36. …たぶんだいぶ無理やで
待ち合わせは、駅前の改札横だった。
夏休み後半の夕方。
昼ほどではないけれど、空気はまだ熱を持っていて、人の多い駅前には夏休みらしいざわつきが残っている。
白銀ルナは、スマホを握ったまま、落ち着かない気分で改札横の柱にもたれていた。
「……」
「……早すぎたな」
待ち合わせの十五分前。
早く着きすぎた。
でも、家でじっとしているほうが無理だったから仕方ない。
今日は、白銀が自分から誘った日だ。
勉強じゃない。
課題でもない。
“ちょっと付き合ってほしいとこある”と、自分で送った。
今思い返しても、なんであんな文面を送れたのかよく分からない。
送った直後はベッドに顔を埋めて五分くらい動けなかったし、既読がついてからは心臓がうるさすぎて一回スマホを投げそうになった。
でも、それでも。
ちゃんと誘えたことだけは、少し嬉しかった。
そのとき。
「白銀さん」
声がして、白銀はびくっと肩を揺らした。
振り向く。
湊がいた。
白いシャツに黒っぽいパンツ。
前に七海と買い物したときに選ばれたやつだろうか、と一瞬思ってしまって、白銀はすぐにその考えを振り払った。
「……お、おはよ」
「こんにちはじゃない?」
「細かいねん」
でもその返しが出た時点で、少しだけ安心する。
湊はいつも通りだった。
「早かったね」
「そっちもやん」
「ちょっと早めに出た」
「……」
「……」
「何」
湊が聞く。
「別に」
別にじゃない。
自分から誘ったくせに、早めに来てくれたのが少し嬉しかっただけだ。
白銀は咳払いして、少しだけ前を向く。
「行こか」
「うん。どこ行くの」
「雑貨屋」
「雑貨屋?」
「うん」
ここで“プレゼント買いたいねん”とか、“アクセ見たいねん”とか言えたら格好いいのだろう。
でも、白銀はそこまで器用ではない。
「ちょっと見たいもんあるだけやし」
「分かった」
あっさり返す。
そのあっさりさに、ちょっとだけ拍子抜けして、ちょっとだけ腹が立つ。
「……何やねん」
「何が」
「いや、もっと何かあるやろ」
「たとえば」
「知らん!」
言ってから、白銀は自分で少し笑ってしまった。
今日もだいぶ無理そうだった。
◇
雑貨屋は駅ビルの二階にあった。
店の中は涼しくて、明るくて、夏っぽい小物やアクセサリーが並んでいる。
「何見るの」
湊が聞く。
「……まだ決めてへん」
「決めてないんだ」
「その言い方やめて」
「どの言い方」
「ちょっと笑っとるやろ」
「少しだけ」
「正直やな」
白銀はそう返しながら、ヘアアクセの棚の前で止まった。
前に少し見ていたやつだ。
淡い色のシュシュや、小さな飾りがついたヘアピンが並んでいる。
湊が横からのぞき込む。
「白銀さん、こういうの好きなんだ」
「別に普通やろ」
「そう?」
「……」
「……」
「何」
「似合いそうだなって」
「っ……」
白銀はぴたりと止まった。
またそれや。
何でもない顔で、そういうことを言う。
「……今、開始十分やで」
「うん」
「なんでそんな自然に言うん」
「思ったから」
「その“思ったから”便利すぎるやろ……」
白銀は棚の前でしゃがみ込みたくなるのをこらえた。
でも、今は逃げたくない。
逃げたらたぶん、今日誘った意味が薄くなる。
「じゃあ」
白銀は勢いで一つ手に取る。
「どっちがええと思う」
薄い水色のシュシュと、白に近い淡いグレーのシュシュ。
湊は少しだけ真面目に見た。
「こっち」
水色のほうを指す。
「なんで」
「白銀さんっぽい」
「……」
「……」
「今日それ多いな」
「何が」
「“白銀さんっぽい”」
「そう?」
「そうや」
でも、悪くない。
むしろかなり効く。
白銀はそのシュシュを持ったまま、少しだけ視線を逸らした。
「じゃあ、こっちにする」
「うん」
「……その“うん”だけなん?」
「何かいる?」
「いや」
白銀は少し迷ってから、結局口にする。
「ちょっとくらい困ってくれてもええやん」
湊が少しだけ止まった。
「……」
「……」
