32.…あのキス、まだ終わったことになってへんから
白銀ルナが、湊からの
『次、図書館のあとかき氷でも行く?』
というメッセージを見て倒れたその頃。
福原七海は、自室のベッドに寝転がったままスマホを見ていた。
エアコンはついているのに、外から入ってくる蝉の声だけで季節がうるさい。
「……」
「……へえ」
小さく呟く。
画面には、湊とのトーク履歴。
最後に送ったのは昨日。
『まだ何かありそうだね』
あれ以降、向こうからは何も来ていない。
別に、それでいい。
追いかけるほど困っているわけでもない。
でも――少しだけ気にはなる。
花火大会でキスした。
湊はちゃんと照れた。
そのあと、白銀ははっきり変わった。
美羅李も引いていない。
つまり、状況はちゃんと面白くなっている。
「……」
「……面白い、だけでもないか」
七海は自分で言ってから、少しだけ目を細めた。
あのときの湊の顔が、妙に残っている。
驚いて、止まって、でも逃げなくて、ちゃんと真っ赤になっていた顔。
ああいう反応を、湊がすると思っていなかった。
いや、思っていなかったわけじゃない。
でも、予想よりちゃんと効いた。
「……」
「……やっぱり、ちょっと忘れられないな」
そこでスマホが震えた。
相手は、美羅李。
『起きてる?』
七海は少しだけ笑う。
この二人と直接やり取りする機会は、花火大会以降少しずつ増えていた。
敵か味方かで言えば、たぶんどっちでもない。
でも、同じ方向を見ている瞬間だけはある。
『起きてる』
と返す。
既読は早かった。
『少しだけ聞きたいことある』
『何?』
数秒。
『花火大会のときのこと』
来ると思った。
七海はベッドに起き上がる。
『どのへん』
『湊にしたやつ』
その一文に、七海は小さく吹き出した。
『言い方』
『間違ってないでしょ』
『間違ってないけど』
少し考えてから、七海は返した。
『何が聞きたいの』
美羅李から、少し間が空いたあとに返ってくる。
『あれ、勢いだけじゃないよね』
七海は、その文面を少しだけ長く見た。
静かな聞き方だ。
でも、かなり核心に来ている。
『半分は勢い』
『半分は違う』
送る。
既読。
『やっぱり』
その短い返事のあと、さらに続いた。
『白銀さん、かなり引きずってる』
『そっちがやったせいもある』
「人聞き悪いな」
口に出して笑う。
『私だけのせいじゃないでしょ』
『元から限界近かったし』
送る。
それは事実だった。
白銀は花火大会の時点で、もうかなり崩れていた。
七海のキスは、その最後の一押しみたいなものだ。
『そうかも』
美羅李は、あっさりそう返した。
『でも、七海は強いね』
『そう?』
『そう』
『私はああいうの、まだしない』
その一文が静かなのに妙に重かった。
七海は少しだけ笑う。
『まだ、なんだ』
『今は』
『へえ』
その“へえ”に、美羅李は特に何も返してこなかった。
代わりに少ししてから、
『白銀さん、次はもっと来ると思う』
とだけ来た。
七海はそれを見て、小さく息を吐いた。
『そうかもね』
『でも』
『私も別に引く気はないよ』
送る。
既読。
そして美羅李から。
『うん』
『知ってる』
その返しが、妙に美羅李らしくて少し可笑しかった。
◇
翌日。
湊は図書館へ向かう前に、少しだけ早く駅前に着いていた。
白銀と課題、そのあとかき氷。
この予定自体は普通だ。
普通のはずなのに、なぜか少しだけ落ち着かない。
その理由を考えていたところで、スマホが震えた。
七海からだった。
『今日、白銀さんと?』
短い。
『うん』
と返す。
既読。
『へえ』
『かき氷?』
湊は立ち止まる。
『なんで知ってるの』
少し間を置いて、七海。
『なんとなく』
「便利だな、それ」
呟く。
でも、少し考えれば分かるかもしれない。
夏休み後半。図書館のあと。
その流れで行きやすい場所なんて、限られている。
『楽しんできなよ』
七海から来る。
『普通に言うんだな』
と返すと、少し間が空いた。
『たまにはね』
そして、さらに一通。
『でも』
『あのキス、まだ終わったことになってへんから』
