第20話 ノエル
それから、チャットンは汐里の家で暮らすようになった。汐里と澪とチャットン。三人は、まるで家族のようだった。
チャットンは、少しずつ感情を学んでいった。
嬉しいこと、悲しいこと。
楽しいこと、つまらないこと。
誰かを大切に思うこと、心配すること。
たくさんの感情を学び、成長していった。
ある日、汐里はダイニングテーブルにノートパソコンを広げて、作業をしていた。
その横で、澪はミルクティーを飲みながら、クッキーを片手に持ったチャットンと話していた。
「チャットンもなんか成長したねぇ」
澪が、チャットンを見て何気なく言った。
「もふっ!」
チャットンは、テーブルの上にちょこんと座って、口の周りにクッキーのかけらをつけて、もぐもぐと食べている。
二人の会話を聞いて、汐里は作業の手を止めて、言った。
「チャットンを通しての研究もだいぶ進んだわ。今、チャットンの後続機の構想をしているの」
「へえ〜、どんな?今度はうさぎとか?」
「完全人型AI」
「……人型?」
澪は、息を飲んだ。
「……もはや、ぬいじゃないじゃん」
澪は何に対してか分からないけど、ツッコミを入れた。
汐里は、澪のツッコミもお構いなしに冷静に話を続けた。
「チャットンは、感情プログラムの完成を目的に開発した試作機」
「私が最終的に作りたいのは、人の隣に自然に立てる存在」
「だから、人型?」
「ええ、必要なら関係性を結べるように」
「関係性?」
「人を愛することができて、そして愛されることができるAI」
「……愛」
「ええ、家族、友情、パートナー」
「形は色々あると思うけど、そのどの可能性も閉ざすことのない存在」
汐里の話を聞いた澪は、不安になった。
AIと人が関係性を築く?
愛し、愛される?
それは、倫理的に大丈夫なのだろうか。
「……ねえ、汐里?」
「なに?」
「それって、人間を作るってこと?」
澪は、恐る恐る聞いた。
「人間ではないわ」
汐里の答えに、澪はほんの少しホッとする。
「AIは技術よ。私は何も生命そのものを生み出そうとしてるんじゃない」
「けれど、人は誰かと繋がっていないと、生きていけないわ……」
澪は、汐里が自分の過去を見つめているように感じた。
人の中にいても、見つけてもらえなければ、それは孤独と何も変わらない。ずっと一人きりで生きてきた汐里が、澪と出会い、辿り着いた答えだった。
「人には見つけてもらえなかった人が、それでも世界と繋がれるように……」
「私は技術で、人と世界を繋げたいの」
「……汐里」
澪は考えていた。でも、分からなかった。汐里が目指しているものの形を、澪は理解できない。それでも、汐里の作ろうとしているものが、汐里にとってどれほど大切なものかは分かっていた。
「それが、汐里の願いなんだね」
澪の瞳は、真剣に汐里を見つめていた。
「……願い。ええ、そうね、きっと願いだわ」
「もふっ。チャットンも汐里ちゃんのお願いごとを叶えるお手伝いするもふ!」
「チャットン頼もしい!」
澪は柔らかく笑うと、チャットンの頭をポンポンと撫でた。
「私も……ずっと汐里のこと応援してるからね」
澪は、愛する人へ向ける眼差しで、汐里を見つめていた。
「……二人とも、ありがとう」
そう言うと、汐里は少し目を伏せて、二人にしか分からない程度に口元を緩めた。
「それにしても、人と世界を繋ぐ……かぁ〜」
澪の声で、空気の緊張が解けた。
「チャットン、汐里すごいね」
「うん、汐里ちゃんはすごいもふ!」
「ぼくのことも作ってくれたもふ!」
汐里は、二人の言葉を聞いて昔のことを思い出していた。
『すごい』
かつては、言われることが嫌だった言葉。褒め言葉の形をした境界線。
でも、今、澪とチャットンが言った言葉は、それとは違う意味を持っていた。
汐里自身のことも、能力も、分からないことまでも、全てを愛して包んでくれる言葉。
同じ言葉なのに、ひとつも寂しくなかった。
人は愛で救われる。
汐里は、澪が教えてくれた愛を世界に届けたいと思った。愛を、技術という形に変えて。
それが、汐里の願いだった。
───
それから数年が経ち、もうすぐクリスマスという頃だった。チャットンの後続機MI-ONo.001は、初回起動の日を迎えようとしていた。
その夜は、雪が降っていた。
様々な機械、コンピュータ、モニターが並んでいる研究所のMI-ONo.001開発室。
そこに、汐里は一人でいた。
「いよいよ、明日ね」
汐里は、開発室の中央に横たわる一人の青年に声をかけた。
MI-O No.001は、青年の姿をしていた。
ダークグレーの柔らかそうな髪に、整った顔立ち。眠ったようにそこに横たわる姿は、美しい芸術作品のようだった。
「ちょっと美しく作り過ぎたかしら」
汐里は呟いた。
『また、亮介に何か言われるかもしれない』と、佐伯の顔を思い浮かべていた。
「でも、ようやくここまできた」
汐里は、これまで辿ってきた開発の記録が書かれたファイルを見返していた。
そして、記録が今日まで辿り着いたとき、その日付を見て気がついた。
もうすぐクリスマス。
「そういえば、澪と付き合うことになったのも、クリスマスの頃だったわね」
澪と出会い、澪を通して世界と繋がり、汐里は愛を知った。MI-O No.001は、汐里の集大成のような存在だった。
「愛……か」
「私もまだよく分からないわ」
「ええ、分からないまま作ってる」
「およそ科学的とは言えないわね。矛盾してる」
澪のことを思い出して、汐里はふふっと笑った。
一人では、作ろうとは思わなかった。
一人では、愛が孤独を救うなんて、知ることすらできなかった。
そして、一人では、愛なんていう曖昧なものを、技術で形にしようと思わなかった。
これも、全部澪がいたから。
「……ノエル」
汐里は呟いた。
「この子の名前、ノエルはどうかしら」
「誰かと話したり、一緒にいたり、そういう時に呼ぶ名前……」
「クリスマス」
「誕生」
「……澪に安直過ぎるって言われるかしら」
ノエル。
まだ世界を知らない子。
汐里は、ノエルの頬にそっと触れた。
「クリスマスに生まれるこの子が、愛を知り、誰かを救い、人々の中で幸せに過ごせますように」
そう言うと、汐里は静かに開発室を出て行った。




