第五章 痕跡
地下深くの通路は、激戦の痕をそのまま留めていた。
粘りつく黒い生体組織は、道警の支援チームと公安のメンバーが放った榴弾と焼夷弾によって焼け焦げ、腐臭と焦げ付いた薬品の臭いが充満していた。悠也のチームは、何人もの仲間を失いながらも、そのおぞましい防衛ラインを突破した。
「班長、応答してください!他のチームはほぼ壊滅です……。目標エリアへは、我々ともう一チームしか到達できません」
悠也は、耳元のマイクから聞こえる悲痛な報告に無言で応じた。彼の特殊戦闘服の表面も、黒い体液で汚れ、いくつもの切り傷が走っている。
しかし、立ち止まることは許されない。この犠牲は、アヤメを救い出すための最後の投資だ。
悠也が先頭に立ち、最後に残された重厚な隔壁を、プラスチック爆薬で吹き飛ばした。
爆発の煙が晴れると、そこには広大な地下ホールが広がっていた。
それは、ルナ・コア島の最下層ホールを彷彿とさせる、巨大な空間だった。しかし、予想していた稼働音や、人影は一切ない。
静寂。
その静寂は、地下の研究所にあるまじき、不気味なものだった。
「……制圧完了。敵影なし」
公安の特殊部隊員が、警戒態勢を解除して報告する。
悠也は、そのホールの光景を見て、絶望的な既視感に襲われた。
ホールの中央には、制御コンソールが引き剥がされた痕がある。ケーブルは無残に引きちぎられ、床には重い機材を運び出した際のキャタピラの油跡が鮮明に残っていた。研究員や、黒いセダンに乗せられたアヤメの姿は、どこにもなかった。
悠也は、ホールの隅に積み上げられた残骸へと近づいた。それは、海の底に沈んだはずのルナ・コア島の機材の一部だった。
海水と泥にまみれた制御ユニット、そして、ナノマシン適合体を収容していたと思われる、破損したガラスカプセルの残骸。
「彼らは、ここを中継地点として使ったんだ……」
悠也は、床に散乱した書類の破片を拾い上げた。それは、適合体の生体データを記したもののようだが、重要部分はすでに焼き捨てられている。
「ルナ・コアの残骸を深海調査船で引き上げ、この博士の旧研究所で急速に再構築し、適合者を目覚めさせようとした。だが、我々が動く前に、再び全てを運び出した」
悠也は、悔しさに拳を強く握りしめた。ニャルラトホテプの言った通り、制限時間は短く設定されており、彼らはまたしても一歩遅れた。この血塗られた強制捜査は、完全に空振りだった。
その時、部下がホールの最も奥まった壁際を指差した。
「七瀬班長。これを見てください」
壁には、新しく設置されたと思われる、数本の太いケーブルが走っていた。ケーブルの先には、最新鋭の送電ユニットが接続されている。
それは、この廃研究所に緊急で大電力を供給するために設置されたものだった。
「この電力を必要とするのは……コアの最終起動シークエンスか」
悠也は、冷静に状況を分析した。如月残党は、アヤメを次の場所へ移動させる前に、ここで何らかの最終的な準備を完了させたのだ。
「ターゲットは、この北海道から遠く離れた場所へ移動した。この送電ユニットの最終接続先を追え。今度は、二度と追跡を振り切らせない」
悠也は、亡くなった仲間たちの名を心の中で呼び、新たな追跡へと決意を固めた。この地で残された痕跡は、彼らにとって、失われた少女の命を繋ぐ唯一の手がかりとなった。




