18. …なあ湊くん、まだ集合しただけやのに、なんでこんなに疲れるん?
花火大会当日。
七月の夕方は、昼より少しだけ優しい色をしていた。
空はまだ明るいのに、駅前にはもう夏祭りの空気が流れている。浴衣姿の人、屋台の匂い、遠くから聞こえる祭り囃子。駅前の時計台の下は待ち合わせの人でごった返していて、その中心に立っているだけで、もう少しだけ暑かった。
そんな中。
俺――桐谷湊は、スマホを見て小さく息を吐いた。
ついさっき届いたメッセージ。
白銀さんから。
『なあ湊くん』
『今日、変な格好ちゃうやろな?』
そのあと、少し間を置いてもう一通。
『うち、浴衣やから』
相変わらず、言いたいことが分かりやすすぎる。
さらに、七海からは短く一通。
『着いたら教えて』
美羅李からも一通。
『急がなくていいから、気をつけて』
三人とも文面に性格が出すぎている。
「……」
「……」
「帰りたいな」
まだ家を出たばかりなのに、少しだけ本音が漏れた。
◇
駅前に着いた時点で、すでにかなり人が多かった。
浴衣姿のカップル、友達同士ではしゃいでいる学生、子どもの手を引く親。みんな同じ方向へ流れていて、街全体が花火大会に向かって歩いているみたいだった。
待ち合わせ場所の時計台へ向かう。
スマホを取り出して、七海に『着いた』とだけ送る。
数秒後。
「湊」
声がした。
振り向くと、福原七海が立っていた。
薄い紫の浴衣に、濃い色の帯。派手ではないけど、七海の落ち着いた雰囲気によく合っている。髪も少しだけまとめていて、いつもより大人っぽく見えた。
「……似合うね」
「素直だね」
「思ったことだから」
「うん、知ってる」
七海は小さく笑ってから、俺の服を見た。
「ちゃんとしてるじゃん」
「誰かに言われたから」
「私です」
即答だった。
「で?」
「何」
「今のところ平和だね」
「今のところ、ね」
「うん」
七海が口元を少しだけ緩める。
「あと何人来るんだっけ」
「二人」
「濃いね」
言い方に遠慮がない。
でも、その通りだった。
七海が何か言いかけた、そのとき。
「見つけた」
聞き慣れた声。
振り向く。
そこにいたのは、白銀ルナだった。
薄い水色の浴衣に、白い帯。銀髪はいつもより少しだけまとめられていて、耳元には小さな飾りが揺れている。普段でも目立つのに、今日はもう隠しようがなかった。
「……」
「……」
「どう?」
第一声がそれだった。
「何が」
「浴衣」
「可愛いと思う」
「っ……!」
一瞬で赤くなる。
「なんで即答なん!?」
「聞かれたから」
「そこはもうちょい考えるやろ!」
「考えた結果だけど」
「早いねん!」
浴衣でも通常運転だった。
その横で七海が吹き出す。
「すごいね」
「何が」
「会って三秒で負けてる」
「負けてへん!」
白銀さんがすぐに言い返す。
「今日はまだ始まったばっかや!」
「始まる前から疲れそうだね」
「福原さん、他人事やと思って楽しんでへん?」
「かなり」
「正直やな!」
でも、そのやり取りをしている白銀さんは少しだけ嬉しそうでもあった。
◇
「待たせた?」
今度は静かな声だった。
人混みの向こうから歩いてきたのは、倉持美羅李だった。
白地に淡い紺の柄の浴衣。派手じゃないのに目を引く。細いフレームのメガネはそのままで、静かな雰囲気もそのまま。でも、制服のときより少しだけ柔らかく見えた。
「待ってないよ」
俺がそう言うと、美羅李は小さく笑った。
「よかった」
それから、白銀さんと七海に視線を向ける。
「こんばんは」
「こんばんは」
七海が自然に返す。
白銀さんも少し遅れて、
「……こんばんは」
と返した。
そこに変な敵意はない。
でも、妙な緊張感はある。
「全員そろったね」
七海が言う。
「だね」
「じゃあ行こか」
白銀さんがそう言って歩き出そうとして、すぐに止まる。
「……」
「……」
「何」
俺が聞くと、白銀さんは小さく言った。
「いや」
「並び、どうするんやろ思て」
それだった。
四人で一緒に移動する。
簡単そうで、難しい。
七海がすぐに笑う。
「もうそこからなの?」
「大事やろ!」
「別に適当でいいじゃん」
「よくない!」
「なんで」
「なんでもや!」
白銀さんは少しだけ頬を赤くした。
美羅李が静かに言う。
「歩きながら決まるんじゃない?」
「それ一番揉めるやつやろ」
白銀さんのツッコミは早かった。
でも結局、流れで歩き出すことになる。
最初は俺の右に白銀さん、左に七海、その少し後ろに美羅李。
なんとなくそうなっただけなのに、なぜか全員が少しだけそれを意識していた。
◇
屋台通りに入ると、一気に祭りの空気が濃くなった。
