17.湊、その浴衣、誰が一番似合うと思う?
花火大会まで、あと三日。
七月の夕方はまだ明るくて、駅前の空気には昼の熱が少しだけ残っていた。
改札前の時計を見る。待ち合わせの時間まで、あと一分。
そのタイミングで、聞き慣れた声がした。
「湊」
振り向くと、福原七海が立っていた。
白い半袖シャツに黒のパンツ。シンプルな格好なのに、いつも通り妙に落ち着いて見える。肩の辺りで揺れる黒髪も、今日は少しだけ軽く巻いている気がした。
「待った?」
「今来たところ」
「それ、信用していいやつ?」
「たぶん」
「怪しいね」
七海は小さく笑った。
「行こ」
「どこに」
「花火大会の準備」
「準備?」
「浴衣」
嫌な予感がした。
「……誰の」
「私の。あと、できれば湊の」
「なんで俺まで」
「そのまま花火大会に来たら浮くから」
「ひどいな」
「ひどくないよ。事実だし」
さらっと言い切られて、そのままショッピングモールへ連行された。
◇
館内は冷房が効いていて、外よりずっと涼しかった。
七海は迷いなく上の階へ向かう。
「慣れてるね」
「去年、いとこの浴衣選び付き合ったから」
「その経験値が今ここで使われるんだ」
「そういうこと」
連れて行かれたのは、和装小物や浴衣が並んでいる売り場だった。
色とりどりの布地が目に入る。夏っぽい色合いが並んでいて、見ているだけで少しだけ季節を感じた。
「で?」
俺は聞く。
「俺は何をすれば」
「見て」
「ざっくりしてるな」
「感想を言って」
七海はそう言って、一着目の浴衣を手に取った。
淡い水色に白い花柄。涼しげで、七海の雰囲気にも合っている。
「どう?」
「似合いそう」
「“そう”なんだ」
「まだ着てないし」
「真面目か」
七海は少し笑って、今度は別の浴衣を取った。
黒地に薄紫の模様。さっきより少し大人っぽい。
「これは」
「そっちのほうが七海っぽい」
「へえ」
「今のはちょっといい答え」
「採点されてたんだ」
「されてた」
怖いな。
七海はその浴衣を自分の前に合わせて、鏡を見る。
「ねえ湊」
「何」
「花火大会って、やっぱり浴衣のほうがいいと思う?」
「たぶん」
「“たぶん”好きだね」
「でも七海は着たほうがいいと思う」
「どうして」
「似合いそうだから」
「……」
「……」
「それ、普通に言うんだ」
「聞かれたから」
「その答え方、誰かにもしてそう」
「誰」
「白銀さんとか」
「……」
「……」
「図星なんだ」
「いや」
「否定しないんだ」
七海はくすっと笑ってから、結局その黒地の浴衣をキープした。
◇
会計を済ませてから、今度はなぜか男性服売り場へ連れていかれる。
「いや待って」
「何」
「まだ続くの」
「続くよ」
「俺、浴衣着ないけど」
「知ってる」
「じゃあ何」
「普通の服を少しはまともにする」
「ひどいな」
「ひどくない」
七海はラックからシャツを一枚引き抜いて、こっちに押しつけてきた。
「これ」
「なんで」
「涼しそうだし、まだマシ」
「まだマシって」
「今の湊よりはね」
「言い方」
「着てみて」
言われるまま試着室へ入る。
着替えて出ると、七海は腕を組んでじっと見た。
「どう」
「思ったよりいい」
「その“思ったより”いる?」
「いる。正直だから」
七海は笑う。
「でも、こっちにしなよ」
「買うの?」
「花火大会だよ?」
「それ、今日何回言うの」
「大事だから」
そう言って、七海は少しだけ視線を逸らした。
「……ちゃんとしてたほうがいいでしょ」
「誰に対して」
「色々」
「ざっくりしてるな」
「湊もたまにはざっくり受け取って」
結局、シャツを一枚買うことになった。
「七海ってさ」
「何」
「妙に世話焼きだよね」
「昔からでしょ」
「そうかも」
「そうだよ」
七海は当然みたいに言って、それから少しだけ笑った。
「放っておくと変な格好で来そうだし」
「そこまで信用ない?」
「ないね」
言い切られて、少しだけ納得してしまうのが悔しい。
◇
買い物を終えて、フードコートに移動する。
飲み物だけ買って、窓際の席に座った。
夕方の光がガラス越しに差し込んで、少しだけ橙色に近づいている。
「で?」
七海がストローをくるくる回しながら言う。
