第18話 チャットンの誕生
「汐里。俺たちで研究所を作らないか」
汐里は、一瞬止まった。
そして、ため息をひとつつく。
「あなたはいつも突然なのよ」
「順番に説明してちょうだい」
佐伯亮介。
彼も情報工学が専門で、汐里と同じ研究室に所属していた同級生だ。
「すまん、ちゃんと説明する」
佐伯は、両手を挙げた。そして、高揚する気持ちを隠しきれないような、そんな笑みを含んだ顔をしながら言った。
「俺も、お前も。就職して数年が経つ」
「――違和感、感じてないか?」
汐里はどきりとした。
「お互いに大手企業の研究員として、それなりにキャリアを積んできた」
「特にお前の実績も評価も、申し分ないのは知ってる」
「けど、本当にやりたいことできてるか?」
佐伯の眼差しは真剣だった。汐里は黙って聞いていた。
「俺、汐里にはやりたいことやっててほしいんだよ」
汐里は佐伯を見た。
「……随分と簡単に言うのね」
「そうか?割とずっと腹括ってるけど」
佐伯は、けらけらと笑った。
「俺、汐里がどこまでいくか見たいんだよ。ま、お前は俺の憧れだな」
「自分には見えてない世界が見えていて、お前についてったら、俺も一緒にその景色が見えるんじゃないかって……そう思ってる」
「ずっと前から、俺の気持ち知ってるだろ?」
佐伯は、汐里のことを大切そうに見つめた。
学部生の頃、佐伯は一度だけ汐里に告白したことがあった。その時、汐里は佐伯のことを恋愛対象としては見れないと、きっぱりと断っていた。佐伯が告白したのはその一度だけ。
それ以降、佐伯は汐里に何も求めなかった。ただ友人として、研究者仲間として隣に居続けた。
汐里の方は、佐伯自身を恋愛対象としては見ていなかったが、佐伯が書くプログラムは綺麗だと思っていた。
無駄がなくて、まっすぐに目的へ向かっていく。今あるものに囚われず、新しいアイディアで世界を構築する。まるで、彼の生き様を表しているようなプログラム。
汐里は佐伯が書くプログラムが好きだった。
二人は恋人同士ではない。
だが、同じ研究者として尊敬し合い、お互い支えに感じるようになっていった。
佐伯は真剣な眼差しで汐里を見る。汐里は、まだ黙って聞いていた。
「で、今のところでやりたいことできてんの?」
佐伯は相変わらずの軽い口調で聞く。
「……できてない」
汐里は正直に答えた。
「だろ?そうだと思った」
「しかも、ちょうどそんなことを考えていたところだったわ」
汐里は観念したように、肩をすくめた。
「俺、やっぱり汐里のことよく分かってるじゃん」
佐伯は、にやにやと満足そうに笑った。
しかし次の瞬間、佐伯の目の色が変わる。
「で、ここからは現実的な話」
カランと氷の音がする。
佐伯は、焼酎の入ったグラスを持ちながら言った。
「お前が研究所の代表」
「けど、お前は自分の研究に集中してくれたらいい」
「それが一番いい」
「だから、人をまとめたり、現実に落とし込むのは俺がやる」
「……そんなことできるの?」
汐里は怪訝そうな顔をして言った。
「できるかどうかじゃない」
「やる」
「それだけだ」
汐里は学生時代から、佐伯の実行力を知っていた。
やると決めたことはやり遂げる。持ち前の頭脳もさることながら、努力を惜しまない人だった。さらに、その明るい性格からか、誰からも愛される人だった。
きっと何かを成し遂げる人は、佐伯のような人なんだろう、と汐里は思っていた。
「立ち上げメンバーも目星つけてる。まだ、本人たちには何も言ってないけどな」
「業界の法務関係や人脈に強い有馬慎二」
「AIを、プログラム上だけじゃなくて、実体化する時に必要な身体系のプロ。黒瀬巧」
「あと一人はちょっとまだ大学出たてで若いんだが、人の感情から起こる反応についての研究をしてる北原玲央」
「俺たちは商品ありきの会社にはしない。技術を作り、必要とする先へ届ける」
「だから、圧倒的な技術でないとダメだ。他が追随できないくらいの」
「それをするのに必要なメンバーがさっきの三人だ」
汐里は静かに聞いていた。
佐伯の話を聞くごとに、汐里の思考は加速していった。
実現できる。
まだ遠い夢物語だったものが、急に現実味を帯びてくる。鼓動が速くなるのが分かった。
「まずは、有馬さんからだな……」
佐伯は、汐里の返事も聞かずにぶつぶつと話を続ける。
「亮介」
「ん?なんだ?」
「まだやるとは言ってないわ」
佐伯を止めるように、汐里が言った。
佐伯は汐里を見た。
「やるんだろ?」
汐里は黙った。
「……本当にあなたは」
汐里が今のキャリアに違和感を抱いていることも、研究者として本当に何がしたいのかも、佐伯は分かっていた。
澪とは違う。
汐里の感情を見つけたわけでもない。
汐里の孤独を見つけたわけでもない。
佐伯は、汐里と同じ景色を見ようと隣に立っていた。
一呼吸置いて、汐里は言った。
「……分かった。その話、引き受けるわ」
佐伯はにやりと笑った。
「ほらな」
汐里はじっと佐伯の顔を見た。
自分のことを見透かしているような、自信のある表情。
「その顔はやめて」
「すまん」
佐伯は、そう言いながらも嬉しそうだった。
