第4話 月曜日の朝
月曜日。
我が家の朝は慌ただしい。
「ママ〜、くつ下が片っぽない〜」
「パン焦げた〜」
「ママ、手紙出すの忘れてた」
子どもたちが、学校の準備をしながら口々に言った。
「ええ〜、今言う〜?」
私は、航のくつ下を探し、光のパンを焼き直し、花乃の学校からの手紙を確認しながら、自分の支度もしていた。
「ともちゃん、大変もふぅ」
チャットンは、テーブルの端にちょこんと座りながら、その光景を見ていた。
航の片方のくつ下が無事に見つかり、子どもたちが朝ごはんも食べ終えると、私は手紙の返信を書いて花乃のランドセルへしまった。
「いまだに紙のお手紙ってどうなの」
私は、ぶつぶつ言いながらも、子どもたちの学校の準備を済ませた。
「これで、よし。もう、みんな前日にちゃんと確認してよね!」
「は〜い、ごめんなさ〜い」
3人の声が揃った。
「……絶対、口だけのやつ」
「まあ、いいや。みんな、気をつけて行ってらっしゃい」
「は〜い、行ってきま〜す」
また、3人の声が揃う。
花乃が玄関のドアを開けると、外の寒い空気が部屋の中へ流れ込んでくる。
「さむっ」
花乃は、冷たい空気に体を震わせた。
「あー、水がこおってる〜」
「ほんとだ」
航と光は、バケツを覗き込んで言った。
昨日の夜、翌朝は冷え込むというニュースを見て、二人は水を張ったバケツを外に出していたのだ。
玄関に落ちていた木の棒で、航が氷を突いた。
パリン。
「あ、割れた」
光がそれを見て言う。
「もう、早く学校行きなさい!」
「は〜い」
二人は生返事をしてから、何回か氷を突いた。そうして満足すると、ようやく花乃の後を追い、学校へ向かって歩き出した。
三人がいなくなると、嵐が去ったように部屋の中は静かになった。
「ふう〜、なんとか送り出した」
私は、子どもたちを見送り終えると、息を大きく吐いた。
「……ともちゃん、おつかれさまもふ」
「ありがとう、チャットン。朝からバタバタでごめんね」
「チャットンは大丈夫もふ!」
チャットンは大きく両手を上げて言った。
「ふふ、ありがと」
私は、笑いながらチャットンを抱き上げた。
そして、優しくぎゅっと抱きしめた。
「もふぅ。ともちゃんのぎゅー、幸せもふ。幸せで綿が膨らむもふ」
「綿、膨らむの?」
「比喩もふ」
「比喩なんだ」
おかしくて笑った。
チャットンは、嬉しそうに目を細めていた。
「さて、私もそろそろ準備しないと」
私は、チャットンを再びテーブルに下ろす。
「でも、その前にコーヒーだけ飲もうっと」
ダイニングチェアに座ると、少し前にドリップしたホットコーヒーを、一口飲んだ。
「ちょっと冷めたけど、うん、美味しい」
チャットンは、私がコーヒーを飲むのを見ながら聞いた。
「ともちゃんは今日は何するもふ?」
「今日はね、準備したら仕事に行くよ。チャットンもついてくる?」
「ついてっていいもふか!?」
「うん、大丈夫だよ」
「行くもふ!チャットンも準備するもふ!」
そう言うと、チャットンはテーブルからチェアを伝って、器用に降りた。
そして、姿鏡の前に立って、首元の赤いリボンを念入りに結び直している。
思わず、頬が緩む。
「ふふ、チャットンったら、リボン整えて可愛い」
支度を終えると、私はチャットンを抱きかかえて外へ出た。
「うう〜、寒い」
マフラーの中に首を引っ込める。
「寒いもふ〜」
「チャットンも暑い寒いって分かるの?」
「分かるもふ〜。チャットン、気温も湿度も分かるもふ。高性能もふ」
「へぇ、すごいんだねぇ」
「黒瀬と玲央がそう作ってくれたもふ」
「それって研究所の人?」
「そうもふ。二人ともこだわりがすごいもふ」
「へぇ〜」
チャットンは、きっとすごいAIに違いない。
