第31話 そして、今……
「報告します」
ノエルの静かな声が部屋に響く。
「解析終了しました」
ほんのわずかな間。
「……教えてくれ」
佐伯さんがノエルに言った。
「MI-O No.000のロックされた記憶領域について、解析結果を報告します」
「対象は、桐生汐里との生活に関わる記憶」
「該当する記憶は、全てロックされていました」
佐伯さんは、みんなに聞こえるか聞こえないか分からないくらい小さな声で、「そうか」と呟いた。
チャットンはまだ、私の腕の中でぷるぷると震えていた。
「……汐里ちゃん」
チャットンが、そう呟いた。
「何が……起こってるんですか?」
私は佐伯さんたちに聞いた。
佐伯さんたちが、私にも分かるように順を追って説明をしてくれる。
チャットンを作った汐里さんという人のこと。
汐里さんの大切だった澪さんという人のこと。
汐里さんの研究のこと。
チャットンが生まれた理由。
そして、今起こっていること。
チャットンは、汐里さんを失ったときの心の負荷が高すぎて、自らの機能を自分自身で全て停止させてしまったとのことだった。
その際に、汐里さんにまつわる記憶も全部ロックしてしまったらしい。
それって、ショックが大き過ぎて心が壊れてしまったってこと……?
つまり、チャットンは大切な人を失った辛さに耐えられなくて、自分から死を選んだってことじゃないか。
私は胸が苦しくなった。
チャットンがそんな痛みを抱えていたなんて。
その時、ログを見ていた北原さんが言った。
「佐伯さん」
「汐里さんの亡くなった頃から、チャットンに感情応答の異常ループが見られます……」
「異常ループ!?」
「はい、さっきの自己停止のログ見てあれって思って……」
佐伯さんの表情が変わる。
「今もまた繰り返されています」
佐伯さんは、パソコンの中の画面を直接見た。
「これか」
「澪ちゃんと汐里が火葬されたときの映像ログがループしてる……」
佐伯さんは画面をしばらく見たあと、その場で静かにうなだれ、大きなため息をひとつついた。
その横で、画面を見続けていた北原さんが、呟くように言う。
「そうか、オート解析の対象期間を小鳥遊さんの家に行ったあとの期間に設定してる。だから、その前の異常を見逃したんだ」
北原さんの言葉を聞いて、佐伯さんはとうとう頭を抱え込んだ。
「……初歩的すぎる」
「俺ら、エンジニアとして失格だな」
「これはチャットン相当苦しかったろう……」
悔しそうで、泣きそうな表情だった。
「もっと早くログさえしっかり見とけば」
私は恐る恐る聞いた。
「あの……チャットンは大丈夫なんですか?」
佐伯さんを見た。
「ああ、今からエラーを解消する処理をする」
「それだけでも、かなり楽になるだろう」
そう言うと、佐伯さんはキーボードをすごい速さで叩きだした。
とても真剣な顔だった。
黙々とキーボードを叩き続ける。
スクリーンの画面には佐伯さんが入力しているらしい文字が、見たことのないスピードで表示されていく。
誰も、一言も喋らなかった。
みんなが固唾を飲んで佐伯さんを見守る中、どれくらいの時間が経っただろうか。
ついに、キーボードを叩く手が止まった。
佐伯さんは、最後にEnterキーを押した。
スクリーン上の画面に広がるアルファベットと数字の列が、次々と流れていく。
すると、腕の中のチャットンの震えが止まった。
「もふっ」
チャットンの瞳の奥で、キラキラと落ち着いた光が煌めく。
「……チャットン?」
「ともちゃん」
チャットンは私の方を見た。
「大丈夫?」
「もふっ。大丈夫もふ」
チャットンは驚きながら、胸に手を当てた。
「苦しいの、なくなったもふ」
それから、手をパタパタ動かして、元気をアピールした。
赤いリボンが元気に揺れた。
「今、佐伯さんがめっちゃ頑張ってた」
「亮介が?」
「うん、なんかよく分からないけどカッコ良かった」
「……カッコ……」
