63. ティボー家の人々……って、誰?それ?
マルタン・デュ・ガールの長編小説は、全く関係ありません。
最初「黒伯爵の善行」って硬いサブタイトルが付いていたのですが、面白くないので変えたら、なんだかデュ・ガールの熱烈な愛読者様からお叱りが来そうなタイトルになってしまった(←ごめんなさい)
空腹が満たされると幼い弟妹たちは、一気に眠気に襲われたようです。無理もありませんわね、家に賊が押し掛け怖い思いをした後に、ホルベイン村からこの南ターレンヌのレンブラント館まで、ハラハラドキドキで長旅をしてきたのですもの。
兄妹の中で一番年上であるパトリスだって、うつらうつらし始めているくらいですから。その様子に、母がモリスに退席を願い出ました。
「ああ、もうそんな時間でしたね。楽しいひとときがうれしくて引き留めてしまいましたが、構いませんよ。どうぞ」
「失礼いたしますわ、モリス様」
母は丁寧に膝折礼をすると、食後のデザートに顔からダイブしそうな末の妹を抱きかかえ、その上の弟の手を引いて、部屋を出ていこうとします。
父はまだワインを飲み足りないような顔をしておりましたが、お母様が場の空気を察して、父にも退席を促しました。自分の隣で半分夢の世界の住人になりかけている息子を立ち上がらせ、親子でボウアンドスクレープという右足を引き、右手を身体に添え、左手を横方向へ水平に差し出すようにする最上級のお辞儀を披露して退席していきました。モリスへの有らん限りの感謝の気持ちを伝えたかったのでしょうね。
父は酔いが回って足がふらついているのに、お辞儀は落ち着いて流れるような動きで、礼儀正しいものになっておりましたもの。
「エム。今宵は少し酔いました。あなたは、酔い覚ましに付き合ってくださいませんか」
「よろしいですわ」
「せっかく庭師が丹精込めて咲かせてくれた薔薇園のばらが全部散ってしまわないうちに、あなたとゆっくり眺めて見たいと思っていたのです」
「月明かりを浴びたばらも、きっと美しいことでしょうね」
窓の外には天上の満月。黄金色に輝く、高貴な姿を現していました。雲間に見えたり隠れたり、意のままにならない麗姿は、彼の髪の色とも相まってどことなくモリスと似ているような気がします。
差し出されたモリスの右手にそっと手を重ね、導かれるままに食堂を抜け、ご自慢の薔薇園へとゆっくりと歩み出します。こうしていると衣擦れの音さえ、楽しく聴こえるのはなぜでしょう。以前はスカートを上手く捌けなくてつい俯き加減になったり、裾を踏んでしまいそうになったりしましたが、練習の甲斐と慣れもあり、貴婦人らしく歩けるようになりましたでしょう。
「ええ。見違えるほど、洗練された足取りになりましたね」
多少のお世辞も入っているとは思いますが、一応及第点はいただけたようですわね。お顔が優しくなりましたもの。うふふ。
薔薇園へと向かう道すがら、彼は相談があると言い出しました。
「まあ、酔っているのに?」
「大丈夫ですよ、このくらいならば『酔った』の内には入りませんから」
酔い覚ましに付き合ってくれと言った舌の根も乾かぬうちに、大胆なことをおっしゃる。
確かに彼の足取りもしっかりしておりますし、エスコートも完璧ですし。『酔った』ふりをなさっていたのね、困った方。
「ホルベイン家の方々の、今後の身の振り方について、あなたにも承諾していただきたいことがあります。あの方々を、ジョリイ伯爵領であるホルベイン村には戻せません。あの場所にいる限り、ホルベイン卿は、ジョリイ伯爵の無理押しを利かざるを得ないでしょう。それはエムも同様です。愛する家族を質に捕られたら、いくら強気のあなたでも心が揺れるのは当然です。特に絆の深い、あなた方家族にとっては」
これはうなずくしかありません。だって、実際そうだったのですもの。
薔薇園の中央を横切るように屋根付きの歩廊が延びています。この歩廊はその先にある小さな離れの館まで続いているのですが、その途中の――ちょうど歩廊の中ほどまで来たあたりの柱と柱を繋ぐ低い手摺りに腰かけました。
しかもその場所は薔薇園のど真ん中にあたりますので、四方を初夏の薄闇にほんのり浮かぶ薔薇に囲まれ、夜気に漂う気品ある香りに包まれるのでした。
「我が妻が、そのことで心を痛め続けるのは非常に不本意です。ヨラ侯爵の寄子の身分であるジョリイ伯爵ごときに、レンブラント侯爵夫人が悩みを抱えるなど」
「でも。どうなさるおつもりですの?」
ん? どうして、今、モリスは回りくどい言い方をしたのかしら?ヨラ侯爵の寄子の身分であるジョリイ伯爵――なんて。単に、ジョリイ伯爵ごとき――でよかったのに。
あら、それも偉っそーに(本当にモリスの方が偉いんですけどね)上から目線か。
あ!そうか。ホルベイン家がジョリイ伯爵家の命を利かなければいけないように、ジョリイ伯爵も寄親のヨラ侯爵の言う事は絶対なのね。……ってことは、今回の一連の事件もそのあたりから発生しているということ?
