29. 四人で集まるだけやのに、なんでこんなに空気重いん
夏休みも、もう後半だった。
八月の空は相変わらず高くて青いのに、どこか前より急かされる感じがする。
残りの日数を意識し始めたせいかもしれない。
その日の午後、駅前の図書館の学習スペースには、妙に落ち着かない四人分の空気があった。
「……」
「……」
「何この空気」
最初に口を開いたのは福原七海だった。
「勉強会だよね?」
「せやで」
白銀ルナが返す。
「せやけど、何かおかしいねん」
「それはそう」
倉持美羅李が静かに言った。
「お前ら、本人の前で言うなよ」
湊が小さく息を吐く。
ことの始まりは単純だった。
夏休みの課題が、四人とも絶妙に終わっていない。
七海が「一回まとめてやる?」と言い出し、湊が「いいかも」と返し、その流れを白銀が聞きつけて「うちも行く」となり、美羅李が「じゃあ私も」と静かに乗ってきた。
結果、四人勉強会。
ただし、勉強会らしい平和な空気は開始五分でどこかへ消えた。
「なんでそこなん」
白銀がじとっと言う。
「空いてたから」
七海が返す。
七海は湊の左隣に座っていた。
「うちも空いてたやん」
「白銀さんは来るの遅かったでしょ」
「三十秒や!」
「十分」
「十分ちゃう!」
その向かい側で、美羅李が静かに言う。
「でも白銀さんも、かなり寄ってるよ」
「……」
「……」
「倉持さん、それ今言う?」
白銀は自分の椅子を見る。
たしかに、気づけば湊のほうへ寄っていた。
「これは」
「うん」
「机が狭いだけや」
「そうなんだ」
美羅李の返しが静かで困る。
しかも本人は湊の真正面。
視線を上げると普通に目が合う位置で、それもそれで強い。
「なあ」
湊が言う。
「何」
三人の声が少し重なる。
「……」
「……」
「その返事の仕方やめない?」
「なんで」
七海が言う。
「面白いからこのままでいいじゃん」
「福原さんだけやろ楽しんどるん」
「少しは」
「少しちゃうやろ」
白銀はため息をついた。
でも、そのツッコミが自然に出るあたり、前より少しは戻っている。
◇
とりあえず、課題を広げる。
英語、数学、古典。
机の上だけ見れば健全な勉強会だ。
「ここ分からん」
白銀が小さく言った。
「どこ」
湊が横からのぞき込む。
顔が近い。
「……」
「……」
「白銀さん?」
「ちょい待って」
「何を」
「心の準備」
「勉強会だよね?」
七海が横から言う。
「福原さん、今それ言う!?」
その間に、湊は普通に問題を見てしまう。
「ここ、前もやったやつだよ」
「そうやけど」
「公式入れたらすぐ」
「……」
「……」
「今そんな近くで説明されたら無理やねんけど」
白銀が小さく言うと、七海が吹き出した。
「ほんとに分かりやすい」
「うるさい!」
向かいで美羅李がぽつりと呟く。
「でも、ちょっと羨ましいかも」
「何が」
白銀が聞く。
「そうやって出るの」
「……」
「……」
「それ言われると逆に困る」
「そう?」
「そうや」
白銀はシャーペンを持ちながら、少しだけ視線を落とした。
でも、その言葉は妙に残った。
自分では隠してるつもりでも、出てしまう。
前まではそれが嫌だった。
でも今は、それを見抜かれても完全には引きたくない自分がいる。
◇
「湊」
今度は七海が呼ぶ。
「何」
「ここ見て」
七海がプリントを少し寄せる。
自然な動作で、湊がそっちを向く。
それを見ていた白銀が、じっとりした声で言った。
「……自然やなあ」
「何が」
「何でもない」
「絶対何かあるやつじゃん」
七海が笑う。
「白銀さん、今日ちょっと忙しいね」
