24. …なんで今さら、普通に話されるだけであかんの
夏休み三日目。
昼前なのに、もう暑かった。
カーテンの隙間から差し込む光がやけに強くて、窓の外では蝉が容赦なく鳴いている。エアコンの効いた部屋の中にいるのに、その音だけで暑さを思い出しそうになるくらいだった。
白銀ルナは、ベッドの上でスマホを見つめたまま固まっていた。
「……」
「……」
「送れへん……」
小さく呟いて、また文面を消す。
トーク画面の相手は、桐谷湊。
開いては閉じ、閉じては開きを繰り返して、もう十五分くらい経っていた。
「何してる?」
消す。
「暇?」
消す。
「今日、暑いな」
もっと消す。
「……なんやねんこの会話」
自分で言って、自分で枕に顔を埋めた。
終わっている。
何が終わっているって、自分の送ろうとしている文面が終わっている。
夏休み前ならもう少し自然に送れていた気がするのに、花火大会のあとから全部おかしい。
というより、自分がおかしい。
「……」
「……うわ」
思い出しただけで耳が熱くなる。
花火大会。
人混み。
はぐれそうになって、焦って袖を掴んだこと。
湊が他の子とおるん嫌や、とほとんど言ってしまったこと。
それから――自分で、自分の気持ちを認めてしまったこと。
「……あかん」
白銀はもう一度枕に顔を押しつけた。
「今思い出すやつちゃう……」
でも思い出してしまうものは仕方ない。
湊の顔。
湊の返し。
“ちゃんと伝わったよ”なんて、あの落ち着いた声で言われたこと。
「ずるいねん……」
小さく文句を言ってから、白銀はごろんと寝返りを打った。
スマホの画面はまだトーク画面のまま。
最後に送ったのは昨日の夜。
『暑いな』
我ながら終わっている。
それに対して湊は、
『そうだね』
だけだった。
「いや、そうやねんけど!」
ベッドの上で一人ツッコむ。
「もっとあるやろ普通!」
でも、あの返しが湊らしいといえば、ものすごく湊らしいのが腹立つところだった。
気のない返事ではない。
でも深い意味もない。
ただ普通に返しているだけ。
その“普通”が、今の白銀には妙にしんどい。
◇
白銀はようやく起き上がって、机に向かった。
夏休みの課題をやるつもりだった。
英語のワークを広げて、ペンを持って、一問目を見たところで止まる。
「……」
「……“I”」
そこから先が頭に入らない。
スマホを見る。
何も来ていない。
分かっている。
今見たばかりだ。
それでもまた見てしまう。
「末期やん……」
自分で言って、ちょっとへこんだ。
そのとき、スマホが震えた。
「っ」
反射で取る。
画面を見る。
白銀は一瞬止まって、それからがっくり肩を落とした。
「湊くんやないんかい……」
相手は福原七海だった。
『生きてる?』
「なんやその一言目……」
思わず口に出る。
でも、ちょっとだけ助かった気もした。
今もし湊から来ていたら、たぶん変な声が出ていた。
白銀は少し考えてから返す。
『失礼やな』
数秒で既読がつく。
『じゃあ生きてるね』
『よかった』
「何やねんそれ」
そこへさらに続く。
『白銀さん、今日ひま?』
その文面を見て、白銀は少しだけ目を細めた。
『ひまやけど』
『何』
『相談でもあるん?』
返す。
すると七海から、
『半分くらい』
『あと半分は、ちょっと気になっただけ』
と返ってきた。
「正直やなあ……」
でも、その正直さは少しだけありがたい。
『何の話』
と送ると、少し間が空いた。
そして返ってきたのは、
『花火大会のあとから、変でしょ』
白銀はスマホを持ったまま固まった。
「……」
「……」
「福原さんほんま……」
そこを真っすぐ来るのか。
そして悔しいことに、否定しづらい。
『変ちゃうし』
と送る。
数秒後。
『遅い』
『その間でだいたい分かる』
「うるさい!」
思わず声が出た。
でも、ちょっとだけ笑ってしまう。
七海はたぶん、白銀が何かをごまかしていることに気づいている。
気づいていて、少し面白がっている。
でも、それだけでもない気がした。
『……ちょっとだけ変かも』
結局、そう打って送る。
既読。
すぐに返ってくる。
『やっぱり』
『で、どうするの』
その問いに、白銀は止まった。
「どうするって……」
それが分からないから困っているのだ。
好きだと気づいた。
多分もう、それは間違いない。
じゃあそのあと、どうしたらいいのか。
どう話して、どう距離を詰めて、何を言えばいいのか。
そんなの、今まで考えたこともなかった。
『どうしたらええんか分からん』
白銀は正直にそう返した。
少しして、七海から来る。
『まあ、そうだよね』