「今、少し困ってる」
「何で」
「そういうこと言われると」
白銀は一瞬だけ目を丸くしてから、ふいっと顔を逸らした。
「……もうええわ」
でも口元は、少しだけ緩んでいる。
◇
会計を済ませてから、二人はそのままビルの中を少し歩いた。
雑貨屋を出て、本屋の前を通る。
服屋の前を通る。
どこかに入るわけでもなく、ただ並んで歩く。
それだけなのに、白銀は妙に落ち着かなかった。
「なあ」
「何」
「今日、何か静かやな」
「そう?」
「うん」
「白銀さんのほうがいつもより静かじゃない?」
「そっちのせいやろ」
「俺?」
「そうや」
即答だった。
湊は少しだけ笑う。
「俺、今日そんなに変なことした?」
「変なことっていうか」
白銀は少しだけ言葉を探す。
「普通にしてるのがあかんねん」
「どういうこと」
「……」
「……」
「説明したくない」
「じゃあいい」
そう言って流してくれるのが湊らしい。
でも、その流し方がやさしくて、余計にずるい。
白銀は足を止めて、ガラス張りの窓の向こうを見る。
外は夕方に近づいていて、陽射しが少しだけ柔らかくなっていた。
「なあ湊くん」
「何」
「夏休み、終わるん早ない?」
前にもした話だ。
でも今日は、前より少しだけ意味が重い。
「早いね」
湊が言う。
「やんな」
「うん」
それだけの会話なのに、白銀は少しだけ安心する。
同じ感覚を共有できた気がするからだ。
「このまま終わるの、何か嫌やねん」
ぽろっと出た。
言ったあとで、自分で止まる。
「……」
「……」
「白銀さん」
「何」
「その“このまま”って、どういう意味?」
聞くんや、と思った。
でも、ここまで来たら逃げたくなかった。
「……」
「……」
「前みたいに」
白銀はゆっくり言う。
「何となく近くて、何となく終わる感じ」
「それは嫌や」
湊は何も言わなかった。
すぐに返事をしないところが、少しだけ怖い。
でも、逃げてもいない。
「そっか」
やっと返ってきたのは、その一言だった。
「その“そっか”やめて」
「何で」
「何か、全部分かったみたいに聞こえる」
「全部は分かってないよ」
「……」
「……」
「でも、前より大事にしたいってことなら、分かる」
その言い方が、白銀には十分すぎた。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
「……ほんま、そういうとこや」
「何が」
「ずるいとこ」
でも、もうそれを責めるだけの温度ではなかった。
◇
少し歩いて、最後に駅前の小さなカフェに入った。
店内は涼しくて、夕方の光が窓から斜めに入っている。
二人で向かい合って座る。
「今日は誘ってくれてありがと」
湊が言う。
「……」
「……」
「何」
「いや」
「今それ言うんやなって」
「だめだった?」
「だめちゃう」
白銀はストローの先を見ながら、小さく笑う。
「ただ、そういうとこやねん」
「またそれ」
「またや」
少しだけ間が空く。
外を歩く人の影が、ガラス越しに揺れる。
「なあ」
白銀が言う。
「何」
「次も、うちから誘ってええ?」
言ったあとで、頬が熱くなる。
でも、今度は目を逸らさなかった。
湊も少しだけ止まってから、ちゃんと答える。
「嬉しい」
「っ……」
白銀は目を見開いた。
「今、何て?」
「嬉しいって言った」
「……」
「……」
「それ、反則やろ」
白銀はテーブルに突っ伏したくなった。
「今日のうち、たぶんだいぶ無理やで」
「今さら?」
「今さらや!」
でも、笑っていた。
しんどい。
照れる。
でも、ちゃんと前に進んでいる。
それが分かるから、今日は前よりずっと苦しくて、前よりずっと嬉しい。
帰り道。
改札の前で別れるとき、白銀は小さく手を振った。
「また連絡する」
「うん」
「今度は、もうちょいちゃんと誘うし」
「今日もちゃんとしてたけど」
「それは今言わんでええ!」
最後にまた赤くなって、白銀はくるっと背を向けた。
でも、足取りは前より少し軽かった。




