第1話 出会い
土曜日の午前。空は高く晴れていて、寒さが少し和らいでいた。
お掃除ロボットが、床を掃除している。2LDKの少し古いアパート。古いけど手入れは行き届いていて、シンプルで暮らしやすい間取り。
私はお掃除ロボットが掃除をする様子を見ながら、コーヒーを片手にソファでくつろいでいた。
休日の朝を、ゆっくりと過ごしていた。
……そのはずだった。
「航ーーー!それ、僕のパン!!」
光が、弟の持っていたパンを、もぎ取ろうとしていた。
「だめ、ぼくも食べたい!!」
航は頑なに渡そうとしない。ひとつだけ残った菓子パンを取り合って、子どもたちがケンカをしていた。
「もうっ!二人とも朝ごはん食べたじゃん!」
私は、呆れながら仲裁に入る。
「まだお腹空いてるんだもん」
「ぼくもまだ足りない」
どちらも譲ろうとしない。半分ずつに分けたら?と言おうとすると、
「じゃあ、半分こにしたらいいんじゃない」
長女の花乃が、先に言った。
「そうそう、半分こにしたらいいよ」
花乃に便乗させてもらう。
「花乃ちゃん、ナイスアシスト!」
「へへ」
褒められて、嬉しそうな花乃。それを見ていた光が、しかたなさそうに言った。
「……しょうがないな。いいよ」
「ちゃんと半分にしてよ!」
航は念を押す。私は、パンを慎重に半分に割り、二人へ渡した。
小さなケンカが落ち着き、私はふうっと息をついてソファに座った。飲みかけのコーヒーを飲もうとしたその時───
ピンポーン。
玄関のインターホンが鳴る。
「誰だろ?」
今日、訪ねてくる予定の人はいない。宅配便が届く予定もない。
私は不思議に思い、インターホンのモニターに映し出された映像を見た。そこには、きちんとした佇まいの男性が、二人立っていた。
少し不審に思いつつも、マイクをオンにする。
「どちらさまでしょうか」
「はじめまして、私、桐生研究所の有馬という者です」
「先日、メールでご連絡いたしました家庭用ぬいぐるみ型AIに関するモニターの件でお伺いしました」
「メール?ぬいぐるみ型AI……?モニター?」
私は状況がつかめていなかった。ドアの向こうの男性たちは、少し困った様子をしている。
とっさに個人デバイスのメールを確認した。
───
2月○日 21:44
to me
from 桐生研究所AIモニター事務局
小鳥遊 巴 様
この度は、家庭用ぬいぐるみ型AIのモニターにご応募ありがとうございました。
ぜひ、小鳥遊様にモニターへのご協力を賜りたく、ご連絡いたしました。
つきましては、2月○日(土)午前中に、モニター用の本体をお送りいたしますので、ご確認ください。
ご不明な点がありましたら、下記連絡先へご連絡をよろしくお願いいたします。
桐生研究所
AIモニター事務局
家庭用ぬいぐるみ型AI係
○○○-○○○○-○○○○
───
「あ……」
メールは来ていた。平日、バタバタしていて、どうやら見落としていたようだ。
後ろで私たちの会話を聞いていた航が、大きな声で言った。
「あー!!!もしかして、当たったの!?」
光も、つられて何か思い出したようだ。
「あ〜!きっと、ぬいぐるみロボットのことだ!!」
「……ママに応募お願いした」
花乃も言った。
「えっと、ぬいぐるみロボットの何かに応募したってこと?」
私は、全然覚えていない。
花乃は続けて言った。
「ちょっと前、学校からぬいぐるみロボットのチラシもらった。AIの研究してるやつ。アンケートに答えたら、モニターに当たるかもって。だから、ママにお願いして応募してもらった」
「……ああ〜、なんとなく思い出したかも」
あれは、仕事でとても疲れていた夜。子どもたちに急かされるように、私の個人デバイスから何かのアンケートに答えたっけ。
