37. …あれ、私だけ置いてかれる気しない?
翌日の夜。
福原七海は自室でヘッドセットをつけながら、画面の向こうの湊に向かって言った。
『今日、ちょっと反応遅くない?』
「そう?」
『そう』
「気のせいじゃない?」
『気のせいじゃないね』
画面の中で、湊のキャラは微妙な位置で立ち止まっていた。
七海のキャラがその前を通り過ぎる。
『今ので三回目』
「数えてるんだ」
『わりと分かりやすいから』
湊は少しだけ息を吐く。
「最近みんなそれ言うな」
『だってそうだし』
七海はそう返してから、少しだけ間を置いた。
『白銀さんと何かあった?』
「……」
「……」
「何でそうなるの」
『今の間で』
「やっぱり便利だな、その理屈」
『便利だよ』
相変わらず落ち着いた声だ。
でも、今日はその落ち着きの奥に少しだけ引っかかるものがあった。
「……少し出かけた」
『へえ』
「何」
『いや』
『ちゃんと進んでるんだなって』
その言い方が妙に軽くて、妙に刺さる。
「七海」
『何』
「怒ってる?」
『別に』
その“別に”は、白銀の“別に”とは違う。
七海のはもっと薄い。
でも、完全に何もないときの声でもなかった。
『ただ』
「うん」
『ちょっと置いてかれる気はする』
「……」
「……」
「何その言い方」
『そのまま』
七海はゲームの操作をしながら続ける。
『白銀さん、前よりだいぶ来るようになったし』
『美羅李も、静かだけど全然引いてないし』
『で、湊も前よりちゃんと揺れてる』
「……」
『私だけ、花火大会で強いことやったあとに、ちょっと止まってたなって思っただけ』
その言い方が、妙にまっすぐだった。
湊は少しだけ黙る。
花火大会のキス。
そのあとの七海の言葉。
“まだ終わったことになってへんから”。
あれは冗談半分じゃなかった。
「七海」
『何』
「止まってるって思ってたの」
『少しは』
七海はあっさり認めた。
『自分でやったくせに、ちょっと様子見しすぎたかも』
「珍しいね」
『そう?』
「うん」
『私もたまには迷うよ』
その一言は、思っていたより静かだった。
七海が迷う。
それは少し意外で、でも、意外なだけに残る。
『だから』
「うん」
『今日はちょっと聞いとく』
「何を」
『次、私ともちゃんと出かける?』
あまりにも自然な声だったから、一瞬意味が入ってこなかった。
「……」
「……」
『何』
「いや」
「それ、今聞くんだなって」
『今がいいかなって思った』
七海は淡々としている。
でも、その淡々さが今日は少し違う。
『白銀さんが前に出るのはいいよ』
『美羅李が静かに来るのも分かる』
『でも、私も別に終わってないから』
そこまで言って、七海は少しだけ笑った。
『あのキスの続き、まだ保留だし』
「七海」
『何』
「そういうの、さらっと言うなよ」
『困る?』
「……少し」
『へえ』
その“へえ”は、少しだけ満足そうだった。
『じゃあ、ちゃんと困らせるほうに行こうかな』
「何その宣言」
『そのままだよ』
七海の声は落ち着いている。
でも、今日はちゃんと前に出てきている。
湊は少しだけ笑った。
「分かった」
『何が』
「今度、ちゃんと出かけよう」
『……』
「……」
『それ、今の私にはかなり効くんだけど』
「七海もそういうことあるんだ」
『あるよ』
『湊が思ってるより、ちゃんとある』
その言い方が少しだけ本音っぽくて、湊は返事に困った。
画面の中では、二人のキャラが止まったままだった。
『ねえ』
「何」
『今、ゲーム止まってるよ』
「七海が止めたんでしょ」
『そうだっけ』
「そうだよ」
『じゃあ再開しよ』
「急だな」
『こういうのは、一回落ち着いたら危ないから』
「何が」
『色々』
その返しに、湊は少しだけ笑った。
七海も結局、前と変わらないところがある。
余裕があって、でも急にまっすぐで、言うだけ言って少し引く。
ただ、今日はそこにもう一段階だけ本気が見えた。
◇
通話を切ったあと。
七海はヘッドセットを外して、ベッドに寝転んだ。
「……」
「……言ったなあ」
自分で言って、自分で少し笑う。
置いてかれる気がした。
それは本当だ。
でも、本当はそれだけじゃない。
湊が前よりちゃんと揺れていて。
白銀が前に出ていて。
美羅李も静かに来ていて。
その中で、自分だけ“花火大会の強い一手”に寄りかかったまま終わりたくなかった。
「……」
「……まあ」
「ちゃんと出かけるって言うたし」
そこは収穫だった。
七海はスマホを手に取る。
白銀とのトーク画面を開く。
少しだけ考えてから、打つ。
『白銀さん』
『最近、だいぶ頑張ってるね』
送る。
少しして、既読。
そして白銀からすぐ返ってくる。
『何や急に』
七海は少しだけ口元を緩めた。
『別に』
『ちょっと思っただけ』
既読。
『気持ち悪いな』
「言うなあ」
でも、その返しは白銀らしくて、少しだけ安心する。
『でも』
七海は続けて打つ。
『私も、そろそろちゃんと行くから』
送信。
その数秒後。
白銀から。
『……』
『それは、ちょっと嫌やな』
その文面を見て、七海はふっと笑った。
「正直だね」
でも、嫌じゃない。
こうしてちゃんと互いを意識して、ちゃんと前に出ていく感じは、むしろ少し心地よかった。
夏休みは、もう後半だ。
だからこそ。
ここからは誰も、前みたいに“そのうち”ではいられない。
七海はスマホを置いて、天井を見る。
「……」
「……まだ終わらないね」
その呟きは、自分でも少しだけ楽しそうだった。




