↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/37

第24話 澪のいない世界

 真っ青な空に入道雲が立ち上がっていた。

 暑い夏の日。


 澪の葬儀には、たくさんの人が来た。職場の人。友人。交流のあった研究所の人間も、何人か参列していた。

 祭壇の写真の中で、澪は夏の向日葵のように笑っている。彼女にもう二度と会えないことを、誰も信じられずにいた。

 澪は生前、親族たちと長く疎遠になっていて、葬儀にも彼らの姿はなかった。そのため、喪主は汐里が務めた。

 澪が亡くなってから、汐里は立ち止まる時間などなかった。ゆっくり悲しむ時間もない。ただするべきことをこなしていくことで、精一杯だった。汐里は、佐伯たちにサポートしてもらいながら、なんとか目の前にあることをひとつひとつ済ませていった。


 葬儀が終わり、参列者たちが澪に別れを告げると、汐里と佐伯、有馬、そしてノエルとチャットンは火葬場へと向かった。

 火葬場へ向かうバスの中、佐伯は汐里に声をかける。


「大丈夫か?」


 汐里にその声は届かなかった。有馬も、ただ静かに見守っていた。ノエルとチャットンは、何を話したらいいのか分からず黙っていた。


 皆を乗せたバスが、火葬場に着くと、


「澪ちゃんとお別れもふ?」


ノエルの腕の中から、チャットンが聞いた。


「ああ、最後のお別れだ」


 佐伯が答えた。


 そこでも粛々と段取りが進んだ。

 炉の前に棺が運ばれてくる。汐里は、なかなか棺の前から離れられずにいた。チャットンは、そんな汐里を心配そうに気にかけながら、ノエルと一緒に最後のお別れをする。


「澪ちゃん、ありがとうもふ。さよならもふ」


 まだ実感の伴っていないような声で、チャットンは一生懸命に感謝と別れを告げていた。佐伯はその様子を見て、いたたまれずに目を逸らした。

 順に焼香をしていく。そして、悲しいくらい無機質な扉が閉まると、静かに点火のボタンが押された。


 外には、真っ青な空が広がっている。青の向こうに宇宙が見えるようだった。

 待っている間、汐里は黙ったまま、窓の横でずっと空を見ていた。

 今頃、澪はあの空へ向かっているのだろうか。

 そんなことを考えながら、ただずっと空を見ていた。


 無情な時間が、淡々と過ぎていく。

 そうして、澪が骨だけになってしまった時、とうとう汐里の張り詰めていた糸が切れた。汐里は、それ以上耐えることができずに、その場に崩れ落ちた。

 もう澪はいない。澪の隣で、一緒に燃えてしまいたかった。

 そう思ったのを最後に、汐里の意識は途絶えた。


 隣にいた佐伯が、倒れる汐里をすんでのところで受け止めたおかげで、大事には至らなかった。佐伯も、有馬も、これほどまで憔悴した汐里を見たことがない。ノエル以外、皆涙を流していた。