「……」
湊は画面を見たまま、止まった。
へんな方言だな、と思った。
七海は普段そんな言い回しをしない。
たぶん、わざとだ。
でも、そこじゃない。
まだ終わったことになってへん。
その一文の意味が、軽くない。
『どういう意味』
と返す。
既読はすぐについた。
でも七海は少し間を置いてから、短く返してきた。
『そのままの意味』
それだけ。
湊はスマホを見下ろしたまま、小さく息を吐いた。
七海は時々こういうふうに、冗談みたいな顔でまっすぐなことを言う。
そこが少しだけ怖い。
「……」
「……湊くん?」
声がして顔を上げる。
白銀ルナが立っていた。
薄い色の私服。
髪も少しだけ整っていて、花火大会のときより落ち着いて見える。
でも、目が合った瞬間、少しだけ視線が揺れた。
「おはよう」
「……おはよ」
「どうしたの」
「何が」
「固まってる」
湊は少しだけスマホをしまうのが遅れた。
白銀の視線がそこに一瞬落ちる。
「誰?」
「え」
「……いや」
「別に、聞いただけやし」
その言い方が、ものすごく白銀だった。
聞きたい。
でも聞きすぎたくない。
でも気になる。
その全部が出ている。
「七海」
正直に答えると、白銀は一瞬だけ止まった。
「……」
「……」
「そっか」
「何か言ってた?」
「少し」
「何て?」
そこ、ちゃんと聞くんだなと思う。
「楽しんできなって」
白銀は少しだけ目を細める。
「……福原さん、余裕やな」
「そうかな」
「そうやろ」
でも、そのあと小さく息を吐いて、白銀は少しだけ笑った。
「まあええわ」
「何が」
「今日はうちの日やし」
言ったあとで、自分で少し赤くなる。
「……って、何言うてんやろな」
「今の、ちょっといいね」
「よくない!」
でも、そのツッコミの声は少しだけ明るかった。
◇
図書館での課題は、前回より少しだけ進んだ。
白銀も前よりは落ち着いている。
いや、落ち着こうとしている。
でもそのぶん、湊が近づいたり、急に褒めたりすると、前より深く刺さるみたいだった。
「ここ、終わった」
湊が言う。
「うん」
「白銀さんは?」
「……あとちょい」
「今日、ちゃんと進んでるね」
「前回がひどすぎたんや」
「でも今日のほうが、ちょっと楽しそう」
「っ」
白銀が止まる。
「……今それ言う?」
「思ったから」
「その“思ったから”で全部来るのほんまやめて……」
湊は少し笑う。
その笑い方に、白銀はまた少しだけ目を逸らした。
でも。
前回より、ちゃんと向き合えている気がする。
好きだと自覚したあと。
七海と美羅李が引かない中で。
それでも、今日は自分の時間だと思える。
それが少しだけ嬉しかった。
◇
図書館のあと、かき氷屋へ向かう。
夏休み後半らしく、人は多かった。
「何味にする?」
湊が聞く。
「いちご」
「安定だね」
「祭りのときもりんご飴やったし」
「たしかに」
白銀は少しだけ笑う。
「湊くんは?」
「抹茶かな」
「渋」
「そう?」
「そうや」
二人で並んで注文して、窓際の席に座る。
かき氷が来るまで、少しだけ間が空く。
でも前みたいな気まずさではない。
その間をどうにかしたくて、白銀は少しだけ勇気を出した。
「なあ」
「何」
「この夏休み、終わるん早く感じへん?」
「……」
「……」
「早いね」
湊が言う。
「やんな」
「うん」
「まだある思っとったのに」
「そうだね」
短い返事だけど、ちゃんと会話になっている。
白銀は少しだけ息を吐く。
「……何か変わった?」
湊が聞いた。
「何が」
「夏休み入ってから」
その質問に、白銀は少しだけ止まる。
「……」
「……」
「ちょっとは」
結局、そう答えた。
「そっちは?」
「俺も少しは」
その返しに、白銀は思わず湊を見る。
「……へえ」
「何」
「いや」
「そうなんやって」
そこで、注文したかき氷が運ばれてくる。
助かったような、惜しいようなタイミングだった。
でも、たぶん今はこのくらいでいい。
全部はまだ言えない。
でも、前よりちゃんと近づいている。
その実感が、白銀の中に少しずつ積もっていた