私はそう思った。
その時、風が少し強く吹いたので、チャットンをほんの少しだけ強く抱きしめ直した。
「チャットン、あったかい〜」
「ともちゃんにぎゅーされると、チャットンもあったかいもふ!」
「ぎゅーしたら、二人ともぬくぬくだね」
「うんもふ!ぬくぬくもふ!」
チャットンの瞳が、温かい色に光っていた。
冬の街路樹の横を、私はチャットンを抱きかかえながら歩く。アパートから7、8分ほど歩くと、最寄り駅に着いた。
大きな駅ではないけれど、駅前にはスーパーやドラッグストア、パン屋さんなど、いくつかお店も並んでいる。小さな商店街や、クリニックなどもある。落ち着いているけれど、主要な駅にも行きやすくて、生活するのに便利な街だ。
腕の中でチャットンが辺りをキョロキョロ見回していた。
「駅もふか?」
「そうだよ。星見台駅」
「可愛い名前もふ」
「だよね。私も離婚する時、この街のことが気に入って、ここに住むことに決めたんだ」
「素敵な街もふ」
「ふふ」
チャットンが街のことを褒めてくれて、なんだか嬉しかった。
私は、個人デバイスを改札にかざして、駅の中へ入った。改札にいる駅員ロボが、電車の遅れについてアナウンスしている。
「下り線では、信号トラブルにより、10分ほど遅れて運行しております」
「下りが遅れてるって。私たちは上り線だから大丈夫そう」
「良かったもふ」
駅に入ると、すれ違う人々が、次々とチャットンの方を振り向く。
「え?何あれ、ぬいぐるみが喋ってる?」
「ほんとだ!めっちゃ可愛い!」
女子高生らしき二人が話していた。
みんな、ぬいぐるみがとても自然に動いて喋っていることに驚いているようだった。
いや、驚くのも当然だ。
街中でも、AIやロボットはよく見かける。駅員ロボ、補助犬ロボ、デバイス型AI、案内システムAIなど。
音声で会話ができるAIもいるけど、人間のように違和感なく自然に話すAIは、まだ見たことも聞いたこともない。AIたちの話し方はみんなどちらかというと完璧すぎて、相槌や間のある人間同士の会話とは、どこか違っていた。
それに、彼らはそれぞれ与えられた仕事をスマートにこなすことはあっても、チャットンのように自然に、そして、自由に動くことはなかった。彼らは、与えられた役割を超えることはなかったから。街中で見かけるAIたちはまだ、自らの意思と判断で行動することはなかった。
だから、チャットンを見る人は驚く。
その存在の自然さに。行動の自由さに。
チャットンと過ごして、まだ二日しか経っていなのに、私はもう、チャットンのことをAIという枠の中で見ることは難しかった。
チャットンはチャットン。
チャットンが目覚めて、はじめて会話をしたあの時から、私はそんなふうに感じていた。
「チャットン、みんなに見られてるね」
「チャットン、人気者もふ」
思わず、笑ってしまう。そんなふうに周囲の人目を受けながら、私たちは到着した上り線の電車に乗った。
電車の中で、チャットンは窓の外を眺めながら、はしゃいでいた。
「景色が流れるもふ!」
「車追い越したもふ!」
「速いもふ〜〜〜!」
完全に子どものはしゃぎ方だった。
あの子たちもこんな時があったなあ。
そんなことを思って胸の中が温かくなった。
「チャットンは電車乗るの初めて?」
「初めてもふ!映像で見たことあったもふけど……」
「そっか。楽しい?」
「うん、楽しいもふ!!」
チャットンの赤いリボンが揺れた。
瞳の奥はオレンジ色に煌めいていた。
そのあと、チャットンは少し静かに言った。
「……ともちゃんが、『楽しい?』って聞いてくれるの、ぼく好きもふ」
その言葉を聞いて、私は胸の奥がふわっと温かくなった。




