第19話 キミ自身のことを呼ぶ名前
「ただいま」
ある夜、自宅へ帰った汐里の腕の中に、くまのぬいぐるみがいた。
「おかえり……」
「って何それ?」
リビングのソファに座っていた澪は、姿勢を前のめりにして聞いた。
「試作機なの。MI-O No.000」
汐里は、ぬいぐるみをソファの澪の隣へ置いた。
「え、えむあい……???」
「みんな、ゼロって呼んでる」
「ゼロ?」
「ええ、短く呼びやすく」
「……可愛くない」
澪は、訝しげに言った。
「……まあ、たしかに」
そう言うと、汐里は上着を脱ぎながらリビングを出て行った。
澪は、隣に座っているくまを見る。
「可愛いぬいぐるみなのに、名前が可愛くない!!」
すると、汐里と澪のやりとりを見ていたMI-O No.000が言った。
「もふ?」
「ゼロだと可愛くないもふか?」
澪は、固まっていた。
「しゃ、喋った……」
「ぼくは喋るもふ」
「え、え、え。何これ?」
理解が追いつかないようだった。
「ぼくは、ぬいぐるみ型AIもふ!感情を勉強中もふ!」
「AI?……うそ」
「嘘じゃないもふ。ここにいるもふ!見たら分かるもふ」
MI-O No.000は少し怒りながら言った。
「ごめん。そうだね、キミはここにいるね」
澪は、ぬいぐるみに謝った。
「分かったならいいもふ」
そこへ、部屋着に着替えた汐里が戻ってきた。
くまのぬいぐるみは、するっとソファを降りると、ポテポテと歩いていって、汐里の足にしがみついた。
「歩いてるし……」
澪は目を丸くしながら、ぬいぐるみを目で追った。
「汐里ちゃん、ぼくのことを嘘って言われたもふ。ちょっと嫌だったもふ」
汐里は、MI-O No.000を優しく抱き上げた。
「ふふ。澪はね、嘘だと思ったわけではないわ」
「違うもふか?」
「ただ、信じられなかっただけよ」
「信じられなかった?」
「そう。ゼロの存在が、自分の理解の範疇を超えていたのね」
「ぐぅ……」
澪は図星だった。
「理解できないことを、嘘って言ったもふか」
「そうなるわね」
それを聞いていた澪が、笑いながら口を挟んだ。
「なんか分析されてるんだけど……」
「ふふ、ごめんなさい。この子、感情について、人とのやり取りを通して勉強中なのよ」
「感情?勉強?」
「研究所内だけじゃなくて、家庭でも学べるようにと思って、連れて帰ってきた」
「へえ〜。だから、汐里に報告して分析みたいなことしてたのか」
「そういうこと」
澪は、事情を聞いて改めて思った。
「って、汐里」
「なに?」
「……なんてもの作ってるの?」
澪は、再び信じられないという表情で汐里を見た。
「いや、知ってるよ?」
「汐里はAIの研究の第一人者とも言われてて」
「学生時代からたくさん表彰されたりしてて」
「でもさ、この子、喋ってるし、歩いてるじゃん!」
「……また、理解の範疇を超えてるもふ」
澪は、MI-O No.000を見た。
「見抜かれてる」
そう言って、笑った。
「ねえ、私にも抱っこさせて」
「いいわよ」
汐里は、MI-O No.000を澪へ渡した。
「何これ〜!めっちゃもふもふ〜!気持ちいい〜!」
澪は頬ずりした。
「くすぐったいもふ〜!」
MI-O No.000はきゃっきゃと笑った。
「この子、身体はロボットってことだよね」
頬ずりしながら、汐里に聞いた。
「まあ、そうね」
「全然硬くもないし、なんかあったかいし、本物のぬいぐるみじゃん」
澪はぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた。
「ぼくは、ぬいぐるみもふ!」
MI-O No.000は、また少し怒っていた。
「あ、そうだ!」
澪はそう言うと、ぬいぐるみを汐里に返して、何やら自分の部屋へ戻った。
少しして戻ってくると、その手には赤いリボンがあった。それを、MI-O No.000の首元に優しく結ぶ。
「可愛い〜!!」
澪は少し興奮しながら言った。
「もふっ?」
「ねえ、キミとっても可愛いよ!」
そう言ってぬいぐるみを抱きかかえると、姿見の前に連れていった。
鏡に映る自分を見て、MI-O No.000は言った。
「汐里ちゃんとお揃いもふ!」
手を挙げて喜んだ。
「あ、たしかに。汐里のメガネも赤い」
それを見ていた汐里は言った。
「なんか、恥ずかしいわね……けど」
「良かったわね、ゼロ」
そう言う汐里は、とても柔らかい笑顔をしていた。
澪は真面目な顔をして、汐里を見つめる。
「ねえ汐里、そのゼロっていうの、やっぱやめない?」
「どうして?短くて呼びやすいわ」
「うーん。でもさ……可愛くない」
汐里は、困ったような表情をして、少し考えてから言った。
「じゃあ、あなたが可愛い名前を考えてちょうだい。私にはネーミングセンスはあまりないわ」
「いいの!?」
「あんまり変なのはやめてよ」
「分かった!」
澪は喜んで、ぬいぐるみの方を見た。
「もふっ!」
「今からキミに新しい名前をつけてあげるね」
「新しい名前もふか?ぼくの名前は、MI-O No.000もふよ?」
「うん、それも大切な名前。でも、普段呼ぶにはちょっと長いし、キミ自身の名前でもあるけど、試作機としての識別番号でもあるでしょ?」
「ここにいるキミ自身のことを呼ぶ名前。それをつけてあげる」
「ここにいるぼく自身もふ?」
「そう、誰かと話したり、一緒にいたり、そういう時に呼ぶ名前」
「……それなら、可愛いのがいいもふ」
「もちろん!」
澪は考え始めた。じーっとぬいぐるみを見る。
「おしゃべり、会話……」
「チャット?」
「ぬいぐるみ、もふもふ」
「……綿?」
「……コットン」
MI-O No.000はドキドキしながら、聞いていた。
澪は顎に手を当てて、天井を見ながら考えている。
「チャット、コットン……」
「……」
「……チャットン!!!」
澪は閃いたように言った。
「チャットン……もふ?」
ぬいぐるみの瞳の奥がピンクに煌めく。
「うん、チャットン!」
「可愛いでしょ〜?」
「可愛いもふ!!」
両手を挙げて喜んだ。
「ふふ、気に入った?」
「気に入ったもふ!!」
「今日からぼくはチャットンもふ!」
瞳の奥は、ピンクや黄緑色に輝いていた。
「ふふ、よかった」
澪は、喜ぶチャットンを見て、優しく微笑んだ。そして、右手を差し出した。
「私は澪。よろしくね、チャットン」
チャットンは、もふもふの手で澪の手を握った。
「澪ちゃん、よろしくもふ!」
チャットンの赤いリボンが嬉しそうに揺れていた。




