33. 昔のことだけで、負けるつもりないから
かき氷を食べに行ったの日から二日後。
夕方前の時間、湊は駅前の本屋にいた。
特に誰かと約束していたわけじゃない。
課題の参考になりそうな本を探しに来ただけだ。
それなのに、妙な偶然は重なる。
「湊」
静かな声がして、振り向く。
倉持美羅李だった。
「……美羅李」
「珍しいね」
「そっちも」
「うん」
少しだけ笑う。
制服ではなく、落ち着いた私服。
夏らしい軽さはあるのに、やっぱりどこか静かだ。
「何見てたの」
「参考書」
「真面目」
「課題終わってないし」
「私も」
それだけ言って、美羅李は自然に湊の隣へ来る。
その距離感は、白銀とも七海とも違う。
近すぎない。
でも、当たり前みたいにそこにいる。
「最近、白銀さん元気だね」
美羅李が本の背表紙を見ながら言う。
急な話題だった。
「そうかな」
「うん」
「前より前に来る」
「……」
「……」
「見てるね」
「見てるよ」
その返しが自然すぎて、湊は少しだけ黙る。
「七海も」
「うん」
「変わらないね」
「そうだね」
「でも」
美羅李はそこで少しだけ目を細めた。
「変わらないまま、来るから強い」
その言い方に、少しだけ花火大会のことを思い出す。
キスのこと。
七海の言葉。
そして白銀の変化。
「湊」
「何」
「私はね」
美羅李は、ゆっくりと文庫本を棚に戻した。
「昔のことだけで、勝てるとは思ってないよ」
「……」
「……」
「急にどうしたの」
「別に」
そう言ってから、美羅李は少しだけ笑った。
「でも、昔のことだけじゃ足りないって分かってるから」
「今の話をしたかっただけ」
その一言は静かなのに、妙に重かった。
美羅李はずっと“昔”を武器にしているように見える。
でも、本人はそこだけでは足りないと思っている。
それが少しだけ意外で、でも、らしいとも思った。
「……」
「……」
「何」
「いや」
「美羅李も、ちゃんと焦るんだなって」
そう言った瞬間、美羅李は少しだけ目を丸くした。
それから、ほんの少しだけ笑う。
「焦るよ」
「当たり前でしょ」
その“当たり前”が、湊の中に少しだけ残る。
白銀も。
七海も。
美羅李も。
みんな、それぞれ違う形で、でも同じように前へ出てきている。
そのことを、最近少しずつ実感し始めていた。
◇
その頃。
白銀はたまたま駅前に来ていた。
いや、たまたま、ではない。
湊が今日は駅前の本屋に行くと言っていたのを、前日のメッセージで知っていた。
だからその近くまで来た。
別に会えると思っていたわけじゃない。
思っていなかった、ということにしたい。
「……」
「……うわ」
本屋のガラス越しに、その二人が見えたとき。
白銀は思わず立ち止まった。
「なんでやねん……」
タイミングが悪い。
いや、悪いというか、良すぎる。
湊と、美羅李。
二人で並んで話している。
しかも、その距離が自然だ。
「……」
「……」
「うわあ……」
心臓のあたりが、また嫌な感じでざわつく。
でも前と少し違うのは、そのざわつきの意味がもう分かっていることだ。
嫌だ。
でも逃げたくない。
ただ見なかったことにして帰るのは、たぶん前の自分だ。
今はそれができない。
「……」
「……よし」
白銀は小さく息を吸って、本屋のドアを開けた。
その瞬間、湊が振り向く。
「あ」
美羅李も気づいた。
「白銀さん」
「……どうも」
白銀はできるだけ普通の顔で言う。
「何しとるん?」
「参考書見てた」
湊が答える。
「ふーん」
「そっちは?」
「……たまたま近く通っただけやし」
かなり怪しい。
自分でも分かる。
でも、美羅李はそこを追及しなかった。
その代わり、少しだけ白銀を見る。
「ちょうどよかった」
「何が」
「今、湊に言ってたところだから」
「何を」
白銀が聞くと、美羅李は静かに言った。
「昔のことだけで、負けるつもりないって」
「……」
「……」
「真正面やな」
思わず、そう返すしかなかった。
美羅李は少しだけ首をかしげる。
「白銀さんは違う?」
その問いに、白銀は一瞬だけ止まった。
けど、今は引きたくなかった。
「……うちかて」
小さく息を吸う。
「簡単に譲る気はないで」
言ったあと、耳が熱くなる。
でも、目は逸らさなかった。
湊だけが、その間で少しだけ困った顔をしている。
でも、その困った顔を見ながら、白銀は思う。
これでいい。
たぶん前よりずっと、こっちのほうがいい。
夏休み後半。
時間は減っていく。
だからこそ、もう少しだけちゃんと前に出る。
その覚悟だけは、前よりずっと固くなっていた。




