22. …なんでうちが、あの子と二人でお茶しとるん?
夏休みの午後。
窓の外では蝉がうるさいくらい鳴いているのに、部屋の中はやけに静かだった。
エアコンの風。
ゲーム機の駆動音。
それから、ヘッドセット越しに聞こえる福原七海の声。
「そこ、今行ける」
『行ってる』
「いや、ちょっと早い」
『もう行った』
「見えてる」
俺――桐谷湊は、自分の部屋でオンラインゲームをしていた。
相手は七海。
さっきから七海のキャラは前に出すぎていて、こっちはその尻拭いばかりしている。
「右から来る」
『見えてる』
「じゃあ避けて」
『無理』
「無理なんだ」
次の瞬間、七海のキャラは綺麗に囲まれて消えた。
『……』
「ほら」
『今のは湊が遅い』
「七海が前出すぎ」
『でもちょっと気持ちよかった』
「負けた側の感想じゃないな」
『楽しかったからいい』
それを言い切れるのが七海らしい。
そこで、机の端に置いていたスマホが震えた。
「……」
『何、今の』
「メッセージ」
『誰』
「白銀さん」
『へえ』
たったそれだけなのに、妙に面白がっている感じが出るのがすごい。
俺はリスポーン待ちの間にスマホを見た。
『なあ湊くん』
『今ひま?』
その下に、少し間を空けたみたいにもう一通。
『……いや、やっぱええわ』
「なんだそれ」
『どうしたの』
「ひまって来て、すぐやっぱいいって」
『送ってからやめたんじゃない?』
「それっぽい」
『じゃあ返しとけば』
「なんて」
『“ひまだよ”でいいでしょ』
たしかにそれくらいでよさそうだ。
俺は短く『ひまだよ』と返した。
すぐに既読がつく。
でも、それっきり止まる。
「……」
『止まった?』
「既読はついた」
『じゃあ悩んでるね』
「なんで」
『返し方』
七海はそういうのを言い切る。
そして、少ししてから白銀さんから返ってきた。
『ほんまに?』
『じゃあちょっと聞きたいことある』
『でも今、電話は無理』
『あとでできればでええ』
「電話は無理らしい」
『外かもね』
「なんで」
『わざわざ言うなら』
それは、たしかにそうかもしれない。
そう思ったところで、また白銀さんから来た。
『なんでか知らんけど』
『うち今、あの子とおる』
「……」
『何』
「白銀さん、今倉持さんと一緒にいるらしい」
『え』
七海が珍しく間の抜けた声を出した。
「だよね」
『それは予想外』
さらに白銀さんから続く。
『しかも普通にお茶しとる』
『意味わからん』
『助けて』
そこで、思わず少し笑ってしまう。
「助けてって来た」
『珍しいね』
「だいぶ」
『その組み合わせはしんどそう』
「見てないのに分かるんだ」
『なんとなく』
七海は淡々としている。
でも、ちょっと楽しそうだ。
「やっぱり面白がってるだろ」
『少しは』
その“少し”は信用できない。
◇
一方その頃。
駅前から少し外れたカフェで、白銀ルナは目の前のアイスカフェラテを見つめていた。
「……なんでやねん」
小さく呟く。
向かいには、倉持美羅李。
白いブラウス。細いフレームのメガネ。落ち着いた顔。
この状況がいまだに信じられなかった。
ちょっと買い物に出ただけだった。
夏っぽい小物でも見て、そのまま帰るくらいの気持ちだった。
なのに。
『白銀さん?』
と声をかけられて。
振り向いたら、倉持美羅李がいて。
『少しだけ、お茶しない?』
と来た。
なんとなく断りづらかった。
それだけや。ほんまに。
「……」
「……」
「そんなに警戒しなくていいよ」
先に口を開いたのは美羅李だった。
「してへん」
「してるよ」
「……」
「……」
「なあ」
白銀が先に言う。
「何」
「なんでうち誘ったん?」
美羅李は少しだけ考えるみたいに視線を落としてから言った。
「なんとなく」
「なんとなくで誘うん」
「だめだった?」
「だめちゃうけど……」
だめじゃないけど、しんどい。
白銀はストローをくるくる回す。
「白銀さんって、もっと逃げるかと思った」
「失礼やな」
「違う?」
「……ちょっとは思った」
その返事に、美羅李が少しだけ笑う。
「正直だね」
「倉持さんもやろ」
「そう?」
「そうや」
少し沈黙。
でも、言い合いになる感じではない。
ただ、妙に落ち着かない。
「なあ」
白銀がまた言う。
「何」
「こういうの、ようやるん?」
「何が」
「人誘って、お茶するとか」
「たまに」
「ふーん」
その“ふーん”にはいろいろ入っていた。
美羅李はそこを深く取らずに、カフェラテを一口飲む。
「白銀さんは?」
「うちは……」
そこまで言って、少し止まる。
「そんなせえへん」
「そうだね」
「何その言い方」
「なんとなく」
今度はこっちに返されて、白銀は少しだけむっとした。
「なあ倉持さん」
「何」
「うちのこと、分かりやすいとか思っとる?」
「……」
「……」
「ちょっと」
「うわ」
思わず机に突っ伏したくなった。
「やっぱりか」
「でも」
美羅李が静かに続ける。
「そういうの、嫌いじゃない」
「……」
「……」
「なんなんそれ」
白銀は顔を上げる。
「褒められとるんか、よう分からへん」
「半分くらい」
「半分かい」
その言い方が妙に美羅李っぽくて、少しだけ可笑しかった。
◇
そのとき、白銀のスマホが震えた。
湊からの返事だ。
『ひまだよ』