「その言い方やめて」
「じゃあ」
七海は少し考えるふりをしてから言う。
「今日、反応いいね」
「福原さんはずっと楽しそうやな」
「見てるぶんにはね」
「見られてる側はしんどいねん」
返しが早い。
美羅李が、そんな白銀を見たまま言う。
「でも、前より逃げてないよね」
「……」
「……」
「倉持さん、それも今言う?」
「今かなって思った」
「思ったことそのまま言うタイプなんやな」
「湊もそうでしょ」
「なんでそこで俺」
七海が吹き出す。
「そこはもう諦めたほうがいいよ」
「何を」
「このメンバーで普通に終わるやつ」
それには、さすがに誰も否定しなかった。
◇
一時間ほどして、休憩に出ることになった。
自販機の前。
「何飲む?」
湊が聞く。
「コーヒー牛乳」
白銀が即答する。
「かわいいね」
七海が言う。
「何がや!」
「選ぶやつ」
「ほっといて!」
その横で、美羅李が冷たいお茶を選ぶ。
七海は炭酸。
湊は水。
「湊、それで足りる?」
七海が聞く。
「勉強中だし」
「まじめ」
「そういう日もある」
その会話の横で、白銀がぽつりと言った。
「……夏休み、もう半分どころちゃうんやな」
誰もすぐには返さなかった。
でも、その一言は全員に少しだけ刺さった気がした。
「そうだね」
湊がようやく言う。
「早いな」
「ほんまやで」
白銀が缶を見つめたまま言う。
「まだある思っとったのに」
「まだあるでしょ」
七海が言う。
「あるけど」
白銀は少しだけ目を細めた。
「思っとるより早い」
その声が、さっきまでより少し静かだった。
美羅李が横で、小さくうなずく。
「それは分かる」
「……」
「……」
「なんでそこだけ息合うん」
白銀が言うと、七海が笑う。
「やっぱり、残り少なくなると考えること似るんじゃない?」
「何その言い方」
「そのまま」
七海は缶を傾けながら、さりげなく言った。
「夏休み終わる前に、何か変えたいって思うやつ」
白銀の手が、一瞬だけ止まった。
「……」
「……」
「何」
湊が聞く。
「別に」
でも別にじゃない。
それは白銀自身が一番分かっていた。
夏休みがまだ長いと思っていたころとは違う。
もう、残りのほうが見えてきている。
このままで新学期に戻るのは嫌だと、たぶんもう思い始めている。
◇
席に戻ってからの空気は、少しだけ変わっていた。
さっきまでの軽い小競り合いの中に、少しだけ本音が混ざる。
「なあ」
白銀が小さく言う。
「何」
湊が返す。
「次の勉強会、いつにする?」
「っ」
七海がわざとらしくペンを落とした。
美羅李が静かに目を上げる。
湊も少しだけ止まった。
「……」
「……」
「何その空気」
白銀が言う。
「いや」
湊が口を開く。
「珍しいなって」
「何が」
「白銀さんが先に次の話するの」
その言い方が、妙に素直で。
白銀は少しだけ言葉に詰まった。
「……あかん?」
「だめじゃないけど」
「じゃあええやん」
少しだけ強引に言ってみる。
前なら、そこで照れて終わっていたかもしれない。
でも今日は、言い切れた。
七海が口元を押さえる。
「へえ」
「何」
「いや、思ってたよりちゃんと行くなって」
「うるさい」
でも、悪い気はしなかった。
美羅李が静かに続ける。
「じゃあ、次は場所変える?」
「何で」
「図書館だと静かすぎるから」
「それ、うちに言うてる?」
「半分くらい」
「半分は何なん」
「みんな」
その返しに、湊まで少しだけ笑った。
その笑いを見て、白銀はふと思う。
やっぱり。
このまま何もせずに夏休みが終わるのは嫌だ。
そこだけは、かなりはっきりしてきていた。




