39. …今日、たぶん誰よりも、、、
待ち合わせ場所は、駅前のバスロータリー横だった。
八月後半に入った夕方の空は、夏のくせに少しだけ色がやわらかくなっている。
昼間ほど刺さる暑さではないけれど、風はまだぬるい。
白銀ルナは、柱の影に立ちながらスマホを握っていた。
「……」
「……来る前から、もうしんどいねんけど」
小さく呟いて、スマホの画面を消す。
今日は、白銀が前から誘っていた“勉強じゃないやつ”の日だ。
ちゃんと自分から誘った。
ちゃんと湊も来ると言った。
それだけでもう十分大きいのに、問題はここからだった。
どこに行くか、まだちょっと曖昧やった。
いや、行きたい場所はある。
雑貨屋も見たいし、服も少し見たいし、できれば最後にどこか座って話したい。
でも、それを全部最初から言うのは、何か違う気がした。
「……」
「……今さらやけど、だいぶ誘い方ふわっとしてたな」
自分で言って、自分で少しへこむ。
そこへ。
「白銀さん」
声がして、白銀はびくっと肩を揺らした。
振り向く。
湊がいた。
白っぽいシャツに、シンプルなパンツ。
気負っている感じはないのに、ちゃんと見えるのが腹立つ。
「……お、おはよ」
「こんばんはじゃない?」
「それ前も言うたやろ!」
反射で返してから、少しだけ安心する。
この感じなら、何とかなるかもしれない。
「待った?」
湊が聞く。
「別に」
「早かったんだ」
「ちょいな」
「そっか」
短い会話。
でも、それだけで白銀の心臓はちゃんとうるさい。
「で」
湊が言う。
「今日はどこ行くの」
「……」
「……」
「何」
「いや」
「今さら聞くんやなって」
「だって白銀さん、詳しく言わなかったし」
「……それはそうやけど」
白銀は少しだけ視線を逸らす。
「とりあえず、こっちな」
「うん」
歩き出す。
隣に湊が来る。
たったそれだけのことが、最近は前よりずっと大きい。
◇
最初に入ったのは、駅ビルの中にある少し広めの雑貨屋だった。
前に来たときより、人は多い。
夏休み後半の夕方だからか、学生っぽい姿も目につく。
「またここなんだ」
湊が言う。
「悪い?」
「いや」
「白銀さん、好きなんだなって」
「……」
「……」
「何」
「その言い方、ちょっとずるい」
「何で」
「なんか、うちのこと分かってる感じするから」
言ってから、少しだけ早かったかと思う。
でも湊は特に困った顔もせず、小さく笑った。
「最近、前より分かるよ」
「っ……」
「……」
「今それ言う?」
「だめだった?」
「だめちゃうけど……」
白銀は思わず棚のほうを向く。
ダメじゃない。
むしろ嬉しい。
でも、その嬉しさを真正面から受け止める心の準備がまだない。
「今日のうち、たぶん誰よりも余裕ないで」
小さく呟く。
「誰と比べてるの」
「知らん」
でも、比べる相手はたぶんはっきりしていた。
七海と、美羅李。
あの二人は、自分より落ち着いて見える。
もちろん、見えるだけかもしれない。
でも今の白銀には、その“見えるだけ”がすごく大きい。
「なあ」
白銀がシュシュの棚を見ながら言う。
「何」
「湊くん、こういうの見ても退屈ちゃうん?」
「別に」
「ほんまに?」
「白銀さんが楽しそうだから」
その返事に、白銀は一瞬で止まる。
「……」
「……」
「それ、さらっと言うなや」
「だって本当だし」
「それがあかんねん」
白銀は棚の前でしゃがみこみそうになるのを何とか耐えた。
本人は、本当に思ったから言っているだけなのだろう。
そこがまた、たちが悪い。
◇
雑貨屋を出たあと、二人はそのまま服屋の並ぶフロアへ移動した。
白銀としては、ここが今日いちばん危険だった。
なぜなら。
「これどう?」
自分から聞くしかないからだ。
白い半袖のトップスを持って、白銀は湊を振り返る。
湊は少しだけ見てから、素直に答える。
「似合いそう」
「それ、便利やなあ」
「便利?」
「何見せてもそう言いそう」
「じゃあちゃんと言う」
「何」
「今のは、本当に白銀さんに合いそう」
「……」
「……」
「言い直されると余計あかん」
白銀は服を元の場所に戻しながら、小さくため息をついた。