それだけなのに、少し呼吸が楽になる。
白銀はすぐに画面を伏せた。
「湊くん?」
「っ……!」
美羅李に名前を呼ばれて、白銀は少しだけ肩を揺らした。
「何」
「やっぱり」
「何が」
「顔に出るね」
「……」
「……」
「もうええわそれ」
白銀は頬を押さえる。
「みんなそれ言うやん」
「そう?」
「そうや」
そこでまたスマホが震えた。
今度は湊から。
『今、七海とオンラインでゲームしてる』
「……は?」
声が漏れる。
「何?」
美羅李が聞く。
白銀はスマホを見せた。
「見て」
「……」
「……」
「そうなんだ」
美羅李はそれだけ言った。
白銀はそれどころではない。
「なんで今!?」
「タイミング悪いね」
「悪いとかちゃうやろ!」
思わず机を叩きそうになって、慌てて止める。
「なんでうちは今、あんたとお茶しとって」
「湊くんは福原さんとゲームしとるん!?」
「知らない」
「うちも知らんわ!」
もう意味が分からない。
しかも、その湊に向かってさっき“助けて”と送ってしまった自分も意味が分からない。
でも、送ったものは送ったのだ。
「……最悪や」
「そんなに?」
美羅李が静かに聞く。
「そんなにや」
白銀は即答した。
「意味分からんとこで、変に落ち着かんねん」
「ふーん」
「その“ふーん”何なん」
「いや」
美羅李は少しだけ目を細める。
「やっぱり似てるなって」
「何が」
「さっきから、言うこと」
「誰と」
「私と」
「……」
「……」
「うち、その情報いらん」
ちっとも嬉しくなかった。
◇
俺の部屋では、七海のキャラがまたやられていた。
『……』
「今日、ひどいね」
『そっちが気になるから』
「人のせいにした」
『少しはあるでしょ』
「否定はできないけど」
そこでまた、スマホが震える。
白銀さん。
『なんでうちが、あの子と二人でお茶しとるん』
「……」
『何て?』
「“なんでうちが、あの子と二人でお茶しとるん”だって」
『それはそう』
七海があっさり言う。
『でも、わりと元気そうじゃない?』
「たしかに」
『本当に無理なら、その文面にもならないと思う』
妙に納得した。
「七海ってさ」
『何』
「やっぱり変なところだけ鋭いよね」
『変って何』
「いや、悪い意味じゃないけど」
『ならいい』
その返しの直後、また白銀さんから来る。
『しかも』
『普通に会話しとる』
『意味わからん』
『助けて』
「……」
『やっぱりちょっと面白い』
「隠す気ないな」
『ないね』
そこで少しだけ間。
『でも』
「何」
『今の白銀さん、わりと本気っぽいよ』
「……」
「……」
「そうかも」
『でしょ』
その一言だけ、少しだけいつもより柔らかかった。
画面の中で、また七海が突っ込んでいく。
「いや今、前出るの無理」
『分かってる』
「分かってない」
『今日はもう勝てない気がする』
「珍しいね」
『その代わり、別のもの見れてるからいい』
「それ、完全に俺で遊んでるだろ」
『少しは』
少しじゃない。
「七海」
『何』
「今日はここまでにする?」
『別にいいよ』
「いいんだ」
『今の湊、どうせゲームどころじゃないでしょ』
言い切られて、少し黙る。
否定できなかった。
『行ってきなよ』
「え」
『白銀さん、わりと本気で困ってそうだし』
「見てないのに分かるんだ」
『文面でなんとなく』
七海はそう言って、少しだけ笑った。
『あと、私も気になる』
「本音出たな」
『出した』
正直すぎる。
「じゃあ、またあとで」
『うん』
『今度はちゃんと勝たせて』
「埋め合わせ、それなの?」
『それがいい』
七海らしいと言えば、らしかった。
◇
カフェでは、白銀がスマホを見つめたまま固まっていた。
湊からのメッセージ。
『今からそっち行く』
「……」
「……」
「来るって?」
美羅李が聞く。
「うん」
「そっか」
美羅李はストローを持ち直した。
表情は変わらない。
でも、少しだけ空気が変わった気がする。
「倉持さん」
「何」
「……なんか今ちょっと怖い」
「そう?」
「そうや」
白銀は正直に言った。
美羅李は少しだけ笑う。
「大丈夫」
「何が」
「まだ何もしてないから」
「“まだ”ってつけるなや!」
思わずツッコミが出る。
でも、そのあとで白銀は少しだけ笑ってしまった。
変な午後だった。
でも、その変さの中で、はっきりしたこともある。
自分は、湊のことになると落ち着かない。
それだけは、もうごまかせない。
「なあ」
白銀が言う。
「何」
「このあと、湊くん来るんやろ?」
「来るんじゃない?」
「……」
「……」
「なんか変に緊張してきた」
その言葉に、美羅李は小さく目を細めた。
「うん」
「私も」
その返しがまた静かで、でも強い。
やっぱりこの人、ちょっと怖い。
でも怖いだけじゃない。
この人もちゃんと揺れてるのが、なんとなく分かる。
そのとき、店のドアが開く音がした。
白銀も、美羅李も、同時にそっちを見る。
「……」
「……」
「来た」
白銀が小さく言う。
入口には、少しだけ急いで来たらしい湊が立っていた。
それを見た瞬間、白銀の心臓がまた少し大きく鳴る。
でも――
次の瞬間。
「お邪魔します」
その後ろから、もう一人分の声がした。
「……え?」
白銀が固まる。
そこに立っていたのは――
福原七海だった。