私の顔色をじっと見ていたモリスが、ニマリと笑いました。
「察しのよい妻で助かりますよ。それでなくても我が家とヨラ侯爵家とは、因縁の仲ですから」
「そんなに深い因縁ですの?」
「それは追々お教えいたしましょう。美しい月の夜なのですから、その話はしたくありません。咲くばらの美しさが半減してしまいます」
そんなに、酷いんかい!?
そこまで言われると、かえって興味が湧いちゃうんですけれど。でもモリスとの夜を台無しにするのはイヤだから、ここは譲りましょう。
「それで、どうなさるおつもりですの。ホルベインの父や母、弟妹達を」
「先日の手紙でお伝えしたカステ領デイラン州のこと、覚えていらっしゃいますか?」
ええ、覚えていますとも。尼僧アイリスもデイラン州に行くとか言っていたわよね。あ、つまらないこと思い出しちゃった。高揚していた気分が幾分沈んでしまったので、夜風に漂うばらの香りを楽しんでいるふりをして、身体を少しだけモリスの方へと傾けます。
「デイランは小さな地方都市ですが、静かで気候も穏やか、緑溢れる整備された美しい街です。先々代の国王の姫君が設立した格式の高い女子修道院もあり、隣国へ続く街道も通っていることから、規模は小さいながらも美しい街並みが印象的で、治安も良く豊かな街ですよ。最近までこの街を管理してたトゥール子爵が亡くなり、世継ぎもいないことから、統治者不在で困っていて……」
「お手紙にも、そうありましたわね」
「ホルベイン家の皆様には、そこへ移っていただこうかと思います」
――え!?
「お待ちになって、モリス! ホルベイン村は、陛下からお預かりした我が家の領地ですのよ。モリスの領地に比べたら、ちっぽけで貧しくて取るに足らないものかもしれませんが、それでも大切な場所なのです! 第一、陛下の許可なしに勝手に離れるわけにはいきませんわ!」
「ですがこのままホルベイン村に居られては、今回のような大事が起きても救出するのが難しい。今回は駆け付けるのに間に合いましたから良かったようなものの、ヨラ侯爵の領地に何度も無断で脚を踏み入れて、干渉していたら問題になります。だからといってエムの家族の危機を、放置できない」
それはわかりますわ。でも……、でも、ホルベイン村は、私の故郷なのです。家族と共に、そこで暮らす村人達も全てひっくるめて私の故郷なのです。
「ええ。けれどホルベイン家の方々があそこに居を構える以上、今後も私とヨラ侯爵家の間にトラブルが発生したら、ホルベイン家は窮地に立たされるでしょう。それが元で、村人にも危害が及ばないとは言い切れませんよ。それこそ、領主でもない私にはなにもできません」
「ならば、村へ帰ります!エムリーヌ・ホルベインとして。それなら構わないでしょう!」
「ダメですよ。あなたは、もう、ガランダッシュ令嬢で、レンブラント侯爵の妻となる人なのですから。あなたはホルベイン家の娘に戻ったつもりでも、ヨラ侯爵も世間も、そうみなさないでしょう」
モリスは私の手を握り、じっと目を合わせたまま、諭すような口振りでそう言うのです。
「エムとあなたの家族を、つまらない政治の争いごとに巻き込んでしまい大変申し訳なく思いますが、すでに事態は後戻りできないところまで進んでしまいました」
上級貴族のレンブラント侯爵と結婚するということは、こういうことでもあるのね。でもレンブラント侯爵夫人は、大切な故郷を守ることさえできないの?