焼きそば、りんご飴、たこ焼き、かき氷。匂いも音も情報量が多い。人の流れも急に密になる。
「うわ、人すご」
白銀さんが小さく言う。
「毎年こんなもん?」
「たぶん」
「たぶんって便利やなあ」
「便利だよ」
「認めるんや」
そんなやり取りをしていた、そのとき。
前の流れが急に詰まった。
「わっ」
白銀さんがよろける。
ほぼ反射で、俺は腕を掴んだ。
「大丈夫?」
「……」
「……」
「白銀さん?」
「……大丈夫」
そう言ったけど、掴まれているほうの手はしばらくそのままだった。
数秒後、自分で気づいたらしい。
「あ」
ぱっと離す。
「これは事故やからな!」
「何も言ってないけど」
「今から言われる感じしたし!」
横で七海が完全に笑っていた。
「白銀さん、分かりやすすぎる」
「うるさい!」
「可愛いね」
美羅李が静かに言う。
「なんでみんなしてそういうこと言うん!?」
白銀さんが真っ赤になって抗議する。
「今日のうち、そんなにおもろい?」
「かなり」
七海が即答した。
「ひど!」
でも、その声は半分くらい笑っていた。
◇
屋台の前で立ち止まる。
「何食べる?」
俺が聞くと、白銀さんが真っ先に手を挙げた。
「りんご飴!」
「即答だね」
「祭りっぽいやん」
その横で七海が言う。
「でも、りんご飴って意外と食べにくいよね」
「夢ないなあ」
「現実的って言って」
美羅李は少しだけ考えてから、
「たこ焼き」
と小さく言った。
「倉持さん、たこ焼きなんや」
白銀さんが少しだけ意外そうに言う。
「なんか綿あめのイメージやった」
「どういうイメージ」
「静かな感じやし」
「関係あるのそれ」
七海が笑う。
「それ言ったら湊は焼きそばでしょ」
「なんで」
「なんとなく」
「適当だな」
「でも合ってそう」
結局、りんご飴とたこ焼きと焼きそばを買うことになった。
俺が焼きそばを持って、七海がたこ焼き、白銀さんがりんご飴、美羅李が飲み物。
妙な役割分担が自然にできる。
「なあ湊くん」
「何」
「りんご飴持ちにくい」
「それは見れば分かる」
白銀さんは袖を気にしながら、りんご飴を持っていた。
「持つ?」
「……」
「……」
「その言い方やと、なんか負けた感じする」
「何に」
「知らん」
でも結局、袋だけ俺が持つことになった。
七海が横で小さく言う。
「すごいね」
「何が」
「自然にそうなるんだ」
「七海、楽しんでるよね」
「かなり」
◇
少し人の少ない場所まで移動して、一旦立ち止まる。
花火開始まではまだ少し時間がある。
川沿いの風は、昼よりかなり涼しかった。
「……なあ」
白銀さんがぽつりと言った。
「何」
「まだ集合しただけやのに、なんでこんなに疲れるん?」
その一言に、七海が吹き出す。
美羅李まで少しだけ笑った。
「何わろてんねん!」
「だって、その通りだから」
七海が言う。
「まだ何も始まってないのに、もうイベント三個くらい起きてるよ」
「たしかに」
俺もそう思った。
「なんやろな」
白銀さんが少しだけ空を見る。
「花火まだやのに、もう今日終わったくらいの気分や」
「それは早いね」
「でもほんまにそうやもん」
そこで、美羅李が静かに言う。
「本番はこれからでしょ」
「……」
「……」
「倉持さん、それ静かに怖いねん」
白銀さんのツッコミが妙に真っ当だった。
◇
遠くで、開始アナウンスが流れ始める。
人の流れが、一斉に川沿いへ向かった。
「行こ」
七海が言う。
「うん」
歩き出す。
でも、人の量がさっきまでとは比べものにならない。
「うわ、ちょっと待って」
白銀さんが言う。
「これはぐれるやつや」
「大丈夫?」
「大丈夫ちゃう」
その瞬間、また前が詰まった。
人波に押される。
「白銀さん」
「分かっとる!」
そう言いながら、白銀さんは今度は迷わず俺の袖を掴んだ。
「これは事故ちゃうからな」
「そうだね」
「はぐれたら困るし」
かなり正当な理由だった。
でも、その反対側では。
「湊、こっち」
美羅李が静かに俺を呼ぶ。
さらに七海が横で言う。
「ほんとに始まる前からクライマックスだね」
「他人事みたいに言うな」
「半分は他人事だから」
「半分は?」
「見てのお楽しみ」
その返しが終わるか終わらないかのうちに。
夜空に、最初の花火が上がった。
大きな音。
色のついた光。
人の歓声。
そして。
「――あ」
白銀さんの手が、するりと離れた。
人の波に押されて、銀色の髪が一瞬だけ遠ざかる。
「白銀さん!」
そう呼んだところで、二発目の花火が夜空で開いた。
そしてその瞬間。
俺の手首を、今度は別の手が掴んだ。




