27. …今日のうち、だいぶ終わってたよな?
白銀ルナが家に帰ったのは、夕方が少し夜に近づいた頃だった。
玄関で靴を脱いで、自分の部屋に入って、鞄を置いたところで、ようやく大きく息を吐く。
「……」
「……無理や……」
そのままベッドに倒れ込んだ。
今日は課題をやっただけのはずだ。
図書館に行って、カフェに寄って、ちょっと文房具を見て、帰ってきただけ。
なのに、白銀の体感では体育祭一日分くらい疲れていた。
理由は分かっている。
ずっと湊と二人やったからや。
「そら疲れるわ……」
枕に顔を埋めながら呟く。
しかも今日の湊は、やたら普通だった。
普通に話して、普通に隣に座って、普通に褒めて、普通に“楽しかった”とか言ってきた。
あれがいちばん悪い。
変に意識してくるならこっちだって構えられる。
でも、あの人はそうじゃない。
何でもないみたいな顔で、ちゃんと刺してくる。
「今日くらい、ちょっとは困ってくれてもええやん……」
そう呟いてから、白銀は自分で少しだけ止まった。
……いや、困ってた。
最後のほう、少しだけ。
あの文房具屋で。
『そういうこと言われると、困る』
あれは、たぶん嘘じゃなかった。
「……」
「……うわ」
思い出しただけでまた熱くなる。
白銀はばっと起き上がると、近くにあったクッションを抱えた。
「無理やってほんま……」
でも、口元は少しだけ緩んでいる。
しんどかった。
だいぶ照れた。
でも、嫌じゃなかった。
嫌じゃないどころか、また会いたいと思っている。
そこまで自覚してしまうと、もう本当に後戻りできない気がした。
スマホが震える。
「っ」
反射で取る。
画面を見る。
湊だった。
『今日はありがと』
短い一文。
でも、それだけで白銀はまた固まった。
「……」
「……」
「いや、こっちの台詞やし」
口ではそう言う。
でも、返事を打つ指は少しだけ震えた。
『こっちこそ』
それだけ送る。
既読。
すぐに返ってくる。
『次はもっと課題進めよう』
「うわあ……」
白銀はそのままベッドに転がった。
「そこなんや……!」
いや、課題をやりに行ったんだから正しい。
正しいけど、そうじゃない。
少しくらいこう、余韻とかないんか。
でも、その湊らしさにちょっと笑ってしまうのも悔しい。
『今日は全然進んでへんかったしな』
と返す。
少し間が空いてから、湊が返してきた。
『白銀さんがいつもより静かだったから』
その文面を見た瞬間、白銀はベッドの上で飛び起きた。
「……は?」
見えていたのか。
気づかれていたのか。
『何それ』
『うちそんな変やった?』
送る。
数秒。
『少し』
『でも新鮮だった』
「……」
「……それ、余計あかんやつやん……」
白銀は片手で顔を押さえた。
自分だけが必死で隠してるつもりでも、湊には少し見えていたらしい。
しかも、“新鮮だった”って何だ。
悪い意味ではなさそうなのが、またたちが悪い。
そこへ、また通知。
今度は福原七海。
『どうだった?』
相変わらず雑な聞き方だ。
『しんどかった』
と返す。
すぐに既読。
『でも楽しそう』
「何で分かるん……」
『文章がちょっと浮いてる』
『白銀さん分かりやすいから』
「そればっかやな……」
でも今は否定する気力がなかった。
『……楽しくはあった』
正直にそう送る。
七海はすぐに返す。
『ならよかった』
『で、進んだ?』
『何が』
「絶対分かって聞いとるやろ……」
それでも白銀は、少しだけ考えてから返した。
『ちょっとだけ』
その返事を送ったあと、自分で少し笑う。
ちょっとだけ。
でも前よりは確実に進んだ。
気持ちも、距離も、自分の覚悟も。
◇
一方その頃。
湊も家に帰っていた。
白銀との外出は、思っていたよりずっと普通で、でも思っていたより少しだけ変だった。
図書館では何度か白銀が黙った。
カフェではすぐ赤くなった。
でも、ちゃんと笑っていた。
「……」
「……ちょっと変だったな」
小さく呟く。
変、というのは悪い意味じゃない。
むしろ逆だった。
今までの白銀さんは、もっと勢いで来て、勢いで照れて、勢いでごまかしていた気がする。
今日はそこに少しだけ、迷いみたいなものがあった。
でも、それごとちゃんと前に出てきていた。
それが新鮮だった。
スマホが震える。
今度は七海。
『今日、白銀さんとだったんでしょ』
湊は少しだけ止まる。
『うん』
と返す。
既読。
『楽しかった?』
七海の聞き方は、たまに妙にまっすぐだ。
『普通に』
と返したところで、自分で少しだけ首をかしげた。
普通に、で合っているんだろうか。
いや、普通ではなかった気もする。
でも、言い換えが難しい。
『ふーん』
七海の返事はそれだけだった。
でも、その短さが少しだけ引っかかった。
『何』
と返す。
数秒後。
『いや』
『湊、ちょっと変わったなって』
「……」
「……変わった?」
そこから七海はすぐには返さなかった。
代わりに、しばらくしてから短く来る。
『前より、ちゃんと見てる』
その一言だけだった。
湊はスマホを見たまま少し黙る。
見ている。
何を。
誰を。
そこまでは、自分でもまだよく分からなかった。




