第3章=収束-11話「差異」
◆第3章=収束-11話「差異」
落ちた。
その感覚だけが、まずあった。
目を開けた瞬間、呼吸は乱れていなかった。
胸の奥が静かに上下しているのが分かる。地面の感触も、光の強さも、どこかで知っているものだった。
——近い。
そう思った。
けれど、その直前の記憶が、まだ胸の奥に残っていた。
押し出される直前の、あの沈むような感覚。
教授の声。
杉山の沈黙。
あれがまだ体のどこかに貼りついている。
「おい、大丈夫か」
声が落ちてきた。
杉山が覗き込んでいた。影が揺れ、光がその輪郭を縁取る。
その顔を見た瞬間、胸が少しだけ緩んだ。
——杉山だ。
ほぼ一致している。
「……眼鏡?」
思わず口に出ていた。
杉山は眉をひそめる。
「は? 前からだろ。何言ってんだよ」
自然すぎる返しだった。
その自然さが、逆に不自然だった。
ぼくの知っている杉山の“自然”と、ほんのわずかに噛み合わない。
さらに気づく。
杉山の手元に吸い寄せられた。
左手で器用にペンを回した。
「……左利き?」
「お前、ほんとどうしたんだよ。オレずっと左だって」
ぼくは返事ができなかった。
でも、“杉山がいる”という事実だけで、胸の奥が少し落ち着いた。
押し出されるたびに、何かが欠けたり、増えたり、歪んだりする。
その中で、杉山が“ほぼ”同じでいてくれることは、それだけで支えになった。
「碧はどうなってる?」
押し出された直後、真っ先に頭に浮かんだ言葉だった。
ぼくの世界の碧は生きていた。
前の世界の碧も、生きていた。
その“生きている”という事実だけが、ぼくをつなぎ止めていた。
「……碧って、今日いるよな」
ぼくが言うと、杉山は怪訝そうに眉を寄せた。
「いるだろ。いつも通りだよ」
その“いつも通り”が、逆に安心をくれた。
胸の奥が、ゆっくりと温度を取り戻す。
——杉山も、碧も“いる”。
なら、——守埜は?
その名前を思い浮かべた瞬間、胸の奥がざわついた。
前の世界では、守埜は病気で亡くなっていた。
ぼくの言葉とは無関係に。
その無関係さが、逆に胸を空洞にした。
この世界ではどうなのか。
ぼくの言葉は、どんな重さを持っているのか。
ぼく自身は、どんな存在として扱われているのか。
ぼくは息を整えた。
守埜の名前を出す前に、胸の奥の揺れを一度押し込むように。
——聞かなければならない。
ここがどれだけ“近い”世界でも、守埜の位置が違えば、それはもうぼくの世界ではない。
ぼくはゆっくり口を開いた。
「……なあ、杉山。守埜のことなんだけど」
その言葉が空気に落ちた瞬間、杉山の表情がわずかに変わった。
驚きでも困惑でもなく、
“ああ、そこに触れるのか”
という、半分だけ理解しているような顔。
胸の奥が、またひとつ沈んだ。
——ここも、やっぱり“ぼくの世界”じゃない。
その確信が、静かに形を取り始めていた。




