第三章 再会
追跡失敗から十二時間後。
悠也は公安部の極秘部署の会議室で、冷たいコーヒーを前に腕を組んでいた。
捜索は完全に失敗し、アヤメの面影を持つ少女は如月残党に連れ去られた。
「七瀬班長。監視カメラと交通ログを全てチェックしましたが、目標車両は完全に都心のネットワークから消えました。プロの仕事です」
情報分析官の一人が報告した。
悠也は冷静に問うた。
「彼女は、どこへ連れて行かれた?
如月残党が求めるのは、人目のない実験場だ」
その言葉に、主任解析官が、ハッとしたように顔を上げた。
「班長!不審な深海調査船の情報と、その後の航路を追跡したところ、船は昨日未明、北海道の函館湾に面した小さな港に寄港しています。そして、その港から車で一時間の山間部に、如月テクノロジーズが十五年前に閉鎖したとされる、研究所の跡地があります。当時の資料によると、電力供給インフラはセントラルタワーと同系統を備えています」
悠也の目が鋭く光った。
黒いセダン、深海調査船、そして北海道の研究所跡地。すべてが、新たな実験場への連行を示していた。
「作戦を変更する。我々は、今すぐ北海道へ飛ぶ。七瀬賢人博士の残した技術が、再び悪用される前に、必ずその研究所を叩く」
悠也は、この場で結論を出し、夜明け前の出発に向けて準備を整えるため、重い資料バッグを肩にかけて警察庁のビルを出た。
深夜、悠也は仕事を終え、ビルの外壁沿いの暗い通路を歩いていた。
通路の角の、自動販売機の明かりが届かない影。そこに、一人の少年が立っていた。制服のような奇妙な衣服を身に纏い、十代前半に見えるが、その異様な存在感は周囲の空気を支配している。
悠也は、その雰囲気に、本能的な緊張を覚えた。
彼の脳裏に、数年前に地下のホールで見た、あの不気味なニコニコとした笑顔がフラッシュバックする。
「……ニャルラトホテプ」
悠也は、思わずその名を口にした。ニャルラトホテプは、悠也に気づくと、ゆっくりと影から一歩踏み出した。
少年の顔つきで、口元は僅かに緩み、常にニコニコとした笑みを浮かべている。
「ハハハ、七瀬のお兄さん。随分と出世したんだね。君の新しいアヤメを見送りにね」
悠也は怒りを抑えられなかった。
「ふざけるな、また犠牲者を出すつもりか」
「犠牲者?違うよ、お兄さん。
彼女は、最高の舞台装置だ。そして、君が僕の新しいゲームの主役なんだ」
ニャルラトホテプは、楽しげに笑った。
「北海道の寒冷地研究施設。素晴らしいチョイスだね。君の七瀬博士が、初めてナノマシンの基礎研究を始めた、あの場所だよ」
彼の言葉は、悠也の追跡が正しいことを裏付けた。
ニャルラトホテプは、悠也の顔をじっと見つめ、その不気味な笑顔をさらに深くした。
「さあ、急ぎなよ。制限時間は、短く設定してある。君の新しいアヤメが、もうすぐ目覚めてしまうよ」
そう言い終わると、ニャルラトホテプの姿は、まるで煙のように、影の中に溶け込んでいった。
悠也は、その場に立ち尽くし、全身の震えを抑えた。
北海道へ。全ての始まりの地へ。彼の使命は、ニャルラトホテプの新たなゲームを終わらせ、アヤメの面影を持つ少女を、今度こそ守り抜くことだった。




