第3章=収束-第7話「希求」
◆第3章=収束-第7話「希求」
研究室に戻らなければいけない、
そう思ったのは、理由があったわけじゃない。
ただ、
——確かめないといけない。
その感覚だけが、胸の奥で静かに膨らんでいた。
世界は落ち着いているように見えた。
音も遅れず、影も揺れない。
歩くたびに、足音がきちんと地面に触れている。
それでも、ぼくの中のどこかが、わずかに浮いていた。
杉山は隣を歩いていた。
いつも通りの歩き方で、いつも通りの距離。
でも、ぼくの言葉より半拍だけ早く返事をする。
「……大丈夫か」
「うん」
その“うん”が、ぼくの口から出る前に、杉山の表情がそれを受け取っていた。
噛み合っているのに、噛み合っていない。
そんな感覚が、足元に薄く積もっていく。
研究室の前に立つ。
扉の前の空気は、前と同じだった。
温度も、光も、匂いも。
ノックをすると、すぐに返事があった。
扉を開けると、教授は机から顔を上げた。
ぼくらを見る前に、静かに言った。
「待っていたよ」
その言い方は、前と同じだった。
でも、前よりも“確信”があった。
ぼくは部屋に入る。
杉山も続く。
教授は本を閉じた。
その動きが、やけにゆっくりに見えた。
「……聞きたいことがあるんだろう?」
ぼくは頷いた。
言葉にする前に、教授は続けた。
「守埜君のことだね」
胸の奥がわずかに揺れた。
「会ったんです。でも、この世界の守埜は……」
教授はぼくの言葉を遮らなかった。
ただ、静かに聞いていた。
ぼくは続けた。
「……亡くなっているって、杉山が言いました」
教授は本を指先で軽く叩いた。
その音が、部屋の空気に沈んだ。
教授はゆっくり言った。
「“会った”守埜君は、別の線の守埜君だよ」
胸の奥が、静かに跳ねた。
「……線?」
教授は頷いた。
「世界は一本ずつ、並んでいる。無限にね。君が歩いているのは、そのうちの一本だ」
ぼくは息を吸った。
教授は続けた。
「君が会った守埜君は、“君の線”の守埜君ではない。 ただ、位置が近かっただけだ」
説明ではなかった。
でも、説明よりもはっきりしていた。
ぼくは言った。
「……じゃあ、ぼくは間違った線にいるんですか」
教授は首を横に振った。
「間違ってはいない。ただ、ずれているだけだ」
その言い方は、驚くほど静かだった。
ぼくは何も言えなかった。
教授は続けた。
「線はね、君が思っているよりも近い。重なることもある。触れることもある」
“押し出される”という言葉は出なかった。
でも、その気配だけが、教授の声の奥にあった。
ぼくの呼吸が止まった。
教授は言った。
「君は“まだ”ここにいる。でも、長くはないだろう」
“まだ”。
その一言が、胸の奥に落ちた。
「……ぼくは、押し出されるんですか」
教授は首を振らなかった。
頷きもしなかった。
ただ、静かに言った。
「君が、君を押し出すんだよ。——いつもそうだ」
ぼくの胸の奥が熱を持った。
教授は続けた。
「探しているんだろう? 二人とも生きている線を」
ぼくは唇を噛んだ。
「……あるんですか」
教授は答えなかった。
ただ、微笑んだ。
「線は無限に存在すると言っただろう?」
その瞬間、
世界がわずかに沈んだ。
音が遅れ、影が揺れ、視界が二重になった。
教授の声が、遠くで響いた。
「——君の“位置”が、君を呼んでいるよ」
その言葉に、意識が吸い取られた。
胸の奥で、静かな玉突きが始まった。
ぼくは息を止めた。
そして、押し出された。




