第3章=収束-第3話「北宮」
◆第3章=収束-第3話「北宮」
北宮に呼び出されて、俺〈杉山 基典〉はキャンパスに向かった。
こういうときの胸のざわつきは昔から当たる。理由は分からない。
ベンチに北宮が座ってた。
いつも通りの姿勢。だけど、今日は“静かすぎる”。
「悪い、待った?」
あいつは顔を上げて「いや」と返す。
声は普通。でも、届くまでの“間”が妙に長い。
空気の中で一度ひっかかってから落ちてくるみたいな感じだ。
気にしないふりで隣に立つ。
近くで見る北宮の横顔は、前より少しだけ“固い”。
何かを決めてるときの顔だと、なんとなく分かった。
歩き出すと、距離が安定しない。
近いのか遠いのか分からない。
歩幅は合ってるのに、どこかズレてる。
影だけが地面で一瞬重なって、すぐ離れた。
「……研究室、つきあってもらえる?」
北宮がそう言った瞬間、胸のざわつきが少し強くなった。
軽い頼みごとじゃないのは分かる。
「今日、行くのか? 今から?」
「うん」
「まあいいけど。なんか気になるし」
俺が自分で言いながら、声の奥に力が入ってるのが分かった。
研究室の前で北宮が立ち止まる。
扉の前の空気を読むみたいな短い“間”。
前にもこんなことがあった気がする。
嫌な予感だけが静かに積もる。
ノックすると、すぐ返事があった。
北宮が扉を開ける。教授が顔を上げる。
「来ると思っていたよ」
その言い方が引っかかった。
予想じゃなくて、知ってたみたいな声だ。
北宮は黙って部屋に入る。
その背中が、さっきと微妙に違う。
何が違うのかは分からない。ただ、違う。
俺も続いて中に入る。
部屋の空気は前と同じ匂いなのに、今日は少しだけ重い。
教授は机の横に置いてあった一冊の本を手に取った。
前にも見た表紙。
同じ厚さ、重さ。
北宮の視線が、その本に吸い寄せられてるのが分かった。
「これを読んだかい?」
「……少しだけ」
北宮はそう答えた。
嘘って感じじゃないけど、“全部じゃない”空気が混ざってた。
北宮は椅子に座り、本を机に置く。
その動きが静かすぎて、音が遅れて届く。
紙の上に落ちた光が薄い影を作ってた。
「……試したいことがあるんです」
北宮が言った瞬間、空気が冷えた。
声はいつも通りなのに、“北宮の声を使って誰かが喋ってる”みたいに聞こえた。
教授は何も言わない。
ただ、観察してる。
その沈黙が逆に怖い。
北宮は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
呼吸を整えてるのが分かる。
視線を本の中央に固定して、まばたきの間隔まで揃えてる。
椅子の沈み方を確かめるみたいに体重を少し動かした。
そこまで“意識してる”北宮を見るのは初めてだった。
最初の数秒は何も起きない。
世界は揺れない。
音も遅れない。
ただ、部屋の空気だけが少し張りつめていく。
北宮が小さく首を振る。
「まだだ」と、誰にともなく呟いた。
本のページをめくる。
紙の音が明らかに遅れて耳に届く。
その遅れが、さっきから感じてた違和感と同じ種類のものだと分かった。
北宮の肩がわずかに揺れた。
視界の端で二重に見えた。
ほんの一瞬——
“二人の北宮”が重なった。
空気が沈む。
部屋全体が一段落ちたみたいな感覚。
机も教授も、全部が少しズレて見える。
でも北宮だけはズレない。
そこに“固定されて”る。
呼吸が整いすぎてて、まばたきの間隔まで揃ってる。
人間というより、“北宮の形をした何か”に見えた。
教授は驚かない。
ただ、目を細める。
知っていた、という目だ。
しばらくして全部が元に戻る。
北宮がゆっくり目を開ける。
その瞬間、背筋が冷えた。
見た目は同じなのに、さっきまでの北宮じゃない。
目の奥の焦点が違う。
呼吸の深さが違う。
座ってる姿勢の重心が違う。
まるで、“別の北宮”がさっきの北宮の位置に入り込んだみたいだった。
気づいたら声が出てた。
「……今、なんかした?」
俺の声が少し遠い。
北宮がこっちを見る。
その目は見慣れてるはずなのに、ほんの少しだけ“合ってない”。
そして言った。
「……うん。“ぼく”、押し出された。」
教授は頷いたように見えた。
意味は分からない。
でも、分からないままでいい気がした。
ただひとつだけ確かだった。
目の前にいる北宮は、もう“さっきの北宮”じゃない。
どこが違うのかは言えない。
でも、確かに違う。
そしてたぶん、前よりもはっきりと分かった。




