21.…もし次、うちが同じことしたら、ちゃんと困ってな
夜風が、まだ少しだけ熱を残していた。
花火大会の帰り道。
白銀さんたちと別れて、一人で駅へ向かう途中だった。
スマホが震える。
画面を見る。
白銀さんからのメッセージ。
『なあ湊くん』
『もし次、うちが同じことしたら』
そこで一度、止まっていた。
その続きが来る。
『ちゃんと困ってな』
「……」
「……」
「何それ」
口に出した瞬間、自分でも少し笑いそうになった。
何それ、でしかない。
でも、あの場で白銀さんが最後に言った「今は言わへん」とか、「もうちょいちゃんと自覚してから言う」とか、そういうのを思い出すと、この一文は妙に白銀さんらしかった。
遠回しで、強がりで、でも分かりやすい。
そのくせ、読む側にはちゃんと伝わる温度で来る。
俺は少し考えてから、短く返す。
『難しいと思う』
送る。
数秒。
既読がつく。
そしてすぐ、返ってくる。
『むかつく』
『でも』
『絶対いつか困らせる』
その勢いに、少しだけ口元が緩んだ。
さらにもう一通。
『あと』
『今日の福原さんのやつ、引きずってるなら寝たほうがええで』
そこで、完全に足が止まる。
「……」
「……」
「なんで分かるんだよ」
顔、まだ熱い気がした。
あの一瞬の感触を、変に思い出してしまうのが厄介だった。
七海の平然とした顔。
白銀さんの悔しそうな顔。
美羅李の静かな目。
全部まとめて、妙に頭に残っている。
返事に迷っていると、また白銀さんから来る。
『返事遅い』
『図星やろ』
正解だった。
でもそれをそのまま認めるのも癪で、俺は少しだけ考えて返した。
『白銀さんこそ、今日のこと引きずってるでしょ』
送る。
数秒。
既読。
……返事が来ない。
「……」
「……」
「やりすぎた?」
少しだけ不安になった、そのとき。
やっと返信が来た。
『……知らん』
『寝る』
『おやすみ』
分かりやすすぎる。
俺は小さく笑って、『おやすみ』とだけ返した。
そのままスマホをしまう。
花火大会は終わったはずなのに、まだ全然終わった感じがしなかった。
◇
翌日。
夏休み二日目の昼前。
家の中は静かで、窓の外から蝉の声だけがやけに大きく聞こえていた。
俺はリビングで冷たい麦茶を飲みながら、ソファに座っていた。
だいぶのんびりした朝だったはずなのに、気分は妙に落ち着かない。
理由は分かっている。
スマホだ。
机の上に置いたそれを、もう何度見たか分からない。
誰からも何も来ていないのに。
「……末期だな」
小さく呟いたところで、ちょうどスマホが震えた。
「うわ」
自分で少し驚く。
画面を見る。
七海だった。
『生きてる?』
なんで第一声がそれなんだ。
『たぶん』
と返すと、すぐに既読がつく。
『ならよかった』
『白銀さんから何か来た?』
「……」
「……」
「なんでそれ聞くんだよ」
送る前から負けた気がした。
『来たけど』
とだけ返す。
七海からすぐ返事。
『やっぱり』
『分かりやすいから』
そればっかだな。
『七海は?』
と返すと、少し間が空いた。
『別に』
『昨日のことは忘れてもいいよ』
忘れてもいいよ、ということは、忘れなくてもいいということだろうか。
あの人は本当に、余計な温度で投げてくる。
返事に迷っていると、さらに続く。
『でも、あの反応はちょっと面白かった』
『湊があそこまで赤くなるんだって思った』
『写真撮ればよかった』
『それはやめて』
即返した。
七海から笑っているみたいな短い返信が来る。
『残念』
そのやり取りの直後、またスマホが震えた。
今度は美羅李。
『昨日、ちゃんと眠れた?』
なんでみんなそこを心配するんだ。
『まあ普通に』
と返すと、美羅李は少し間を空けて返してきた。
『ならよかった』
『白銀さん、昨日かなり顔赤かったね』
「……」
「……」
「みんなそこ見るな」
思わず天井を仰ぐ。
この三人、別々に動いているのに、妙なところだけ共通認識があるのが怖い。
しかも、その話題の中心が白銀さんなのも少し面白い。
そこへまた、新しい通知。
白銀さん。
『なあ』
『暇?』
早い。
そして直球だ。
『少しは』
と返す。
『じゃあ』
『今から通話できる?』
そこで完全に止まった。
「……」
「……」
「通話?」
思わず、声に出る。
今までメッセージはあっても、通話はなかった。
しかも白銀さんのほうから言ってくるのが意外すぎる。
少しだけ迷って、『いいよ』と返す。
数秒後、着信画面が出た。
出る。
「もしもし」
『……』
「白銀さん?」
『おる』
第一声がそれだった。
『なんか、文字やと変になる気したから』
「変になってた自覚あるんだ」
『うるさい』