やりとりを聞いていた男性たちは、なんだか安堵したようだった。
「今、ドア開けますね」
「ありがとうございます」
ドアを開けると、男性の一人は、改めて丁寧に挨拶をした。
ダークグレーのスーツに身を包んだ40代後半くらいの男性。落ち着いていて優しそうな雰囲気だ。
「私、桐生研究所の運営統括を担当しております有馬です」
もう一人の段ボールを持った男性も同じように自己紹介をした。
こっちの人は、カジュアルにジャケットとスラックス。有馬さんよりは年下なのかもしれない。40歳くらいだろうか。少しラフなヘアスタイル。清潔感はあるけど、どこかくだけた雰囲気の人だ。
「副所長の佐伯です」
「えっ、副所長さん!?」
有馬さんよりも若くて、軽い感じで言うので、私はつい驚いてしまった。
「ええ、まあ、一応、副所長やってます」
……なんかフランクな人だ。
「桐生研究所って、たしか今すごく話題になってるところですよね」
「ニュースでよく見ます。AIのアプリとかロボットとか……」
私がそう言うと、二人は研究所のIDカードと名刺を見せてくれた。
「はい、人間と社会に寄り添えるAIを開発しています」
どうやら本物の職員さんのようだ。
「今日はそのモニターのことでしたっけ」
「……よかったら、上がりますか?」
私は、二人をリビングへ案内した。
「散らかっててごめんなさい」
そう言いながら、テーブルへ案内する。
「いえ、突然のご訪問になってしまい申し訳ありません」
メールを見落としていたのは私なのに。有馬さんは丁寧にそう言ってくれた。
「私もご連絡いただいていたのに、メール見落としちゃっていたみたいで……すみませんでした」
「いえ、こちらの段取りが悪かったので、本当に気になさらないでください」
「当初は、本体だけお送りする予定でメールを送らせていただいたのですが、やはり直接小鳥遊さんへお渡ししようと、途中で予定が変更になりまして……」
「先にお電話をして確認しておけば、良かったです」
有馬さんは申し訳なさそうに話した。
「予定が変わってわざわざ来ていただいたのには何か理由でも……?」
「ええ、きちんとお会いして説明させていただく方が、ご質問なども直接お伺いできますし、私どもの研究にとっても、より良いフィードバックがいただけると思いまして」
そう話す有馬さんの表情は、とても穏やかで、でも少しの切なさを含んでいるようだった。
「そうだったんですね」
「それなら、今日は特に予定もないし、良かったです」
私は、微笑んだ。
「あ、座ってください。コーヒー、淹れてきますね」
私はキッチンへ向かおうとした。
「いえ、お構いなく」
「ありがとうございます!」
二人の返事はほぼ同時だった。
有馬さんは断ろうとしたが、佐伯さんは自然と受け入れる。その光景があまりに対照的で、思わず笑ってしまった。
「ふふ、佐伯さんって副所長さんなのに、なんだか話しやすい方なんですね」
「ありがとうございます。いつも、人懐っこいって言われます」
佐伯さんは、くしゃっとした笑顔で言った。
「ねえ、ロボット当たったの?」
航が、佐伯さんの持っていた段ボールを興味津々の目で見ていた。
「お〜、気になるか〜?」
佐伯さんは、少し悪戯な笑顔で答える。
「気になる!」
花乃と光も、静かに、でも、期待を込めて段ボールを見つめていた。
「どうぞ」
私は、コーヒーを二人に差し出した。
「ありがとうございます」
二人はそう言うと、一口コーヒーを飲んだ。
「これは、おいしいですね」
有馬さんは、驚いたように言った。
「うまっ」
佐伯さんは、やっぱりどこか軽い。でも、二人の素直な反応が嬉しかった。
「コーヒー好きなんです。喜んでもらえてよかった」
私は自然と笑顔になった。
「美味しいコーヒーもいただいたことですし、早速本題なのですが……」
