第3章=収束-第1話「起点」
◆第3章=収束-第1話「起点」
碧が亡くなっていて、守埜が生きている世界。
碧が生きていて、守埜が亡くなっている世界。
その二つが、ぼくの中で同時に存在していた。
どちらか一方だけなら、まだ整理できたのかもしれない。
でも、ぼくの記憶ははっきりしている。
——碧は、生きている。ぼくの世界では、確かに。
——守埜は、亡くなっていた。ぼくの世界では、確かに。
その“確かさ”が、今の世界と噛み合わない。
今いる世界では、その両方が反転している。
守埜は生きている。碧は亡くなっている。
その事実を、ぼくはどう扱えばいいのか分からなかった。
守埜が生きていることは、ぼくを救った。
碧が亡くなっていることは、ぼくを沈めた。
どちらも本物のようで、どちらも偽物のようだった。
受け入れられなくて、捨てられなくて、胸の奥で二つの世界が静かにぶつかり合っていた。
碧も守埜も、生きている世界。
そんな都合のいい場所があるとは思えない。
でも、ないと決めつけることもできなかった。
教授の言葉が頭の奥で渦を巻く。
「世界は無限に存在する。だから自分の望む世界がないとは決めつけられないんだ。」
望む世界。
そんなものが本当にあるのだろうか。
あるとして、そこにいる碧と守埜は、ぼくの知っている二人なのだろうか。
押し出されたい。
そうすれば、自分の望む世界へ落ちる。
でも同時に、押し出されることへの強い抵抗もあった。
また別の世界に行ったとして、そこにいる碧と守埜が、ぼくの知っている二人と同じだという保証はどこにもない。
名前も、顔も、声も同じでも、“ぼくの知っている二人”とは限らない。
それでも——
現実として、二人が生きている世界のほうが、ぼくにとって一番安心できる、という事実だけは消えなかった。
安心したい。
失いたくない。
でも、ここにはいたくない。
ここから動きたくない。
その矛盾が、ぼくの中で静かに膨らんでいく。
ぼくの世界では碧が生きていた。
この世界では守埜が生きている。
どちらも捨てられない。
どちらも選べない。
選べないまま、ぼくはここに立ち尽くしている。
どちらの世界にも片足を置いたまま、どちらにも完全には触れられないまま。
ぼくの中で、二つの“当たり前”が同時に呼吸している。
どちらも本物で、どちらも嘘みたいで、どちらかを選んだ瞬間、もう片方が消えてしまいそうで怖かった。
押し出されたい。
でも、押し出されたくない。
その二つの願いが、同じ重さで胸の奥に沈んでいた。
ぼくは、どこにいたいんだろう。
どこに戻りたいんだろう。
そもそも“戻る”という言葉が、もう意味を持っているのかどうかも分からなかった。
ただひとつだけ確かなのは、ぼくの中で「ここにはいたくない」と「ここから動きたくない」が、静かに、確実にぶつかり合っていたということだけだった。
そのぶつかり合いの奥で、ひとつの輪郭がゆっくり浮かび上がってきた。
——ぼく一人では、落ちない。
前の世界でもそうだった。
押し出されるには、杉山の存在が必要だった。
あのとき、ぼくは杉山と一緒に研究室へ行った。
そして、世界が動いた。
理由は分からない。
説明もできない。
でも、“そうだった”という事実だけは残っている。
胸の奥のざわつきが、ひとつの方向へゆっくり傾いた。
——杉山を誘う。
その言葉が、自然に浮かんだ。
決意というより、“そこに落ち着いた”という感覚に近かった。
ぼくは立ち上がった。
キャンパスの風が、少しだけ温度を変えた気がした。
杉山を誘って、研究室へ行く。
そこに行けば、何かが動く。
そう思ったわけじゃない。
ただ、そう“感じた”。
その感覚だけが、確かだった。