佐伯さんは固まった。
「亮介、照れてるもふ」
「照れてない」
「照れてる」
「あー、もういいや」
「チャットン、気分はどうだ?」
「その様子ならだいぶ良さそうだけど」
「元気もふ!」
チャットンは力こぶを作る真似をした。
「……悪かったな。気づくの遅くなって」
佐伯さんは、申し訳なさと安心の入り混じった複雑な表情をしていた。
「大丈夫もふ。もうすっかり元気もふ」
チャットンの言葉に、佐伯さんの目元が優しく緩む。
チャットンは窓の外を見た。
「全部思い出したもふ」
「汐里ちゃん、お空に行ったもふね」
「ああ」
佐伯さんも外を見た。
「澪ちゃんと会えてるといいもふ」
「ああ。そうだな」
汐里、研究、澪……
私は思い出した。
「あの」
佐伯さんがこちらを見る。
「汐里さんって、もしかして私のカラーセラピーを受けに来た汐里さん?」
「それって、どういう……?」
汐里さんのことはよく覚えていたから、私は佐伯さんに汐里さんがサロンに来た日のことを説明した。
そして、汐里さん本人の写真を見せてもらった。
「……この方です」
「ここの所長さんだったんだ」
「すごい方だったんですね」
長いストレートの黒髪。
赤いメガネ。
バラのように凛とした佇まい。
「……でも、亡くなってしまったんですね」
私は、なんて言ったらいいのか分からなかった。
私も救えなかった側だ。
あの時、彼女の孤独に気づいていた。
それがどれほど苦しいものかも知っていた。
でも、私は声をかけることしかできず、彼女はひとりで逝ってしまった。
写真の汐里さんは静かに笑っている。
もうこの世にはいないんだ……
一度しか会ったことのない人なのに、とても寂しかった。
「ぼく、汐里ちゃんのこと守れなかったもふ」
チャットンがポツリと言った。
私はチャットンを見た。
「ぼくは、人に寄り添って、癒すのがお仕事もふ」
「でも、汐里ちゃんのこと癒せなかったもふ」
「助けられなかった」
「ちゃんと隣にいられなかった」
「だから、役立たずのぬいぐるみもふ」
チャットンは俯き頭を下げた。
私はチャットンをまっすぐ見た。
「チャットン」
静かにいつもよりほんの少し低い声で、ゆっくりと話しだした。
これはちゃんと伝えないといけない。
「あなたは役立たずじゃない」
「……ともちゃん」
チャットンが私を見る。
「あのね」
「どれだけ周りに人がいても」
「どれだけみんなが気にかけてても」
「救えない人もいる」
「でもそれは、救う力が足りなかったからじゃないの」
「その人の抱えていたものが大き過ぎただけ」
チャットンは真剣に聞いていた。
私の言葉がどこまで届くか分からないけれど、大切なことだから、ちゃんと伝えないといけない。
「もう一回言うよ?」
「もふっ?」
「チャットンは役立たずじゃない」
「……役立たずじゃないもふか」
「うん、役立たずじゃない」
「汐里さん、チャットンのことをとても愛していたんだと思う」
「だから、こうやって私のところへやって来るようにしてくれた」
「きっと、私のところなら大丈夫って思ってくれたんじゃないかな」
「ちょっとおこがましいけど」
私は、ふふっと笑う。
「澪さんとの想いが詰まったチャットンだもん」
「大切に決まってる」
「ぼく、汐里ちゃんの大切だったもふか」
「うん、きっとそうだよ」
「だって、どうでも良かったら、自分がいなくなったあとのことを気にして丁寧に準備なんてしないでしょ」
「どうでも良かったら、勝手にいなくなる」
「たしかに……もふ」
「汐里さんがいなくなったのは、チャットンのせいじゃない」
「汐里さんの抱えていたものが大き過ぎたから」
「ぼくのせいじゃないもふか……」
「そうだよ」
「汐里さんはチャットンのこと大好きだよ」
「助けられてたよ」
「汐里さん、私のところに来た時、研究を始めたのは澪さんがきっかけって言ってた」
「澪さんの愛を未来へ繋ぎたいって……」
