さんはポツリと言った。私はどきりとする。
「お姉さんもふ?」
「そう。今はもう亡くなってるんだけどね」
「もふ?天国にいるもふか?」
「そうね、そうだといいと思ってるわ」
「姉はね、一人で頑張り過ぎちゃったのね」
「それで、無理がたたって病気になってしまって……」
チャットンを抱く腕に少し力が入る。
「麗香さん、お姉さん大好きだったもふね」
チャットンが心配そうに麗香さんを見つめる。
「ええ。大好きだったわ」
「小さい頃はよく一緒に遊んだし、綺麗で、頭が良くて、面白くて」
「それに、とても優しかった」
「お姉さん、素敵な人もふ」
「ふふ。ありがとう」
微笑む麗香さん。
カフェの外では、人が行き交っている。二人の若い女性が、仲良さそうに喋りながら、お店の前を通り過ぎていった。
麗香さんもその光景を見ていた。
「私たち姉妹はとても仲が良かったの。いつも一緒にいて」
「けど、最期は一人で行ってしまった」
「あんなに早くお別れが来るなんて思ってもみなかった」
麗香さんは寂しそうに微笑みながら、まぶたを少し伏せた。
「……寂しいもふ」
「ええ。もう遊べないし、話せない。とても寂しいわね」
麗香さんを見つめるチャットンの瞳の奥が、紫に鈍く光っていた。
いつも、忘れていることを思い出そうとしている時に見える光の色。
もしかして、紫の意味って……
孤独、不安、喪失?
そういうものに近い意味なのかもしれない。
「でもね」
麗香さんの声が、少し明るくなる。
「もう、姉とは会えないけど、ここにはずっといるの」
そう言って、胸に手を当てる。
「胸にいるもふか?」
「そう。姉と一緒に過ごした日々は、私の中に残ってる」
「楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだったこと。全部、ここに残ってる」
チャットンは、自分の小さな胸を見た。
「姉はいなくなってしまったけれど、その時に感じたことや思い出は消えてない」
「……消えてないもふ」
「だから、会えなくなってすごく寂しいけど、でも、幸せもちゃんとあるの」
「寂しいと幸せが一緒にあるもふね」
「そう。寂しいけど、ちゃんと幸せ」
「麗香さんは、今もお姉さんのことが大好きもふね」
「そうよ。今でも大好き。大好きだった姉のことを寂しいことだけにしたくないの」
「できることなら、もっとたくさん一緒に時間を過ごしたかったけどね」
チャットンの瞳が切なく輝いていた。
「だから、チャットンくん」
「はい、もふ」
チャットンが姿勢を正す。
「巴ちゃんが無理してたら、ちゃんと休みなさいって言ってあげてね」
「分かったもふ!任せるもふ!」
「強制終了するもふ!」
「ふふ、頼もしいわ」
私は、二人のやりとりを隣で静かに聞いていた。
寂しいけど、ちゃんと幸せ。
もう会えないけど、思い出は消えない。
今も大好き。
それが、大切な人を失うということ。
麗香さんは、「しんみりさせてごめんなさいね」と言うと、お姉さんが好きだったというコーヒーを片手に、お墓参りへ出かけて行った。
「ともちゃん」
チャットンは、まだ麗香さんを見ながら言った。
「会えなくなっても、好きは消えないもふね」
「そうだね」
「寂しいけど、ちゃんと幸せもふね」
「そうだね」
「でも、ちょっとでも長く、まだ一緒にいたかったもふね」
「うん、そうだね」
チャットンは麗香さんが見えなくなるまで、その背中を静かに見送っていた。
瞳の奥では、暗い紫色の光が輝いていた。




