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エピローグ=影の底-第4話「観測者」

◆エピローグ=影の底-第4話「観測者」

杉山は眼鏡をかけていて、左利きだった。

ぼくの世界の杉山とは、明らかに違う。

でも、彼はぼくの話を黙って聞いてくれた。

ぼくが口にする支離滅裂な言葉を否定しなかった。

ぼくが目の前の現実を指して「違う」と言えば、「そうか」とだけ、短く返してくれた。

それだけじゃなかった。

杉山は、ぼくが時々“ずれる”ことに気づいていた。

ぼくの言い回しが急に変わったり、覚えているはずのない出来事を知っていたり、逆に、この世界での当たり前を知らなかったり。

そういう、小さな違和感を、杉山は見逃していなかった。

普通なら、気味悪がられるはずだった。

距離を置かれてもおかしくなかった。

でも杉山は、決してそうしなかった。

むしろ、ぼくが何かを言いかけて、説明のつかない矛盾に言葉を詰まらせると、「言いにくいなら、別に言わなくていいぞ」と、軽く言ってくれた。

その言い方が、ぼくの世界の杉山と全く同じで、でも、今のぼくにはすごく優しく感じられた。

あるとき、ぼくが「前の世界では」と言いかけて、慌てて口を噤んだとき、杉山はほんの一瞬だけ、眼鏡の奥の目を細めて、「また、違うやつか?」と呟いた。

冗談みたいに聞こえたけれど、その低く落ち着いた声には、単なる冗談だけではない、確信に近い何かが含まれていた。

ぼくが否定も肯定もできずに黙り込んでも、杉山はそれ以上、何も聞かなかった。

無理に追及もしなかった。

ただ、ぼくの歩く速度に合わせて、隣を歩き続けてくれた。

その横顔を見て、杉山はたぶん、ぼくが“入れ替わっている”ことを、ほとんど理解しているんだと、思った。

論理的に説明はできなくても、目の前にいるぼくが「以前のぼく」ではないことを察知している。

そして、それを理解したうえで、「まあ、そういうこともあるか」くらいの静かな温度で、すべてを受け入れている。

ぼくがどの世界から来たぼくであっても、杉山にとっては、今隣にいるこの“ぼく”が“ぼく”であり、それ以上でも以下でもない。

ぼくが急にこの世界には存在しない記憶を話しても、「前のやつの記憶か?」と、まるで昨日のテレビの話でもするように軽く流す。

ぼくがこの世界の常識を知らなくても、「おまえ、たまに抜けてるよな」と笑って済ませる。

ぼくが“この世界のぼく”ではないことを、杉山はほぼ分かっている。

でも、それを問題にしない。

ぼくがどの世界のどの欠片であっても、杉山は変わらずぼくを親友として扱ってくれる。

ぼくが黙っていても、ぼくが話しすぎても、ぼくが不安に耐えかねて急に立ち止まっても。

杉山は「どうした」とだけ言って、決してぼくの境界線の中に土足で踏み込んではこない。

必要なときだけ、必要な分だけ、杉山はぼくの隣にいてくれる。

ぼくが世界を渡ってきたという異常な事実を、杉山はたぶん、完全には理解していないだろう。

でも、理解しようとしなくても、ぼくが“違う”ことだけははっきりと分かっている。

そして、その決定的な“違い”ごと、ぼくをこの世界に繋ぎ止めている。

混ざり合い、溶けかかっていたぼくの輪郭は、杉山という静かな観測者の視線にさらされることで、ようやく形を保つことができていた。

ぼくが「ここじゃない」と言えば、「じゃあ、どこなんだよ」と返す。

ぼくが答えられずに俯いても、「まあ、いいけどさ」と笑う。

その笑い方が、ぼくの世界の杉山と同じで、でも、深い受容に満ちていた。

ぼくがどの世界のぼくであっても、杉山はぼくを親友として扱ってくれる。

ぼくが入れ替わっていることを知っていて、それでも、ぼくの手を放さない。

ぼくが“ぼく”である限り、杉山は“杉山”でいてくれる。

その揺るぎない事実だけが、ぼくに「この世界も、それほど悪くはないのかもしれない」と思わせてくれた。


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