62. 王子宮の小さな妖精とメイド ☆
子供たちの旺盛な食欲をよそに、大人たちの会話は物騒な内容になってきました。
「実際に、食事に出たワインのグラスに、あの粉が入っていたのです。ところが手違いが起きて、わたしが受け取る前に別の者が飲んでしまった」
誰がグラスに仕込んだのか、なぜ手違いが起きたのかは、わかっていないそうです。ナムーラ隊長麾下の諜報部隊が調査してもわからないのですから、これは迷宮入りの謎になる可能性大ですわね。
その前に、あなたが口にしていたら大惨事でしたのよ。わかっています、モリス?
おかげで毒入りワインを飲まずに済んだのですが。彼の悪運の強さに乾杯したいくらい。
「そうれ、見ろ!神に愛された者は、神がお守りくださるのさ。レンブラント侯爵様には災難は近づけないようになっておられる」
父は自慢げに申しますが、居合わせた運の悪い者が犠牲者となったということですね。可哀そうに。母も犠牲者を悼んで、手にしていたフォークを置き、そっと目を伏せました。
「その光景を見た者たちは、震撼しました。出陣前です。兵に動揺が広がるのを恐れて、その一件は箝口令が敷かれました」
元女騎士の私が付けたし説明をいたしますと、モリスは第17次戦役ではクレルフォン軍の副司令官ですから、上官用の天幕で、その他の一般兵士たちとは別に食事を取っていたはずです。だから一般兵はその場面を直接目撃しておらず、その場に居合わせたのは上官の給仕を受け持つ見習い騎士や上官付きの侍従たちであって、彼らに事件を漏らさぬように厳命したのでしょう。
ところが、そうはいかなかった。
「お偉い方々はのん気でいかん! こんなスキャンダラスな事件に箝口令など有って無きが如し、ですよ」
どうやら、その事件はクレルフォン陣営に広まってしまったようですね。正規の軍人さえ、止められなかったのですもの。雑兵は、ほとんど農民ですからね。寄せ集めの集団に、命令系統なんてものは機能しません。
それでなくとも面白いもの、興味を引くものを見つけたら、人の口に戸を立てることなんてできませんでしょ。ましてや、暗殺未遂なんてビッグニュースを黙ってなどいられない。吾先に、自慢げに、話したくなるに違いありません。
戦場には娯楽がありません。こういった噂話は、恰好の憂さ晴らしの材料。ホントかウソかなんてどっちでも良いのです。その場が盛り上がるのならば!
お恥ずかしながら私の前職場でも、その手の話題は恐ろしいほど盛り上がりました。タビロ辺境騎士団という、国内外にその名を轟かす立派な部署ではありましたが。
で、口から口へ伝わるうちに、だんだん話は誇張されていくのね。なぁ~んたって、黒い噂のある伯爵サマ(当時)ですもん。その辺は、いくらでも盛れたでしょ。(私のこの解説も不適切ですが……)
上層部の不安は本物になり、レンブラント伯爵の暗殺未遂事件は、興味と恐怖を持ってクレルフォン軍内に流布しました。
動揺に揺れるクレルフォン軍の士気を高めるため、総司令官のヨラ侯爵が酒宴を開いたのだそうです。気前よく酒を振舞ったのだそうですが、開戦前に酔っ払い増産してどうすんの?兵隊なんて、ただ酒は底なしで飲むんだからね。警戒が薄れたところをセルテ軍に襲われたらどうするつもりだったのだろう、総司令官殿は。
「ええ。なので、レンブラント騎士団を警備に立てました。皆が酒を飲んでいるときに、彼らだけ警備任務に就けるのは心苦しくもありましたが、敵襲があればそんなことも言っていられませんし」
さすがですわ、モリス。
その宴が始まる前に、ジョリイ伯爵が父に近づき、モリス暗殺の手際の確認に来たのだとか。毒殺に失敗したので、本格的に誤認殺人に舵を切り替えてきたのでしょうね。
しかしその仕掛け人に父を指名したところで、この暗殺計画は頓挫したと思えるのは、私だけ?
「儂の場合、故郷の家族や領民を質に取られているようなもんだからな。モリスさまに恨みはなくとも、やらんわけにはいかん。しかし、儂としてはこのお方を殺したくはなかったので、どうしてもそう出来んような状況を作ってしまおうかと考えて……」
「ま、まさかとは思いますけれど、それでお父様は宴席で酔って大立ち回りを演じたとか、言いませんよね!」
照れ隠しのつもりなのか、父は急に大声で笑いだすものですから、それが正解なのでしょう。お父様の思考ったら、どうして、そう極端から極端へと走るのかしら?
仕掛け人がケガをしたら、計画中止になるとでも?
別の殺し屋雇うとかするかもしれないじゃーん!!
やっぱり、絶ーッ対、ジョリイ伯爵は人選ミスをしたと思う! 娘としてはフクザツな気持ちだけど……なことより、私の横で、母のまなじりがキリリと吊り上がりました。あ、これ、ヤバい!母の周りの空気が冷たくなった!
「だからって、お父様が大ケガをする必要があったのですか!?」
「いやな、もうちょっと穏便に済ませるつもりだったんだが、その喧嘩を吹っかけた相手が悪かったんだ」
ええ、ええ。
ヨラ侯爵の派閥の下級貴族で、賠償金吹っ掛けてきた、あのガラと根性の悪い子爵様でしょう。
互いに酒が入っていたこともあり、さらにギャラリーの無責任な囃子に乗って、エキサイトしすぎちゃったんだとか。あんたらふたり、子供かよ!