有馬さんは、コーヒーカップを置いて、真面目な顔で話し始めた。
「今回、小鳥遊さんには、家庭用ぬいぐるみ型AIについて、モニターのご協力をお願いしたいのです」
佐伯さんは、段ボールの蓋を開けた。
中には、赤い毛布に包まれて、ブラウンのくまのぬいぐるみが入っていた。首元には赤いリボンが結ばれている。
「わー!!かわいい!!」
「かわいい」
「ぬいぐるみにしか見えないけど……」
子どもたちは、口々に感想を言い合っていた。
佐伯さんが続ける。
「ま、モニターと言っても、特別なことをする必要はありません」
「ただ、このくまと過ごしてくれればいい」
「会話したり、遊んだり、抱きしめたり、一緒に自然体で過ごしてくれたらいいです」
「えっ、それだけでいいんですか?」
私はてっきり、モニター用に確認項目などが決められていると思っていた。
有馬さんが、続ける。
「普段の生活を通して、この子が小鳥遊さんのご家庭でどんな過ごし方をしたか、どんなことがあったかを見させていただきます」
すると、一枚の紙を取り出して見せてくれた。
有馬さんは、その紙の内容を指し示しながら説明を続けた。
「取得データは個人情報が特定できないように処理した上で、研究に必要な部分のみを抽出します。個人情報に関する部分は暗号化され、私どの職員であっても自由に閲覧できない仕組みになっています」
「研究等のため詳細なデータが必要な際は、小鳥遊さんの承諾をいただいた場合にのみ、使用させていただきます」
「もしプライバシーなどのことでご心配がありましたら、遠慮なくいつでもご相談ください」
そう言うと、優しい顔でこちらを見た。
「分かりました」
有馬さんが丁寧に説明してくれたので、モニター協力についても安心できた。
「時々、フィードバックのお時間をいただくので、その時には、感想とかを教えていただけると助かります」
佐伯さんが続ける。
「この子は、人に寄り添い、癒すために生まれてきたAIです」
「きっと、小鳥遊さんのお役にも立つでしょう」
チャットンを見ながらそう言う佐伯さんは、とても真剣な眼差しをしていた。
今は、介護ロボットや、バーチャル型の家庭用補佐AIを、一般家庭で持つことも珍しくない。小型のペット型AIへもニーズが高まってきている。
でも、私の家には、まだお掃除ロボットくらいしかいなかった。
子どもたちからは、買ってとせがまれていたけど、高価だし、それにロボットとはいえ、コミュニケーションができる存在を気軽に手に入れることに、どこか気が引けていた。
もしも、壊れてしまったり、必要がなくなったら……
そういう時に、私はどうすればいいか分からなかった。
私がモニターを引き受けるかどうか悩んでいると、花乃が言った。
「この子、名前ないの?」
「名前は、MI-O No.000」
佐伯さんは答えた。
「えむ……おー?むずっ!」
噛みそうになる花乃に、佐伯さんは優しい表情を向ける。
「通称、チャットン」
「チャットン!!可愛い!」
思わぬ可愛い名前に、花乃のテンションが上がった。
航も続ける。
「チャットン触りたい!!」
「僕も!」
光の目が輝いている。
「いいけど、まだ寝てるよ」
佐伯さんは、はははっと柔らかく微笑みながらそう言うと、子どもたちの前にチャットンの箱を置いた。
「ふわふわ〜」
「うわっ、めっちゃ気持ちいい!」
「おお〜」
子どもたちの喜ぶ姿を見ていると、とても断る気にはなれなかった。
それに、モニターなら何かあってもちゃんと最後まで対応してくれるよね。そう思うと、少しは気が楽だった。
「子どもたちも喜んでるし。モニター、ご協力します」
私の答えを聞いて、有馬さんと佐伯さんは、心なしかほっと安心しているように見えた。