『いきなり上手くやれるほうが変だし』
その返しが少しだけ拍子抜けするくらい普通で、白銀は目を瞬いた。
『でも、無理に変えなくていいんじゃない?』
白銀はその一文を、少しだけ長く見た。
『今まで通りも無理やねん』
『見たらあかんし』
『話してもあかんし』
『メッセージも変になる』
『終わってるやろ』
打ってから、少しだけ恥ずかしくなる。
何を七海にこんなに送っているのか。
だが七海は、そこを笑わなかった。
『終わってはないでしょ』
『始まっただけじゃない?』
白銀はその一文を見たまま、しばらく動かなかった。
始まっただけ。
そう言われると、少しだけ息がしやすくなる。
しんどいのは、自分だけじゃない。
恋ってこういうものなのかもしれない。
そこまではまだよく分からないけど。
『……福原さん、たまにええこと言うな』
送ると、すぐ返ってくる。
『たまには余計』
そこで、白銀は初めてちゃんと笑った。
◇
昼を少し過ぎたころ。
湊から、ようやくメッセージが来た。
『課題進んでる?』
「……」
「……は?」
白銀はその文面を見て、しばらく動かなかった。
「なんで今それ……?」
いや、普通だ。
普通の会話だ。
おかしくはない。
でも今このタイミングで来るのが、湊らしすぎて逆に困る。
課題。
そう、課題は進んでいない。
ぜんぜん進んでいない。
でもそこをそのまま返すのも癪だった。
『ちょっとはやっとる』
と返す。
湊からすぐに来る。
『えらい』
「っ……」
白銀は完全に止まった。
「いや、何それ……」
たったそれだけで、なんでそんなに来るのか。
胸のあたりが妙にざわついて、耳が熱くなる。
「……あかん」
白銀はスマホを机に置いて、額を押さえた。
「それは、ずるいやろ……」
だが、湊はたぶん何も考えていない。
思ったから送っただけ。
そういうやつだ。
だから余計にたちが悪い。
白銀はしばらく机に突っ伏してから、またスマホを持つ。
このまま会話を終わらせるのも嫌だった。
でも何を送る。
ここで変なことを送ったら、また一人で死ぬ。
「……」
「……」
「……もうええわ」
白銀は勢いで打った。
『全然えらない』
『進んでへん』
送る。
数秒。
既読。
すぐに返ってくる。
『じゃあ今度一緒にやる?』
「……」
「……」
「……は?」
声が出た。
心臓が変な音を立てる。
白銀はベッドに倒れ込んだ。
「いや待って待って待って」
一緒にやる?
それはつまり、会うということか。
二人で、という意味か。
いや、湊のことだから深い意味はない。たぶん本当に課題をやるだけだ。
でも、それでも。
“今度一緒にやる?”
この一文の破壊力が高すぎた。
「無理や……」
白銀は枕に顔を押しつけたまま、足をばたつかせた。
「無理無理無理……」
そこへ、七海からちょうどメッセージが来る。
『どうした?』
『死んだ?』
「タイミング……!」
白銀は半ばやけくそで、湊のメッセージをそのまま七海に送った。
数秒。
そして、七海から。
『へえ』
『それはずるいね』
その返事に、白銀は完全に同意した。
『やろ!?』
『なんであんな普通に送ってくるん!?』
七海からすぐ返る。
『それ、逃げたらあとでだるいやつだよ』
白銀はスマホを見たまま、また止まる。
「だるいやつ……」
『今流したら、たぶんあとで引きずる』
七海のその言い方は軽いのに、妙に刺さる。
白銀は、息を吐いた。
逃げたい。
でも、逃げたくない。
どっちも本音だった。
しばらく迷ってから、白銀はようやく湊に返した。
『……やる』
送信。
直後、また自分で顔を覆う。
「うわあ……送ってもうた……」
でも、少しだけ。
本当に少しだけ、胸の奥が軽かった。
◇
すぐに湊から返ってくる。
『じゃあ日決めよう』
その文面を見て、白銀は目を閉じた。
「……始まってもうてるやん」
何がとは言わない。
でも、もう後戻りはできない気がした。
恋を自覚した。
そして今。
白銀ルナは、自分からちゃんと一歩、前に出てしまった。
その事実だけで、また耳が熱くなる。
でももう、前みたいに“気になるだけ”には戻れない。
戻る気も、たぶんない。
スマホを握ったまま、白銀はベッドに倒れ込む。
そのとき、また通知が来た。
相手は七海。
『で』
『ちゃんと返した?』
白銀は少しだけ笑ってから返す。
『返した』
『やるって』
既読。
そして七海から。
『えらい』
「……」
「……」
「今日はその言葉、あかんねんて……」
でも、その呟きは少しだけ笑っていた。
夏休みは、まだ始まったばかりだ。
そしてたぶん――
次に湊と会う日は、今までと同じじゃ終わらない。