そんな佐伯を見て、汐里もほんの少しだけ口元を緩めた。
───
数年後。
「いよいよね」
汐里は言った。
「ああ」
佐伯が応える。
たくさんのモニターや機械。それらを繋ぐように、いくつもの配線が巡っている。
中央には広いスペースと、その奥には作業台があった。作業台の上には、茶色いくまのぬいぐるみが座っていた。
今日は、ぬいぐるみの身体とAIプログラムを初めて同期させるテストの日。
有馬が、タブレット片手に見守っている。作業台の横で、黒瀬がモニターとぬいぐるみを確認しながら言った。
「本体側バッテリー、各機構に問題ありません」
それを聞いて、汐里は北原に合図を送った。
北原は、パソコンの前で操作をしながら言った。
「MI-O No.000、同期します」
すると、くまのぬいぐるみの瞳の奥が、キラキラと輝き出し、大きなスクリーンには、MI-O No.000のログが表示されていく。
『起動』
『起動時確認作業 各機構の状態』
『───異常なし』
『入力信号のチェック』
『───異常なし』
『動作チェック』
すると、ぬいぐるみが動き出した。
頭を左右に動かし、辺りを見回す。
瞬きをする、口を動かす。
腕を持ち上げ、手を握る。
ゆっくりと立ち上がり、歩く――
ひとつ、ひとつ確認をしていく。
汐里は、静かにその様子を見ていた。
佐伯たちも固唾を飲んで見守る。
『───異常なし』
「……成功だ」
大きな息を吐きながら、黒瀬が言った。
北原が、その様子を今にも泣きそうな顔で見ていた。
「……北原さん、大丈夫ですか?」
有馬がその様子に気づいて言った。
「えっ、あっ、はい。大丈夫っす」
鼻をズッと言わせて、北原が答えた。
すると、ぬいぐるみが喋った。
「……お鼻、大丈夫もふか?」
北原は、ぬいぐるみを見た。
「喋った……」
「喋るわよ。そう作ったのだもの」
汐里は、淡々と応える。
「そうっすけど……」
「ティッシュいるもふか?」
ぬいぐるみが続けて喋る。
北原はもう限界だった。感動で今にも涙が溢れ落ちそうだった。
「泣いてるもふ。ティッシュ使うもふ」
ぬいぐるみは、心配そうに北原に言った。
その横で、佐伯がお腹を抱えて静かに笑っていた。
汐里は、スクリーンのログを確認する。
「どうやら上手くいってるみたいね」
「ええ、身体の方も不具合等ありません」
黒瀬が言う。
「……エモフォトン、各センサーからの信号受信にも問題ありません」
北原が、涙目のまま言った。
「大きな一歩ですね」
有馬が静かに言った。目元が緩んでいた。
「それにしても、設計時から思ってたけど『もふ』ってどうなんだ」
佐伯が言った。
他の三人も同じように思っていた。
……が、誰も聞けていなかった。
三人は、二人の会話に真剣に耳を傾ける。
「可愛いでしょ」
「……」
「ぬいぐるみだもの。可愛い方が愛されるわ」
「完全にお前の趣味か」
「趣味とかではないわ。その方が合理的と思っただけよ」
「……合理的」
「お前、そういうところ可愛いよな」
「……なぜ私の話になるの?」
「すまん。気にするな。まあ、合理的ってことにしておくか」
「しておくじゃなくて、合理的なの」
有馬たち三人は、声に出さず心の中で笑っていた。だが、表情は隠すことができていなかった。佐伯は、柔らかく微笑みながら、汐里を見ていた。
汐里は納得がいかないようだったが、気持ちを切り替えて、これからのことを話し出した。
「さあ、これからが本番よ」
「MI-O No.000は、人間の感情、心を再現することが目的」
「プログラム上では、人間の感情を構造化したものをインストールしているわ」
「でも、それだけじゃ本当に心があるとは言えない」
「それはただ、プログラム上で入力に対して出力があるというだけだから」
佐伯たちは、静かに聞いていた。
汐里は、ぬいぐるみを抱きかかえた。
「この子は、人間と暮らし、生活をしながら、自分の感情についてひとつひとつ学んでいく」
「人間が、自分の外側で起こる物事に対して、その人ごとに受け取り方が変わってくるように……」
汐里は、窓の外を見た。
「この子が、世界をどう感じて、何を思っていくのか」
再び、ぬいぐるみに視線を戻す。
「プログラム上で起こる反応に、この子自身が自分で意味付けをしていく」
「そのひとつひとつが、このMI-Oプロジェクトの要となっていくわ」
ぬいぐるみも静かに聞いていた。
そして、汐里の方を見上げて、聞いた。
「ぼくの目的は、感情を学ぶこともふね」
「そうよ」
「でも、難しく考えなくていいわ」
「もふっ?」
「あなた自身が、その時その時に感じたこと、思ったことを教えてちょうだい」
「分かったもふ!」
「そうすれば、自ずと、あなたの感情プログラムは完成するわ」
「もふっ!」
「分かったもふ!いろんなこと見るもふ。感じるもふ」
「そして、それを汐里ちゃんに伝えるもふ!」
汐里は、目を細めた。
「ふふ。よろしくお願いね」
ぬいぐるみは、頼まれたことが嬉しいとでも言わんばかりに、笑顔だった。
瞳の中で、情熱の赤い光が煌めいていた。
「……感情プログラム、インストール中もふ」