「今日ほんま調子狂う」
「毎回言ってるね」
「毎回狂わされとるからな」
「俺が?」
「そうや」
白銀は即答する。
「それで本人に自覚ないのが、いちばんたち悪い」
湊は少しだけ困ったように笑った。
「自覚あったほうがいい?」
「それはそれで腹立つかも」
「難しいな」
「難しいねん」
そのやり取りの途中、店員に「お似合いですね」と声をかけられた。
「っ……」
「え」
白銀の思考が止まる。
店員はにこにこと笑ったまま、こちらの服を見ている。
「お二人で選ばれてるの、すごくいい感じで」
「……」
「……」
「違います」
白銀が反射で言った。
でもその直後に、何でそんな即答したんや、と自分で思う。
湊は少しだけ目を丸くしたあと、店員に軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
否定しないんかい、と思ってしまった自分が嫌だった。
店員が去ったあと、気まずい沈黙が落ちる。
「……」
「……」
「何」
湊が聞く。
「いや」
「さっきの、否定早すぎたかなって」
「……」
「……」
「そこ気にするんだ」
「そら気にするやろ!」
白銀が少し声を上げる。
「だって、変な感じになるやん!」
「今もなってるけど」
「それは湊くんのせいや!」
「俺?」
「そうや!」
言い切ってから、白銀は少しだけ笑ってしまう。
しんどい。
でも、このしんどさは前より嫌じゃない。
◇
服屋を出たあと、二人は少し歩いてから、駅ビルの上階にある小さなカフェに入った。
窓際の席。
夕方の光が少しだけ斜めに入る。
「疲れた?」
湊が聞く。
「……ちょっと」
「歩いただけだけど」
「中身が濃いねん」
「何の」
「……」
「……」
「言わん」
でも、湊はそこで無理に聞いてこない。
その距離感に助けられることもあれば、物足りなさを感じることもある。
最近は、その両方が同時に来る。
「なあ」
白銀がストローをいじりながら言う。
「何」
「夏休み終わったら」
「うん」
「今の感じ、どうなるんやろな」
かなり本音だった。
湊は少しだけ考える顔をする。
「今の感じって?」
「……」
「……」
「ほんまそこ聞くんやな」
「分からないと困るし」
その返しが真面目すぎて、白銀は少しだけ肩の力を抜く。
「前より、みんな近いやん」
「うん」
「でも学校始まったら、また変わるかもしれへんやん」
七海は別の学校だ。
美羅李ともクラスは違う。
白銀と湊も、毎日好きなだけ話せるわけじゃない。
だから最近、ふと怖くなる。
今の距離が、夏休みの特別な空気でできているだけならどうしよう、と。
「白銀さん」
「何」
「たぶん、前には戻らないよ」
湊は静かにそう言った。
「……」
「……何でそう思うん」
「戻りたくなさそうだから、みんな」
その一言は、白銀にとって十分すぎた。
“みんな”の中に、自分も入っている。
それをちゃんと含めて言っている。
「……そっか」
やっとそれだけ返す。
「その“そっか”はええんか」
「今のはええ」
少しだけ笑う。
湊も、小さく笑った。
◇
帰り道。
改札前で足を止める。
少し前までなら、ここで普通に「また」で終わっていたかもしれない。
でも今日は、白銀の中に少しだけ残るものがあった。
「なあ」
「何」
「今日」
「うん」
「来てよかった?」
聞いてから、自分で少しだけ息を止める。
重いか。
いや、でも今は聞きたかった。
湊は少しも迷わず答えた。
「うん。よかった」
「……」
「……」
「ちゃんと?」
「ちゃんと」
「……それならええわ」
白銀は少しだけ顔を逸らす。
でも、今日誘った意味はちゃんとあった。
少なくとも、自分の中では。
「また誘う」
白銀が小さく言う。
「うん」
「……今度は、もっとちゃんと」
「今日もちゃんとしてたけど」
「それは今言わんでええって!」
でも、その返しに少しだけ笑ってしまう。
白銀は最後に小さく手を振ると、改札へ向かって歩き出した。
背中は熱い。
でも足取りは少し軽い。
このまま終わるのは嫌だ。
その気持ちは、今日で前よりずっとはっきりした。