「あなた。あれほど私が酒の飲み過ぎには気をつけてくださいと申しましたのに……」
「すまん、ヨランダ」
「モリス様を暗殺からお救いしようとしたのはご立派ですけれど、もう少し後先を考えて行動していただかないと、周りの者が迷惑をこうむるのですわ」
「お父様の無茶のおかげで、そのあと我が家は大変なことになったのよ!お母様のご苦労をお考えになりましたの?」
母と娘から総スカンを喰らうホルベイン家当主に、意外なところから助け舟が出されました。
「お許しを、マダム。エム。私が仲裁に入れたら、あんな大事にはならなかったのですが。あの時、ダーナー隊長からセルテの間者を捕まえた、と知らせが入ったのです。それで席を外したところで、大立ち回りが始まってしまった。私が戻って来た時には、男爵は負傷を負っていたのです」
「あなたが悪いのではありませんわ、モリス」
リラックスしているのか椅子に深く座り、長い脚を優雅に組んで、軽く肘掛けにもたれながらワイングラスを傾けるモリス。めっちゃ絵になっています。このまま絵に残したい。
テーブルに並ぶ燭台の灯りが照らし出す、どこか幻想のようなあなたの姿を見て、「おまえも悪い」と言える強者はそうそう存在しないと思いますわよ。母も戸惑っておりますもの。
そんな母を見つめていたモリスの口から、意外な質問が。
「マダム。もしや過去に宮廷へ出仕しておりませんでしたか?」
突然話を切り替えてきたモリスに、母は大層驚いています。っていうか、娘も。おかげでさっきまで「ぷんすかぷん!」だった怒りがどこかへ飛んで行っちゃった。
「まあ。モリス様が、私のような者を覚えていてくださったとは。はい、女官長様の下で下働きの女中をしていた時期がございます。もう何十年も前のことですのに、よくまぁ覚えていらっしゃいましたこと!」
「国王陛下と私たち少年侍従が、王子宮で悪戯をしまくっていた頃、私たち悪童の面倒を見てくれた、カラメル色の髪の若い女中の名前が『ヨランダ』であったことを思い出しました。あの頃の私はまだとても幼く、両親から引き離されて王子宮に入ったばかりで、寂しくて始終泣いていた私をこっそり慰めてくれたでしょう」
母は准男爵の娘なので、王宮での身分は平民扱い。宮廷に出仕できるのは伯爵家以上の身分が必須なので、身分の高い方々をお世話する侍女にはなれません。雑用係の女中がせいぜいでしょう。かく云う私だって、男爵令嬢のままでは女中です。
王妃様にお話し相手としてお仕えするには、ガランダッシュ侯爵令嬢の身分が必要なのです。宮廷は身分社会ですからね。相応の身分がなければ、王妃様に近づくことさえできません。宰相閣下が私を養女にしたのは、そういう事情もあるのです。
「ええ、ええ。あの頃のモリスさまは、控えめに申し上げても妖精の子か天使のようなお姿で――」
え!? お母様ったらそんなオイシイ姿のモリスを知っているの?そんなこと、一言も聞いていないわよ!っていうか、王宮にいたことがあるなんて話も、聞いてなーい!
モリスの子供時代、見てみたいわ。絶対天使よ!
「あのお小さかったモリスさまが、宮廷中の貴婦人を騒がせる貴公子に成長して、娘に求婚してくるなんて考えてもみませんでしたわ」
いたずらっぽく笑う母は、記憶の中で王宮の女中をしていた頃に戻っているのでしょう。モリスも照れたように笑っています。
「では、モリスは私がお母様の娘だから求婚なさったの?」
「いいえ、それは偶然です。王子宮から急に消えてしまったヨランダのことは、すっかり忘れていましたから。つい先ほど、ですよ。気づいたのは」
そう言ってにっこり笑ってくださる笑顔は、例え黒い仮面でお顔の半分が隠れていたとしても天使か妖精王のようですけれど。うふふ。
性格に多少の不平不満があろうともその笑顔を見せてくださるのなら、私の中では、もうモリスしか勝たん!
「では、どうして私に求婚なさったの?ずっと疑問でしたのよ」
「男爵ですよ。ホルベイン卿があなたをずっと自慢していたので、どんなご令嬢なのかと気になっていたのです」
お父様が?
「えーー! 儂かぁぁぁぁ!!」
肉桂入り甘葡萄酒を吹き出しそうな勢いで、父が大声を出すものですから、横に座っていたパトリスが驚いて、びくりと飛び上がりました。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
エム母の意外な過去が判明。
予定ではミレジーム伯爵夫人の侍女の女中だったのですが、書き始めてから計算が合わないことに気が付き慌てて変更。算数ができない加純さんです。お母様が口酸っぱくエムの「言葉づかい」を注意していたのは、おそらく自分が宮廷勤めをしていた時に、それで苦労したからではないでしょうか。
幕間にご出演いただいた国王陛下や王妃様が飲み物にやたら神経質になっていたのは、この事件が影響しているのでしょうね。あ~、いくつか伏線回収完了。あと、いくつ残っている?
次回もお楽しみに!





