第12話 桐生研究所
桐生研究所の一部屋。パソコンが置かれたデスクが並んでいる。その一番奥の一角に、佐伯はいた。
「今日はチャットンの定期メンテナンスか」
「……元気にやってるかな」
「まあ、連絡がないってことは順調ってことなんだろうけど」
佐伯はパソコンを見つめたまま、椅子にもたれながら、独り言を呟くようにぼそぼそっと話した。
隣にいた有馬は、読んでいた本をパタンと閉じて言った。
「小鳥遊さんとのメールでは、元気にやっているとのことですよ」
佐伯は有馬の方を見た。
「元気……か。あいつ、汐里がいなくなったこと、どう思ってるんだろ」
佐伯は腕を頭に回し、天井を仰ぎながら言った。
「どうなんでしょうね。あの日、自分からダンボールに入っていたくらいですし、少なからずショックは受けているんじゃないでしょうか」
「ですよね。ログのオート解析には、特に問題点はなかったし、今日、本人が来たら詳しく解析していくか……」
佐伯は、少し姿勢を正して言った。
「メンテでも、ちゃんとケアしてあげたいですね」
佐伯の向かいのデスクから、北原玲央が手を止めて二人の会話に加わった。
北原はチャットンの感情応答や感覚系、それらを身体反応へ結びつける機構の開発者であり、その調整を担当している。
北原の開発した技術で、チャットンの感情応答と身体反応は、自然に連動していた。
例えば、嬉しいと笑顔になり、悲しいと涙が出る。
逆に、人に触れたり、食べ物を味わったりしたときには、センサーが受け取った外部からの情報が、「嬉しい」「美味しい」といったチャットンの感情応答へと結びつく。
チャットンの感情応答と身体反応は、相互に影響し合うように設計されていた。
北原の隣にいる黒瀬巧も、タイピングしている手を止めずに話し始めた。
「バッテリーチェックと、各身体機構もメンテして……。クリーニングもできればしてやりたいな」
黒瀬は、チャットンの身体機構や運動制御の部分を担当している。
つまり、チャットンのもふもふボディを作った人物だ。
チャットンが自然に歩き、瞬きをし、人間を抱きしめる。
その一つひとつの動きには、黒瀬の並々ならぬこだわりと、幾度もの試行錯誤が詰まっていた。
「今日はやることがたくさんですね」
有馬はみんなを見ながら、久しぶりにチャットンに会えるのを楽しみとでも言うように、ふふっと笑った。
「あとは、感情学習の進捗状況についての確認もある」
佐伯がパソコンの画面をスクロールしながら言った。
「チャットンのメインテーマっすね」
と、北原。
「もう、だいぶ習得してきてるけどな」
佐伯は、前回のメンテナンス時の記録を見ていた。
「研究所内だけでは得られない経験を、一般の家庭で積み、感情を学ぶ……か」
黒瀬がタイピングしていた手を止めて言った。
「汐里さんも、大胆っすよね。研究所の関係者じゃなくて、一般の人にチャットンを預けるって」
北原も、黒瀬に続いて言った。
佐伯は画面から目を離して、二人の方を向く。
「あいつは……いつも合理的にしか動かないやつだったからな。必要なことだったんだろ」
「でも、せめてなんで小鳥遊さんに決めたのか、そこんとこは共有してほしかったっすね」
「……まあ、そうだな」
「あれから数週間経ちましたが、本当にまだまだ落ち着きませんね」
有馬が、窓辺でコーヒーカップを片手に静かに言った。
外は晴れている。
日差しのおかげか、いくらか寒さも和らいでいた。
佐伯も席を立って、給湯器にカップをセットした。
「ほんと、それですよ」
佐伯はコーヒーを淹れながら、話した。
「所長を誰にすんだ問題」
「チャットンの研究をどう続けていくか問題」
そして、佐伯は部屋の隅に立つ一人の青年に視線を送った。
ダークグレーの柔らかそうな髪に、夜空のような深い紺色の瞳。
整った顔立ち。
深いグレーのスーツを着た三十歳前後にみえる青年が、姿勢正しくそこに立っていた。
「……ノエルはどうしたらいいんだ問題」
そう言うと、佐伯は頭をわしゃわしゃっと掻いた。
それを見て、有馬が優しく声をかけた。
「佐伯さん、時間はかかりそうですが、ひとつずつ解決していきましょう」
「……ですね」
数週間前に、所長の桐生汐里が突然亡くなった。その影響は大きく、研究所内はまだ落ち着いていなかった。
日々の業務に関しては、日頃から責任者を選任し、彼女がいなくても回るように運用されていたので、幸い大きな混乱は起きていない。
だが、研究所として目指すところ、すなわち未来へのビジョンは揺らぎ、職員たちは不安の中にいた。研究所の行き先を決めていた桐生汐里が、今はもういなくなってしまったから。
今、彼らは、まるで船長を失ってしまった船員たちのようだった。
「ただ、チャットンがこのタイミングで小鳥遊さんのところへ行ったのは、もしかしたら良かったのかもしれません」
有馬は、少し考えながら言った。
「なんでです?」
佐伯はコーヒーを一口、熱そうに飲んだ。
「我々といたら、どうしても思い出してしまうでしょうから……」
それを聞いて、北原がうーんと考える素振りをしながら言った。
「たしかに、そうかもしれないです」
「ここにいたら、感情応答への負荷がきっと大き過ぎます。それが続けば、チャットンへの負担も大きくなる」
「大き過ぎる負担は正直何が起こるか分かりません……」
「そう考えると、小鳥遊さんのところで心穏やかに過ごせているなら、今のチャットンには最善かもしれないです」
黒瀬は、そんな北原の話を聞いてポロッと言った。
「汐里さん、実はそこまで見越していたのかもな」
佐伯がはっとして黒瀬を見た。
「お前……」
「たまに静かに核心ついてくるよな」
「そうですかね?」
黒瀬は淡々と応えた。
「俺の方が、汐里との付き合い自体は長かったのに。……なんか悔しいな」
「そんなところで張り合われても」
と、黒瀬は笑った。
その時、部屋の隅に立っていた青年が静かに話し出した。
「皆さん、只今九時四十分です。チャットンのモニター報告まであと二十分となりました。そろそろ準備することをお勧めします」
四人は、揃って青年の方を見た。
「おう、ノエルありがとな」
佐伯が言う。
ノエルと呼ばれた青年は、表情を変えずに軽く頭を下げた。
「じゃあ、私はエントランスに小鳥遊さんを迎えに行ってきます」
そう言うと、有馬は部屋を出ていった。
佐伯、北原、黒瀬、そしてノエルは、メンテナンス室へと向かった。