「何」
「花火大会」
「うん」
「結局、何人になるの」
「四人」
「私と湊、あと白銀さんと……」
そこで七海は少しだけ考える。
「もう一人の子」
「うん」
「すごい面子だね」
「他人事みたいだね」
「半分くらい他人事だから」
さらっと言う。
「でも、ちょっと面白そう」
「みんな言うな、それ」
「実際そうでしょ」
七海は肩をすくめた。
「白銀さん、絶対分かりやすいし」
「……」
「……」
「何」
「よく見てるなって」
「見えるからね」
「そういうもの?」
「そういうもの」
そして、少しだけ真面目な声になる。
「湊」
「何」
「当日、変にぼーっとしないでよ」
「なんで」
「たぶん一番大変なの、湊だから」
「自覚はある」
「少しは?」
「かなり」
「それならいい」
七海はそう言ってジュースを一口飲んだ。
◇
そのとき、スマホが震えた。
画面を見る。
白銀さんからだった。
『なあ湊くん』
『花火大会、変な服で来たら許さんからな』
「……」
「誰?」
「白銀さん」
「何て?」
「変な服で来るなって」
七海が吹き出す。
「言うと思った」
「そんなに?」
「そんなに」
そこへ、もう一通。
『あと』
『うち、浴衣やから』
「……」
「追撃?」
「浴衣らしい」
「うわ、分かりやす」
七海は楽しそうに笑う。
「それ、完全に先手打ってるじゃん」
「そうだね」
「返さないの?」
「なんて」
「無難に」
少し考えて、『分かった』とだけ返す。
「味気ないなあ」
「何て返せばいいの」
「“楽しみにしてる”とか」
「言わないよ」
「だよね」
七海は笑ってから、テーブルに肘をついた。
「でもまあ、白銀さんそういうとこ可愛いよね」
「……」
「……」
「何」
「いや」
「七海もそういうこと言うんだなって」
「言うよ」
「可愛いものは可愛いし」
妙にあっさりしている。
「会ったことあるから、なんとなく分かるし」
「そうなんだ」
「うん。分かりやすい子は見てて飽きない」
その言い方が少しだけ意味深だった。
◇
またスマホが震えた。
今度は倉持美羅李から。
『花火大会、私も浴衣で行くね』
短い一文。
さらに、少し間を置いてもう一通。
『楽しみにしてる』
「……」
「今度は誰」
「もう一人の子」
「何て?」
「浴衣らしい」
七海が完全に笑いをこらえきれなくなる。
「やっぱり」
「何が」
「そっちもちゃんと分かってるってこと」
「何を」
「花火大会の空気」
七海はそう言ってから、ふっと目を細めた。
「大変そうだね、湊」
「今さらだな」
「うん。でもちょっと楽しみ」
「楽しみ方が悪い」
「否定はしない」
七海は飲み物を飲み干して立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「うん」
◇
駅前で別れる前。
「じゃあ当日ね」
七海が言う。
「ああ」
「遅れないでよ」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってるって」
「まあいいや」
少しだけ間を空けて、七海が続ける。
「でも」
「何」
「白銀さんが何か言ってきたら、ちゃんと拾ってあげなよ」
「なんで」
「分かりやすい子って、流されるとしょげるから」
「……」
「……」
「七海ってさ」
「何」
「やっぱりよく見てるよね」
「観察は得意だから」
ゲームみたいに言うなと思ったけど、たぶん本人の中では同じなんだろう。
「じゃあね、湊」
「ああ」
七海が去っていく。
その背中を見送ってから、俺も歩き出す。
花火大会まで、あと三日。
白銀さんは浴衣で来る。
もう一人の子――美羅李も浴衣で来る。
七海も、今日選んだ浴衣で来るはずだ。
そして俺は。
「……面倒なことになりそうだな」
小さく呟く。
でも、その面倒を少しだけ楽しみにしている自分がいた。
◇
――その夜。
家でスマホを見ていたとき、また白銀さんからメッセージが来た。
『なあ湊くん』
『花火大会、待ち合わせ何時?』
そのあと、少し間を置いてもう一通。
『ていうか』
『誰と先に会うん?』
その質問に返事を打とうとして。
俺は、少しだけ止まった。