「そこで提案です。パトリス殿にトゥール子爵家を継いでいただき、ご一家でデイランにお移りいただこうかと考えております。トゥール子爵家の遠い親戚のティボー家の方々として」
なるほど。デイランならばモリスの領地ですから、彼の庇護下に入ります。ヨラ侯爵領からも離れますから、家族に危害を加え難い。当然、村人たちにまで被害が拡大することも無いわよね。名も替え、別人として暮らせという事ね。慣れ親しんだ村人たちと離れてしまうのは悲しいけれど。
けれど、そんなことが可能なの?陛下の許可が必要なのでは?第一、父が納得する?
「こう見えてもわたしは侯爵ですし、次期宰相と目されている人物ですよ。陛下は説き伏せましょう。そのくらいはわたしの微力でも可能ですよ。それに現宰相閣下もお味方ですからね」
そうだわ、モリスって、なにげに凄い後ろ盾が付いているのだった。
でもね、国王陛下を説き伏せるのは絶対「微力」ではないと思いますわ。しかも「可能だ」と言い切りましたよね。偉そうに。
待って待って。モリスはジョリイ伯爵領ホルベイン村から、ホルベイン男爵一家を連れてきちゃったけれど、それって領民の強奪とか誘拐にならない? 当然ジョリイ伯爵の許しがあるわけではないだろうし、ヨラ侯爵が許可をしたわけでもないでしょうから。
法律で、領主の許しなく領民が土地を離れ、移動することは罰せられる。他領の民を、許可なく勝手に自領に招き入れるのも禁止されている。
いくら後ろ盾が付いているからって、これはマズいのでは?
「ええ、そうです。バレたらわたしも逮捕されますね。いっそ、人身売買組織から買い取ったとでも言い訳をしましょうか? わたしには『子供を買う黒伯爵』と良からぬ噂もありましたから、信ぴょう性は十分あります。妻の家族を組織から買ったくらい、『さもありなん』と皆うなずくのでは」
「やっぱり酔っていらっしゃるのね。笑い事ではありませんわ、モリス」
さもありなん、ではありません! 黒い噂は方便であって、もう必要ないでしょ。これ以上あなたに支障があっては困ります。
救出劇の際にはリヨンに変装していたとはいえ、ちょっと調べればその若い家令がレンブラント家に縁のある者だとか、実はレンブラント侯爵が変装していた姿だったのだとかは簡単にバレてしまうでしょう。
第一、その人身売買組織をぶっ潰そうとしているのは、あなたと養父上ではありませんの!
万が一にも今回のことがバレようものなら、おふたりの凋落を狙う輩にとっては、格好の攻撃材料とされてしまうのではありませんか。
「そんなことになったら、イヤです!」
「ご家族に再会できて喜ぶエムには申し訳ないですが、早々にホルベイン家の方々には、目的地へと旅立っていただかねばなりません。許してくださいね」
許すもなにも!危険な橋を渡って家族を救出してくださったあなたに、どれだけお礼を言えばよいのでしょう。
うれしいやら、悲しいやら。戯れ言で重大事を曖昧にしようとするモリスへの怒りや、感謝も。感情が乱高下して、どんな表情をしてよいのかわかりません。脳が感情を処理しきれなくて、涙が出てきちゃう。彼の胸に飛び込むと、大きな暖かい手が優しく肩を抱いてくれました。
「それと。家督はパトリス殿に譲っていただき、マチアス殿には隠居していただきます――と言っても、パトリス殿はまだ13歳ですし治世者としての経験がありませんから、しばらくは後見として世話を焼いていただく必要がありますが」
マチアスは父のファーストネーム。マチアス・ギャストン・ホルベイン男爵が、父のフルネームでした。これからはマチアス・ギャストン・ティボーでしたわね。
「大変申し訳ないのですが、パトリス殿の地位が固まるまで、ホルベイン男爵家は表向きには行方不明になっていただきます」
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
ようやく、ようやく、ラストが見えて参りました!
今回と次回は、物語に終止符を(無理矢理)つけるための会話劇になるので、アクションは少なめで、文字は多目となっております。
終わるよ、終わらせるよ、エンドマーク付けられそうだよ!!
♪⁽⁽ ◝( *˃̶͈̀ᗜ˂̶͈́)◟ (ว¯ᗜ¯)ง (ง*˃̶͈̀ᗜ˂̶͈́)ว♪