 外では、夕立が降り始める。

 佐伯が汐里を病院へ連れていくことになった。タクシーが到着すると、佐伯は汐里を抱きかかえて表へ出た。


「……亮介、ごめんなさい」


 佐伯の腕の中で、汐里が呟いた。


「気にすんな」


 佐伯は短く言った。


「……ありがとう」


 そう言うと、汐里は再び目を瞑った。


 病院へ着き、幸い過労で倒れただけとのことだったが、大事を取って一晩入院することになった。


 個室のベッドで、汐里は眠っている。

 佐伯とチャットン、ノエルは病室に付き添い、途中、佐伯がチャットンとノエルに「研究所へ戻ってていいんだぞ」と声をかけても、二人は断って汐里の側に残った。


 雨が窓を強く打つ。窓についた雨粒は集まって大きくなると、流れ落ちた。チャットンはじっとその様子を見ていた。皆、何をすることもなく静かに雨音を聞いていた。


 ザァー。


 ザァー。


 ……


 しばらくして、汐里が目を覚ました。


「……大丈夫か?」


 ベッドのすぐ隣に座っていた佐伯が、静かに声をかけた。


「ええ、心配かけてごめんなさい」


「水臭いな。こんな時くらい強がるなよ」


 佐伯は、悲しみと心配の混じった顔で優しく微笑んだ。汐里はただ黙っていた。


「明日には退院できるってよ」


「家のことは、有馬さんが対応してくれてる」


「……ありがとう」


「亮介たちがいなかったら、私なにも出来なかったわ。手を煩わせてごめんなさい」


「何言ってんだよ。いいんだよ。こんな時くらい……」


「何ならもっと頼ってくれ」


 それは、切実な声だった。


「……ありがとう」


「それと、チャットンとノエルはそこにいる」


 佐伯は部屋の端の方を指差した。


「……もふ。汐里ちゃん起きたもふ?」


「ああ、起きたよ。でも、まだ静かにな」


「わかったもふ!」


 チャットンは、もふっと片手を挙げて、小さな声で返事をした。


「研究所へ帰っとけって言ったんだけど、二人とも離れないって聞かなくてな」


「ふふ、二人がいてくれたら心強いわ」


 ほんの少しだけ笑えた。


「ならいいけど」


「じゃあ、俺は一旦帰るな」


「明日また迎えに来るから」


「……本当にありがとう、亮介」


 佐伯は軽く手を挙げると、静かに部屋を出ていった。

 汐里はその背中を最後まで見送っていた。


 ふと病室の窓の外を見ると、もう夜になっていた。

 ノエルが、チャットンを抱きかかえ、汐里の側へと近づいていく。そして、さっきまで佐伯が座っていた椅子に座ると、チャットンが心配そうに汐里を見た。


「汐里ちゃん大丈夫もふか?」


「ええ、大丈夫。疲れが溜まっていたのね……」


 そう言い終わらないうちに、汐里の目に涙が溜まった。ノエルとチャットンに背を向ける。


「……澪、いなくなっちゃったわ」


 肩が震えている。


「汐里ちゃん、そっち行っていいもふか?」


「……ええ」


 チャットンはベッドに移ると、汐里の横へポテっと座った。

 汐里は振り向くと、チャットンを抱きかかえた。

 チャットンは何も言わなかった。ただ、じっと抱かれていた。


「汐里さん、肩に触れてもいいでしょうか?」


 ノエルが声をかける。


「……なぜそんなことを聞くの?」


「汐里さんが辛そうなので、慰める必要があると判断しました」


 ノエルには、まだ感情プログラムは入っていない。ノエル自身に澪を失った悲しみはない。汐里への共感もない。ただ、この場での最適な行動を導き出したに過ぎない。

 それは、汐里自身で書いたプログラムだと分かっていた。

 それでも今は、その手に縋りたかった。


「いいわよ」


 ノエルは、汐里の許可を得ると、汐里の肩にそっと触れる。子どもを寝かしつけるように、ノエルは汐里の肩をトントンと優しく叩いた。チャットンのぬくもりと、ノエルの優しいリズムの中、汐里は再び眠りについた。


 その夜、汐里は澪の夢を見た。

 夏空の下。

 白いTシャツとジーンズを着た澪が、向日葵畑の中を走っている。

 途中で止まると、汐里の方を振り返る。

 向日葵に囲まれた澪は、いつものように、ころころと笑っていた。


「澪……」


 眠る汐里の頬を、涙が伝っていた。


 朝になると、すっかり雨は上がっていて、再び真っ青な夏空が広がっていた。

 少しすると佐伯が病院へ迎えに来て、汐里の代わりに、退院準備や会計を済ませていく。

 その間、汐里はベッドに座って、窓から外の空を見ていた。

 昨日、澪は煙になって天へ昇った。眠って、起きても、それは夢ではなかった。


 佐伯は、そんな汐里の様子を静かに見ていた。

 ――危うい。

 そう思った。

 どのくらいの時間が経てば、汐里の傷は癒えるのだろうか。

 自分にできることはあるのだろうか。


「汐里、帰るぞ」


 汐里がゆっくり振り向く。


「ええ」


 車で汐里を家まで送り届ける途中で、佐伯は言った。


「しばらくうちに来るか?」


 汐里は黙ったまま、外の景色を眺めている。


「陽子もいいって言ってる」


 汐里は少し考えてから答えた。


「大丈夫。家に帰るわ」


「そうか、分かった」


 佐伯はそれ以上何も言えなかった。


 街の様子はいつもと変わらない。人々は、朝起きて、仕事へ行く。人に会い、話し、笑っている。

 当たり前の日常。

 ただ、そこにあるのは澪のいない世界だった。


 汐里の家に着くと、佐伯以外の三人が車を降りる。


「ほんとにここでいいのか」


 運転席から佐伯が言った。


「ええ、ノエルもチャットンもいるし」


 ノエルが荷物を持ち、汐里を横で支えた。

 チャットンは、ポテポテと二人の後をついて行く。

 佐伯たちは、人の隣に立ち、支えることのできる存在になることを目指して、チャットンとノエルを作った。

 今、まさにその光景を佐伯自身が見ていた。

 しかし、こんな形で自分たちの成果を見ることになるとは、少しも想像もしていなかった。


 汐里たちが家に入って行くのを見送りながら、佐伯は考えていた。

 本当にこれでいいのか。

 チャットンとノエルだけに託していいのか。

 自分が介入するべきなのか。

 どこまで踏み込むべきなのか。

 佐伯は何度も自問したが、結局は答えを出せないまま、三人を見送ってから、自宅へと帰っていった。


 汐里が玄関のドアを開けると、そこにはいつものままの空間があった。

 もうずっと履かれないままの澪の靴。

 『おかえり』と、聞こえるはずの声は聞こえてこない。


 リビングに入ると、澪がいた気配がまだ残っている。


 ほんの数日前まで寝ていたベッド。

 お気に入りだったクッション。

 飲みかけのジュース。

 出しっぱなしの食器。

 澪の洗濯物。


 全部そこに残っていた。残酷だった。


 奥の部屋には祭壇がある。そこには、昨日、汐里に代わって有馬が預かり運んでいた澪の遺骨が置かれていた。

 汐里は、その前まで進むと、ゆっくりと膝をついた。

 澪の笑顔。柔らかな髪。優しい声。ぬくもり。

 もうどこにもない。

 ただ、小さな箱に残るだけ。

 汐里は遺骨を抱きしめた。


 チャットンもノエルも、静かに汐里の背中を見ていた。何もできなくても、どうすればいいのか分からなくても、二人は汐里の側をただ離れなかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。