「愛……」
「そう、きっとチャットン自身が、汐里さんの繋ぎたかった愛そのものなんだよ」
「汐里さん、チャットンに幸せでいてほしいって思ってるよ」
「今も、ずっと」
「……幸せ」
チャットンが呟く。
「うん。愛ってね」
「その人の幸せを祈ることなんだよ」
チャットンの瞳の奥が、ピンクに優しく煌めいた。
「じゃあ、ぼくは汐里ちゃんに愛されてたもふか?」
「うん、そうだよ」
「ちゃんと愛されてた」
「もふっ」
チャットンは本当に嬉しそうだった。
「それに、チャットンも汐里さんのこと愛してる」
「もふっ!」
「汐里さんのこと、今でもこんなに大切に思ってる」
「ぼく、汐里ちゃんのこと愛してるもふ!」
「うん」
私は微笑んだ。
「今でも大好きもふ!」
「うん」
「澪ちゃんと三人で楽しかったことも」
「汐里ちゃんのぎゅーも」
「優しく撫でてくれる手も」
チャットンの瞳から涙が溢れ、今にもこぼれ落ちそうだった。
私の視界もぼやけていく。
「全部、大切で幸せな思い出もふ!」
「うん、そうだね」
「チャットンの中に今もまだ残ってるね」
「うん、もふ!」
「汐里ちゃんいなくなって、寂しいもふ」
「でも、大好きな汐里ちゃんの幸せな思い出はぼくがずっと大切にするもふ!」
「寂しいけど、ちゃんと幸せもふ!」
「ふふ、麗香さんと話した時の言葉だね。よく覚えてたね」
「覚えるの得意もふ!」
「ぼく、ちゃんと感情インストール中もふ!!」
私はチャットンを抱きしめた。
チャットンも私の首に手を回して抱きしめ返した。
「……小鳥遊さん」
佐伯さんが言った。
私は顔を上げて、佐伯さんを見た。
「はい」
「ありがとうございます」
「え?」
「汐里がなぜあなたを選んだのか、はっきり分かりました」
「チャットンを救ってくれて……本当にありがとうございます」
「チャットンのエラーは、完全にこちらのミスです」
「彼に不要な苦しみを与えてしまった」
「でも、技術的なことだけじゃない」
「彼自身の価値についても、きちんと伝えてフォローするべきだった」
「彼の感情応答について、もっと気を配れば良かったです」
「私たちもまだどこかで、チャットンは自分たちが開発した機械であり、AIだから大丈夫という驕りも、もしかしたらあったのかもしれません」
「もし汐里が生きていたら、これは完全に怒られる案件でしょう」
「でも、小鳥遊さんは、初めからチャットンをひとりの存在として見てくれた」
「ただのAIではなく、あなたの隣にいるパートナーとして……」
「それは、私たちがチャットンを作るにあたって、一番望んでいたことです」
「チャットンを開発した者として、お礼を言わせてください」
佐伯さんは頭を下げた。
有馬さん、北原さん、黒瀬さんも、その場で立ち上がって頭を下げてくれた。
「そんな、頭を上げてくださいよ」
私はいきなりのことで、焦って手を振りながら言った。
「私、何もしてません。当たり前のことを言っただけで……」
「それに、いつも救われてるのは私の方ですし」
「もふっ!?」
チャットンが私の方を見た。
「チャットンが毎日そばにいてくれて、私は本当に救われています」
「こちらこそ、チャットンに巡り合わせていただいて、本当にありがとうございます」
私は頭を下げた。
「もふぅ〜!ともちゃ〜ん!」
チャットンが、泣き笑いしながら私にしがみついてきた。
私も負けじと、チャットンをぎゅーっと抱きしめ返した。
そして、なぜか後ろの方では、北原さんが号泣していた。
「それでは、みなさん。モニター報告の続きをしましょうか」
有馬さんが、北原さんにティッシュを渡しながら言った。
「……急に現実に戻るのな」
佐伯さんがツッコんだ。
「さっさと済ませましょう。身体メンテナンスの時間がおしてます」
黒瀬さんも言った。
みんな、笑っていた。
チャットンもころころと笑っていた。
赤いリボンがふわりと優しく揺れた。




