第九章 もう一度
研究所の最奥ホールでの戦闘は、絶望的な状況に傾いていた。
結合された究極のコアを持つ新しいアヤメは、悠也と公安のチームを凌駕していた。黒いナノマシンの触手は、避難不能な速度で空間を支配し、残された部隊員たちを次々と叩きのめしていく。
悠也は、如月会長が陣取る制御コンソールへの突進を試みたが、黒い触手の壁に阻まれ、ついに体勢を崩した。
ズブッ!
鈍い音と共に、硬質化した触手の一本が、悠也の特殊戦闘服を貫き、彼の腹部を深々と刺し抜いた。
「ぐっ……あ……!」
悠也の口から、血の塊が溢れた。彼は、触手に突き上げられ、壁に背中を打ち付けられる。激痛が全身を走り、視界が急速に白んでいく。
その瞬間、悠也の頭の中に、諦めよりも安堵に近い感情が湧き上がった。このまま死ぬのなら、それは彼女の手にかかる運命だ。
悠也は、貫かれたまま、苦痛に歪むアヤメの顔を、血走った目でまっすぐに見つめた。彼女の意識は、コアの暴走と結合の苦痛に呑まれ、もはや理性を失っている。
悠也は、力を振り絞り、掠れた声で、彼女の心に届くことを祈りながら、語りかけた。
「ア……アヤメ……」
貫かれた腹部から、彼の血が、ナノマシンの青い光を放つ触手を伝って滴り落ちる。
「きみ……にもう……いちど……会いたくて……っ」
悠也の言葉は途切れ途切れだったが、彼の魂の叫びだった。
「ここまで……来たんだ……。きみに……きみに……殺されるなら……まぁ……上出来……かな……」
彼の言葉は、彼自身の死の覚悟と、彼女への純粋な想いを込めた、究極の『愛の告白』だった。
悠也は、力尽き、頭を垂れた。
アヤメの背中から、さらに巨大で、鋭い触手が伸びる。それは、悠也の心臓を打ち砕くための、トドメの攻撃だった。触手は、悠也の胸に迫り、数センチの距離でピタリと静止した。
ウォン、ウォン、ウォン……
ホール全体を支配していた、コアの青い光が、一瞬、不規則に乱れる。
触手で貫かれたままの悠也を見つめる新しいアヤメの瞳に、激しい苦痛と混乱の色が浮かび、涙が溢れた。彼女の口から、か細い声が漏れた。
「ゆ……う……や……」
それは、五年前のルナ・コア島で、コアの暴走から解放された時に発した、彼の名を呼ぶ声だった。
悠也の決死の叫びは、七瀬博士が仕込んだ人間の心と共鳴し、ナノマシンの支配を打ち破ったのだ。
「な……何を!コアが制御を拒否しているだと!?」
如月会長は、端末を操作しながら叫んだが、もう手遅れだった。
アヤメの意識が、完全に、コアの支配を取り戻した。
彼女の背中から伸びていた黒い触手は、悠也を突き刺したまま静止し、残りの触手は一斉に方向を変えた。
バリバリバリィッ!!
触手は、如月会長が陣取る制御コンソール目掛けて、猛スピードで殺到した。
「馬鹿な!この裏切り者めが!やめろォォォ!」
会長の悲鳴は、触手が制御コンソールと、その背後に隠れていた会長の体を、容赦なくバラバラに引き裂く音にかき消された。
血と破片が飛び散り、会長の断末魔は、コアの青い光の中で一瞬で消え去った。
悠也は、腹部を貫かれたまま、意識を取り戻したアヤメの顔を、朦朧とした視界の中で見つめた。
彼女は、悠也を刺し貫いた触手を、ゆっくりと、しかし確実に、彼の腹部から引き抜いた。その触手は、まるで壊れた機械のように、力を失って床に垂れ下がる。
「悠也さん……!」
アヤメは、流血し、崩れ落ちる悠也を抱きとめた。彼女の瞳には、かつてルナ・コア島で見た、優しさと悲しみが混じり合った、あの時の光が宿っていた。