でも、声が少しだけいつもより近い。
通話だから当たり前なんだけど、それでも少し不思議だった。
「どうしたの」
『……昨日のこと、ちょっと確認しよう思って』
「何を」
『うち、変やった?』
またその質問だ。
でも昨日のそれは、今までの「ちょっと照れた」くらいじゃない。本気で自分の感情を測ろうとしている声だった。
「変だったね」
『やっぱり!?』
「でも、嫌な感じじゃなかった」
『……』
「……」
『それ、余計あかんやつやん』
電話越しに、白銀さんが顔を押さえてるのがなんとなく分かる。
「何が」
『いや』
『なんか、自分で自分が分からんくなっとるのに』
『湊くんにそう言われると、余計変になる』
その声は小さい。
でもちゃんと、本音だった。
「白銀さん」
『何』
「昨日、ちゃんと伝わったよ」
『……』
『何が』
「色々」
『雑やな』
「今はそれくらいでいいかなって」
『……』
少しだけ沈黙。
蝉の声だけが聞こえる。
やがて白銀さんが、小さく笑った。
『ほんま、そういうとこやな』
「何が」
『ずるいとこ』
またそれだ。
でも、その言い方は昨日より少し柔らかかった。
◇
『ていうか』
白銀さんが言う。
『福原さん、ほんまに強いな』
「急にどうしたの」
『昨日のあれや』
『いきなりやると思わんやん普通』
「俺も思わなかった」
『やんな!?』
声が少し大きくなる。
『うち、今でも思い出したらむかつく』
「むかつくんだ」
『むかつく』
『でも』
『……あれで分かったこともあるし』
そこで少し声が落ちる。
「何が」
『うち、めっちゃ分かりやすいんやろなって』
「それは前から」
『そこは否定せえや!』
電話の向こうで、たぶん本気でツッコんでいる。
でもすぐに、ふっと息が抜ける。
『まあ、ええわ』
『もう今さら隠せる気せえへんし』
「開き直った?」
『半分くらい』
その“半分”の残り半分は、まだ照れとか迷いとかで埋まってるんだろう。
『でもな』
「何」
『昨日の続き、ちゃんとするから』
「昨日の続き?」
『うん』
『今はまだ言わへんけど』
『そのうち、ちゃんと』
そこで、少しだけ間が空く。
『言う時は言う』
電話越しでも分かるくらい、真面目な声だった。
たぶん。
白銀さんは本当に、もう逃げるつもりがない。
そう思った。
「分かった」
『……その返し、ちょっと困る』
「なんで」
『こっちだけ覚悟決めてる感じになるやん』
「白銀さんが勝手に決めたんでしょ」
『せやけど!』
そこでまたツッコミ。
やっぱりこのテンポが落ち着く。
◇
しばらくどうでもいい話をした。
今日も暑いとか、夏休みの宿題がすでに面倒だとか、七海はたぶん今日も余裕そうだとか、美羅李は静かな顔して言うことが強いとか。
そういう話をしているうちに、最初の変な緊張はだいぶなくなっていた。
『なあ』
「何」
『今度さ』
「うん」
『二人でどっか行かへん?』
「……」
『……』
『いや、今のは忘れて』
「なんで」
『勢いで言うた』
「珍しいね」
『自分でもそう思う!』
慌てている声が可笑しくて、少しだけ笑ってしまう。
『笑うなや』
「ごめん」
『全然ごめん思ってへんやろ』
「少しは」
『少しかい』
そのあと、白銀さんは少しだけ静かになった。
『でもまあ』
「何」
『ほんまに、どっか行きたいとは思ってる』
『夏休みやし』
『……二人でも、みんなでも』
最後だけ少しだけぼかした。
でも、十分だった。
「いいよ」
『……』
「……」
『今の、どっちに対して?』
「白銀さんが言ったやつ全部」
『それはずるいやろ……』
また、困ったみたいに笑う声。
でも嬉しそうだった。
◇
『そろそろ切るわ』
白銀さんが言う。
「うん」
『なんか、変に長電話してしもた』
「そうだね」
『……でも、ちょっと楽になった』
「ならよかった」
『うん』
それから少しだけ沈黙。
最後に、白銀さんが小さく言う。
『なあ湊くん』
「何」
『次会ったとき』
『今日みたいに普通やったら、ちょっと困るからな』
「どういう意味」
『そのままの意味や』
それだけ言って、通話は切れた。
耳に残るのは、最後の少しだけ照れた声。
スマホを見下ろす。
通話時間は思っていたよりずっと長かった。
「……」
「……」
「次会ったとき、か」
小さく呟いた、その直後。
また通知が来た。
今度は七海。
『で、白銀さんと何分話したの?』
「怖いな」
そのすぐあと、さらにもう一通。
美羅李。
『今、誰と話してた?』
「もっと怖いな」
夏休みは始まったばかりなのに、全然平和じゃなかった。
でも。
それを少しだけ面白いと思ってしまった時点で、たぶん俺ももうだいぶ巻き込まれている。




